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7章
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「…今夜2人で会いたかったのはこれを渡したくて」
「あ、これってさっきの」
朝来はジーンズのポケットをまさぐると小さな箱を取り出し、夜叉の前で開けて見せた。
そこには朝来と遭遇した店で彼が手にしていたネックレスが収められていた。革製の光沢のあるコードは円を描いてまとめられ、中心には桜と白い風をあしらったまん丸な黒い玉がお行儀よく座っている。
「本当に買ったの?」
「うん」
朝来はそれをそっと持ち上げると留め具を外して広げた。夜叉の首元に運んで首の後ろでごそごそと金具を留め、彼女の豊かな髪をゆっくりと持ち上げてほほえんだ。
「…やっぱり。よく似合ってるよ」
そう言われて夜叉は首元に手をやってトンボ玉にそっとふれた。冷たいと感じたそれはいつの間にか熱を帯びたようで。温かささえ感じるようだった。
初めての異性からの贈り物。夜叉は頬を染めてうつむいた。
「あの…ありがとう。すっごく嬉しい」
「よかった。君の趣味は分からなかったけど本当によく似合っていたから」
「あと私の名前が入ってるから?」
「それもあるね」
朝来は小さく笑うと夜叉の髪にふれて肩に頬をのせた。突然体重をかけられて驚いたが、彼女は声を上げることはせずそっとその頭をなでた。
漆黒の髪は猫っ毛でさらさらだ。彼女はこわれものを扱うようになで、同時に自分の首元のトンボ玉にふれて余韻に浸った。
「朝来って私の名前知ってたの?」
「君の父上が名付けたんだからそりゃあね。苗字は樫原に聞いた」
「あ…そうなんだ」
「怖かった?」
「う…ううん。そういえば名前呼ばれたことなかったからどうなんだろうって」
彼に名前を呼ばれないのは阿修羅が指摘しなくても気づいていた。実際、名前を教えたことは無いけどなぜか知ってるものだと思っていたし、名前を呼んでほしいなんて変なお願いだと遠慮していたのだ。それに朝来の”君”呼びは嫌いではなかった。
「私をさくらって呼ぶのは家族だけなんだ。亡くなったば…祖父母がつけてくれたっていうか愛称として呼んでくれて。それを今の育ての親と和馬が引き継いでいるみたいな」
そう。同級生たちに”桜木”と呼ばれることはあっても”さくら”と呼ばれることはない。だから朝来に、”さくら”について言及されたのは少し嬉しかった。まるで彼が特別な人になったかのようで。
「…そのネックレス、夜桜っていう名前がつけられていたんだ」
朝来は頬を押しつけたままささやくようにつぶやいた。
「朱雀の名付けた”夜”と今の君の家族の”桜”が入っていてぴったりだなってピンと来て…。今の家族のことも、産みの母上や父上が見守っていることも君に覚えていてほしくて」
彼は顔を上げるとコートを直して彼女との距離を詰めた。お互いに冷え切った指のことを忘れるほど長いこと話していたようだ。2人はどちらからともなく片手の指を絡めあって熱を生み出し合った。
目が合うと視線が絡み合い、まるでずっとそうしたかったように唇を重ねた。唇を交わらせるたびに絡めた指の力が強くなっていく。
月の光の元で恋人同士のように熱く無言で愛を交わし合う彼らは、時間も世界も忘れてキスに没頭していたがふと我に戻った夜叉が離れて両手で真っ赤な顔を覆った。
「なんか…ごめん。よくわかんないけど…」
「僕はしたかったから別にいいけど…」
「はしたなくないかな…私からするとか…」
自信なさげにどんどん声が小さくなっていく夜叉のことを愛おしそうに見つめた朝来は、彼女の腰をつよく抱き寄せ額を合わせて甘い視線で彼女のことを見つめた。
「…そんなことないよ。僕だって君としたくて近づいたんだもの────キス」
そして夜叉の桜色の唇にもう一度ふれ、唇と唇が声を発するたびに交わうほど距離を縮めてほほえんだ。
2人の男女が真夜中に逢瀬を重ねる姿を、遠くのビルから監視するように眺める人物が2人いた。
癖っ毛でうねりのひどい髪を持ち顔にやけどを負った白衣の女は、持っていた双眼鏡を下ろすと下卑た笑みで口元をにんまりと歪めさせた。そして手に持っている眼鏡をかけ直す。
「…これでこの国を崩壊させるトリガーが引かれた。こうもあっさりといくなんて、拍子抜けするよ」
「そう。それより早く行くわよ。石採に報告しなきゃ」
そばに立つ水色の髪の女は冷たい瞳で違う方向を見ていた。その瞳は水色と翡翠色とで左右で色が違う。
「そんなに焦らなくたっていいじゃないか。あの石頭のおっさんより若者の濡れ場を見てる方がずっと楽しいだろ。あ、それとも…」
白衣の女────ナミィは浮かべた笑みのまま目を細めてからかうような口調になった。
「恋人のことを思い出したのかい? あの日お前さんが裏切った公安の彼を…」
「そんなんじゃない」
水色の短髪の女────鬼子母神は、胸の下で腕を組むと相変わらず淡々と答えて前髪を払った。
「そうかいそうかい。私はもうしばらく観察することにするよ。悪鬼が朱雀の娘を押し倒すまで秒読み…」
「さっさと行くわよ」
鬼子母神は再び眼鏡越しに双眼鏡を押し付けたナミィの首根っこを掴むと肩に担ぎ上げ、ビルの屋上の出入り口へ向かった。
Fin.
「あ、これってさっきの」
朝来はジーンズのポケットをまさぐると小さな箱を取り出し、夜叉の前で開けて見せた。
そこには朝来と遭遇した店で彼が手にしていたネックレスが収められていた。革製の光沢のあるコードは円を描いてまとめられ、中心には桜と白い風をあしらったまん丸な黒い玉がお行儀よく座っている。
「本当に買ったの?」
「うん」
朝来はそれをそっと持ち上げると留め具を外して広げた。夜叉の首元に運んで首の後ろでごそごそと金具を留め、彼女の豊かな髪をゆっくりと持ち上げてほほえんだ。
「…やっぱり。よく似合ってるよ」
そう言われて夜叉は首元に手をやってトンボ玉にそっとふれた。冷たいと感じたそれはいつの間にか熱を帯びたようで。温かささえ感じるようだった。
初めての異性からの贈り物。夜叉は頬を染めてうつむいた。
「あの…ありがとう。すっごく嬉しい」
「よかった。君の趣味は分からなかったけど本当によく似合っていたから」
「あと私の名前が入ってるから?」
「それもあるね」
朝来は小さく笑うと夜叉の髪にふれて肩に頬をのせた。突然体重をかけられて驚いたが、彼女は声を上げることはせずそっとその頭をなでた。
漆黒の髪は猫っ毛でさらさらだ。彼女はこわれものを扱うようになで、同時に自分の首元のトンボ玉にふれて余韻に浸った。
「朝来って私の名前知ってたの?」
「君の父上が名付けたんだからそりゃあね。苗字は樫原に聞いた」
「あ…そうなんだ」
「怖かった?」
「う…ううん。そういえば名前呼ばれたことなかったからどうなんだろうって」
彼に名前を呼ばれないのは阿修羅が指摘しなくても気づいていた。実際、名前を教えたことは無いけどなぜか知ってるものだと思っていたし、名前を呼んでほしいなんて変なお願いだと遠慮していたのだ。それに朝来の”君”呼びは嫌いではなかった。
「私をさくらって呼ぶのは家族だけなんだ。亡くなったば…祖父母がつけてくれたっていうか愛称として呼んでくれて。それを今の育ての親と和馬が引き継いでいるみたいな」
そう。同級生たちに”桜木”と呼ばれることはあっても”さくら”と呼ばれることはない。だから朝来に、”さくら”について言及されたのは少し嬉しかった。まるで彼が特別な人になったかのようで。
「…そのネックレス、夜桜っていう名前がつけられていたんだ」
朝来は頬を押しつけたままささやくようにつぶやいた。
「朱雀の名付けた”夜”と今の君の家族の”桜”が入っていてぴったりだなってピンと来て…。今の家族のことも、産みの母上や父上が見守っていることも君に覚えていてほしくて」
彼は顔を上げるとコートを直して彼女との距離を詰めた。お互いに冷え切った指のことを忘れるほど長いこと話していたようだ。2人はどちらからともなく片手の指を絡めあって熱を生み出し合った。
目が合うと視線が絡み合い、まるでずっとそうしたかったように唇を重ねた。唇を交わらせるたびに絡めた指の力が強くなっていく。
月の光の元で恋人同士のように熱く無言で愛を交わし合う彼らは、時間も世界も忘れてキスに没頭していたがふと我に戻った夜叉が離れて両手で真っ赤な顔を覆った。
「なんか…ごめん。よくわかんないけど…」
「僕はしたかったから別にいいけど…」
「はしたなくないかな…私からするとか…」
自信なさげにどんどん声が小さくなっていく夜叉のことを愛おしそうに見つめた朝来は、彼女の腰をつよく抱き寄せ額を合わせて甘い視線で彼女のことを見つめた。
「…そんなことないよ。僕だって君としたくて近づいたんだもの────キス」
そして夜叉の桜色の唇にもう一度ふれ、唇と唇が声を発するたびに交わうほど距離を縮めてほほえんだ。
2人の男女が真夜中に逢瀬を重ねる姿を、遠くのビルから監視するように眺める人物が2人いた。
癖っ毛でうねりのひどい髪を持ち顔にやけどを負った白衣の女は、持っていた双眼鏡を下ろすと下卑た笑みで口元をにんまりと歪めさせた。そして手に持っている眼鏡をかけ直す。
「…これでこの国を崩壊させるトリガーが引かれた。こうもあっさりといくなんて、拍子抜けするよ」
「そう。それより早く行くわよ。石採に報告しなきゃ」
そばに立つ水色の髪の女は冷たい瞳で違う方向を見ていた。その瞳は水色と翡翠色とで左右で色が違う。
「そんなに焦らなくたっていいじゃないか。あの石頭のおっさんより若者の濡れ場を見てる方がずっと楽しいだろ。あ、それとも…」
白衣の女────ナミィは浮かべた笑みのまま目を細めてからかうような口調になった。
「恋人のことを思い出したのかい? あの日お前さんが裏切った公安の彼を…」
「そんなんじゃない」
水色の短髪の女────鬼子母神は、胸の下で腕を組むと相変わらず淡々と答えて前髪を払った。
「そうかいそうかい。私はもうしばらく観察することにするよ。悪鬼が朱雀の娘を押し倒すまで秒読み…」
「さっさと行くわよ」
鬼子母神は再び眼鏡越しに双眼鏡を押し付けたナミィの首根っこを掴むと肩に担ぎ上げ、ビルの屋上の出入り口へ向かった。
Fin.
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