Eternal Dear4

堂宮ツキ乃

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4章

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 台所では、食器洗いが終わったらしい寮長と蒼が手を拭いていた。

「何事でした? 大丈夫ですの?」

「ん? あぁ、ゴキブリが…」

「ゴキブリィ! 退散んんん!」

「おわぁっ!?」

 凪は、ヒステリックな叫びを上げながらヘアピンを投げつける寮長から飛び退いた。もう少し反応が遅かったら床に足を縫い止められていただろう。

「バカヤロー! ゴキブリはとっくに外に出したわボケー!」

「え? あらすみません。私ったらつい早とちりしてしまいましたわ」

「あらすみませんじゃねェ。ヘアピン投げて床に突き刺せるような凶暴がゴキブリごときでビビんな!」

 と、そこにもう1本ヘアピンが飛来してきて凪はまた跳び上がった。そして寮長は氷の微笑をたたえながら冷徹な声で話した。

「ゴキブリは人類の敵ですわ…。まして乙女でゴキブリ好きな人なんているわけないですし、私もその1人でございます。凶暴女も聞き捨てなりませんわ…!」

「だーもうっ! やめろコラ!」

 凪はピンを2本とも引っこ抜いて寮長に軽く放った。今まで何度このやり取りをしてきたことか。そしてこの床の2つの穴をどうしようか…。

 寮に開いた壁の穴は麓が来たことによって全て塞がれた。だからここも直してもらおうと、凪は後で麓に頼むことにした。

 いつの間にか後ろに回り込んでしゃがんでいた蒼が、扇と霞の屍を見てげっと顔を引きつらせた。

 それもそのはず。顔面血まみれになっているのだから驚くのも無理ないだろう。

「ところで…この2人はどうしたんです? 引きずられてますよね? しかも血が…。まさか麓さんの一糸まとわぬ姿を見て凪さんのグーパンくらったとか?」

「ちげーよ、一糸じゃなくてタオル巻いてたし、俺が手を下す前に鼻血垂れ流してた。なんかヤラシイことでも考えてたんじゃね」

 凪は霞と扇を剛腕で廊下の1番向こうへ放り投げてため息をついた。

「…海斗ンとこでゴキブリホイホイでももらってくるか。今度ストック買っておこ」

 ブツブツ独り言をつぶやいている凪のことを、寮長と蒼はまじまじと見つめていた。

 顎に手をやった凪はそれに気づき、半眼で見る。

「…なんだテメーら」

「凪様は力だけじゃなく、免疫を強いのですねーって」

「は?」

「だからー、麓様のことですってば。あの2人は鼻血を出して失神したのに、凪様はなんともないのですねー?」

「別に興味ねェし」

「女体がですか?」

「生々しいこと言ってんな、アイツのことだボケー」

 真顔の蒼に凪も真顔で返し、廊下へ踏み出した。



 台所に残っている寮長と蒼は先程の凪の反応のことを思い出し、忍び笑いをしていた。

「あれは絶対に照れていましたわね…。さりげなくこちらを見ませんでしたもの。まぁ凪様のことですから鼻血を出すに至らなかっただけなのでしょうね」

「全く同感です。照れ顔をからかってやりたかったのに…」

 蒼がいかにもわざとらしく軽く舌打ちをすると寮長は笑った。と、そこに控えめな声が聞こえた。

「寮長さん、お風呂どうぞ」

「あら麓様。ありがとうございます…先程は災難でしたわね」

 麓は"災難"のことを思い出して身震いをし、涙目でうなずいた。これはもうトラウマになったのだろう。

「それにしても麓様…。髪の毛がなんだかボワッとしていらっしゃるような…」 

「実は────置いてあったブラシに黒光りする生き物が乗っていたのでもう使う気になれません!」

 珍しく麓が大きな声で断固拒否した。こんな姿を見ることはない。よほど嫌悪感を抱いたらしい。

「ゴキブリ嫌! って女の子らしいですね。麓さんのツリーハウスには1匹も出なかったんですか?」

「…あれってゴキブリって言うの」

「えぇ。言うのも気持ち悪いという人は"G"と略してますけど」

 蒼は聞いたことのある代名詞を言いつつ、よくよく考えてから重大なことに気づく。それは寮長も同じだ。

「麓様…まさかGを見たことも聞いたこともないんですか?」

「え? はい。世の中にはあんなおぞましい生き物もいるんですね」

「マジですか! ツリーハウスに1匹も出なかったんですか!」

「うらやましいですわ…高い所にあるだけあって、あの生物を寄せ付けないのですね」

「でも寮でも見たことはありませんよ?」

「それは私が大量のゴキブリホイホイをあらゆる場所に設置しているからです…。例え出たとしても瞬時に抹殺しておりますので」

 さすが寮長。目の下に暗い影を作って冷たいほほえみを浮かべている。

 そこで蒼はプチ嫌がらせを思いついてしまった。彼は目を丸くして麓の背後を指差した。

「麓さん…さっきあなたが"おぞましい生き物"なんてけなしたから後ろにゴ…」

「きゃあっ!」

 頭の文字だけで麓は反応してその場にしゃがみこんで小さく固まった。身を震わせ、ぎゅっと閉じた目にはわずかに涙を浮かべている。

 蒼の本心が分かっていた寮長はヘアピンを投げることをせず、彼と目を合わせて笑い出した。

「嘘、ですよ麓さん」

「…え?」

 蒼が優しく声をかけてやると麓は潤ませた瞳で見上げた。

「Gがいるのは嘘です。麓さんを驚かせたかっただけなんです」

「ひ…ひどっ! こっちは本気で驚いたのに…」

 ついに麓の瞳から溢れ出たしずくは頬を伝った。

 他の風紀委員相手だったら"蒼おまえー!"で怒られるだけでせせら笑っている。

 しかし今は相手が相手。女の子を泣かすなど、まして好意を抱いている麓を…。

 蒼はきまり悪く頬を爪でかき、しゃがんで麓に目線を合わせた。

 "さーてひとっ風呂キメますかね~"なんてわざとらしい言動で寮長はその場から消えた。蒼はその後ろ姿を赤らめた頬で恨めしげに睨んだ。

 この日彼が────非常に珍しい行動を起こしてそれを目にしたのは麓だけ。

「ごめんなさい、麓さん」

 他の風紀委員には謝ることもないだろう。

 麓はそれを知っているので呆気に取られた表情でポカーンとして口を開けた。逆に、今何て言った? と聞きたい所だ。

「あ…うん」

「どういう意味の"うん"ですか?」

「えっと…もういいから気にしないでってこと」

 麓は言いながらこぼした涙を指先で拭おうとしたら、蒼が自分のポケットから水色のハンカチを取り出して麓の目元を軽く押さえた。

「こすると目元が腫れます。罪滅ぼしさせて下さい」

 困っている彼の顔を見ていると不思議と笑いがこみ上げてきた。麓は涙が止まるとすっきりとした表情で笑った。
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