しにたがりコスプレイヤーと歌精霊

堂宮ツキ乃

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 紗良は高校の斡旋で入社した会社に勤め、それと同時に実家を出た。職場の近くに住みたかったのと家族から離れたかったからだ。

 距離を置いたことで途端にうまく付き合えるようになった。紗良と顔を合わせている時の母親に笑顔が増えた。

 実家を出る前、妹と弟に「わざわざ一人暮らしなんてしなくていいじゃん」と首をかしげられた。

『お母さん、私のことが嫌いだから……』

『別に気にせず堂々としてたらいいじゃん?』

 愛されて育った彼らには分からないだろう。理由も分からず母親に無視をされる恐怖を。それも突然。彼らはそんな扱いをされることはなく、無事に反抗期を迎えている。恐怖で支配された紗良は反抗心を抱くこともできなかった。

 いつも家では冷や汗が止まらず、ビクビク過ごしていたせいか二人には舐められていた。なぜその程度のことで悩むのか、見ているこちらが疲れる、と嘲笑う。

 実家を出ると自宅の静寂さに感動した。夜中、何時まで起きていても誰にも文句を言われない。何を食べてもいいし友だちも自由に呼べる。狭いアパートでの四人暮らしは窮屈でプライベートがなかった。









「お疲れ様でした。来年もよろしくお願いいたします」

柴山しばやまさんもね。よいお年を~」

 年の瀬、仕事納め。

 紗良は髪の毛を隠した作業帽子を脱いだ。高校を卒業して実家を出てからチョコレート色に染めた髪。黄土色の地毛では顔が浮いて「やっば~……」という失笑を背中で浴びたことがある。細い目、低い鼻、狭い額。生まれた瞬間から顔のパーツすら恵まれなかった。

「予約した時間にぴったしだわ!」

「ささっと着替えて行こーや」

 周りでは年末の挨拶があちらこちらから聞こえる。このまま呑みに行く人たちもいるらしい。

 タブレットで終業の操作をしていると事務所では忙しそうな声が飛んでいた。

「紅白クッキーのコードなんだっけ?」

「2018」

「2、0、1、8、っと……七夕チョコレートじゃねーか」

「バレたかー」

 途端に事務所では笑いの渦が起きる。まるで笑い納めだ。そういえば年末なので最近、テレビではこぞってお笑い番組のCMばかり流れている。

 紗良はそれらを背中で聞くと足早に更衣室へ向かった。





 スーパーでクリスマスっぽいお惣菜を買って自宅へ帰り、アニメイラストがプリントされたシャンメリーの封を切った。

 来年は推しが好きなワインを飲みたいと妄想しながら、細長いワイングラスにゴールドの液体を注ぐ。しゅわしゅわと微細な泡がたちのぼっては消えていく。爽やかな香りが鼻腔に届いた。

 クリスマスディナーのお供に選んだのは音楽番組。今夜は人生で最も長く強く推している推しが出演する。

 メインの司会は真っ黒なグラサンをかけ、マイクを指先で挟んでいた。

「お次は相田光守あいだみつもりくんでーす」

 その日は番組の年内最後の放送。有名な関東のイベントホールから生中継している。さながらライブ会場で、客席ではペンライトが様々な色を放っていた。時々カメラがサンタクロースの衣装を着た客を抜く。

 それはテレビの前でも同じで。紗良はフライドチキンをペンライトに持ち替えていた。ライトの色は黒だ。

「こんばんはー。よろしくお願いします」

(みっつん……!)

 司会とアナウンサーよりうんと背の高い男が腰を折る。彼は細身のダークスーツに身を包み、ハットを軽く押し上げた。まるで測ったように綺麗なつくりの顔は紗良の憧れだ。彼のような鼻梁が、フェイスラインがほしいと何度願ったことだろう。

 みっつんこと相田光守は元々トリオとしてアイドル活動をしていたが、メンバーがそれぞれの分野へ才能を開花させたことで解散。以来、彼は自身で作詞作曲を行い物語性のある曲を世に送っている。数年後には自身の楽曲を元にしたミュージカルが上演され、今では毎年恒例になっている。

「相田さんは今年も主演ミュージカルを上演されました。先月千秋楽を迎えられてお気持ちはいかがですか?」

 司会の隣でワンピースドレスをまとったアナウンサーが笑顔を向ける。

 光守は伏した目を和らげるとマイクを口元へ近づけた。

「本当に……頑張ったな、と。演者はもちろんスタッフさん、そしてファンの方がいなければ実現しませんでした。関わってくださった皆様に感謝感謝です。本当にありがとうございました」

 かしこまった声で頭を深く下げると会場があたたかな拍手に包まれた。紗良も画面越しに小さく拍手を送る。

「脚本も劇中歌も相田くんが、と聞いてるけどその源はなんでしょう」

「僕も……不思議なんですけど、突然見たことのない景色が頭の中に広がったり夢で見たりするんです。現実ではありえないような存在も……。それらを書き留めている内に一つの物語になっていました」

「来年はオオサカで公演が……」

 そのミュージカルに紗良はもちろん観に行った。先月トウキョウへ訪れたばかりだ。

 光守の曲には悪魔や人間の欲を描いたものが何曲かある。それを結集させたものが今年の上演作品だ。

 悪魔と人間の女が繰り広げる復讐劇。家で居場所を与えなかった親、自分をいじめた同級生、陥れた同僚、不倫して捨てた元夫、その相手……。数えきれないほど恨みを募らせた女は悪魔を手先にし、彼らに再会してはどん底へ突き落す。人間の汚さを描いたストーリーは一時退場をする者が出る程。しかし、クライマックスのどんでん返しに観客はたちまち作品の虜に。エンタメニュースでもSNSでも話題を呼んだ。

 正直に言うと紗良も女の幼少期のシーンでは何度も目を閉じた。

『人生や仕事が絶望から始まっても希望が必ずあるって感じてほしいです。この作品が生きるための道しるべになったら、という思いで作り上げました』

 スタンディングオベーションの中で光守が語った言葉に、周りでは静かに鼻を鳴らす音が聴こえた。きっとそれぞれ、つらい過去を背負っていたり悲しい出来事に遭ったことがあるのだろう。紗良も静かに頬をぬらした。

 こうして披露されたのはミュージカル『悪魔の約束』の劇中歌『KILL WITH ME』『堕ちた天使』。

 照明が控えめでダークな雰囲気に満ちた前者では、悪魔役を演じた光守が終始ハットで目元を隠していた。時折のぞかせる瞳はくるくると表情が変わる。割れたガラスのように鋭く、飴玉のようにまん丸に、空中に漂う雲のように空虚に。

 紡ぎ出される歌声は少年のような無邪気さといたずらっぽさを含む。時折もれるがなり声は人の形をした悪魔、ということを思い出させた。

 二曲目では目を閉じてしまうほどの白い光がステージを包んだ。その瞬間に真っ黒なダークスーツが星のきらめきをまとう。

 闇で染めたような黒いハットはいつの間にか消え、光守は大きく腕を広げた。全てを受け止める穏やかな笑みを浮かべると、スッと背筋を伸ばす。

 まるで別人が宿ったような優しく麗しい歌声。甘い旋律は忘れていた眠気を呼び起こす。

 紗良はペンライトを振っていたのと反対の手で目をこすった。

「ありがとう。よいお年を」

 画面越しに腰を折った光守に手を振り、静かにペンライトを置いた。代わりに皿を持ち上げてフライドチキン温め直す。

「今年最後のみっつんか~」

 オレンジの光に照らされたチキンを見つめながらぼやく。

 一人暮らしを始めてから初めてのクリスマス。実家からクリスマスパーティーのお誘いが来たが、年末は残業で遅いからと断っていた。関係はよくなっても実家へは足が遠のいている。

 それでも今は生き生きとしていられるのは好きなコンテンツが唯一の救いだからだ。生きていて嫌なこと、怖いことの方が多かったがリメイクアニメ化や周年原画展の開催を聞くと、人生から逃げなくてよかったと心から思える。もちろん光守の作品が発表される度に目で、耳で、体全体で浴びられることも生きる理由だ。

「……生きていてよかった」

 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、オレンジの光が消えてチキンが姿を消したように見えた。レンジから取り出すとその場で豪快にかぶりつき、あふあふと口から湯気を吐く。

「さいこう……」

 チキンの熱さに涙しながらあえて口に出した。今は幸せだと、死にたいという言葉を口にすることなく早く時間が過ぎ去れと願う日はもうない。

 紗良は軟骨まで綺麗に食べると派手な音を立てて手を合わせた。思い出したようにシャンメリーを一気飲みし、油分を流し込む。からあげにレモンサワーが合う、というのはこの感覚があるからだろうか。テレビで流れてくる缶チューハイのCMが目に入った。

 落ち着いて座ってケーキを食べた後、片づけをしてシャワーを浴びた。光守の曲を鼻歌で歌いながらボディーソープを泡立てていると、胸にチクッとした痛みを感じた。次第にきゅう、と握るような痛みに変わって思わず顔をしかめる。

(……?)

 手の動きを止めるとおさまり、無意識のうちに呼吸を止めていたことに気がついた。身体の強張りがとけると紗良はフフッと笑った。

(みっつんのこと考えすぎて胸がいっぱいになった? ガチ恋乙……)

 紗良は悪魔光守の姿を思い出して目を閉じた。

 『悪魔の約束』で彼が憑いた女のことを思い出すとうらやましい。紗良も母親にはひどい目に遭わされたが、復讐したいほどではない。それでも自分にしか見えない存在がいたら、と当時は思っただろう。

 布団にくるまって友だちからの連絡を返していると一年の疲れがどっと押し寄せてきた。

 明日からしばらくは何時に起きてもいい。紗良はスマホのアラームを取り消すと腕を投げ出した。










 気付くと紗良は何もない場所に立っていた。おそらく夢だろうというのはすぐに分かった。

 目の前に母親と、子どもの頃に顔を合わせたきりの父親が立っているからだ。

 今よりも若く穏やかな表情の母親はまるで初デートのような初々しさ。顔を忘れてしまった父親と連れ立って歩き、二人は真横を通り過ぎた。

「お母さん、お父さん……?」

 振り向き、小さく呼びかけると彼らは消えてしまった。そこには白い空間が広がっているだけ。

 目をこすっていると子どもの泣き声が聞こえた。猫のような声は医療ドラマで聴こえるものと同じだった。

 体を向き直すとベッドで身を起こした母親が汗まみれの顔で赤子、おそらく紗良を抱いている。傍らでは父親が男泣きをして母親に笑われていた。

 また彼らが消えると、今度は三人でお出かけしている様子が繰り広げられた。動物園や水族館、お弁当を広げている様子も。この頃は母親に関してつらい記憶はなかった。

 しかし、妹、弟、と生まれて父親が消えた頃。母の顔に妖怪が宿った。

「……!」

 おそらく四歳頃の紗良に手を上げる母親。顔面を涙まみれにし、大きく口を開けた紗良。音は聞こえないはずなのにあの時の痛みが、喉の奥から絞り出すような泣き叫ぶ声がよみがえる。脳内補正による再現に紗良は心臓がある辺りを手で強く押さえつけ、膝をついた。

(やめて……!)

 幻想から目をそらしても見せつけるように脳内で続きが再生される。

 学校で忘れ物をした、物を落として壊してしまった、友だちとうまくやっていけない、それを母親には相談できない、怒られるのが怖いと祖父母に打ち明けた。

 記憶から引きずり出された場面がスライドショーのように浮かんでは消えていく。紗良の失態はまばたきよりも多かった。

 一つ一つ消えていく度に母親の怒鳴りつける様が現れ、体が小刻みに震え始めた。痛む心臓から手を離して肩を抱くが収まらない。

 お前はバカだ、何をしてもダメ、こんなのを産んだ覚えはない。存在を否定され。

 父親にそっくり、誰に似たんだか、その顔を見ていると腹が立つ。母親がこの世で憎んでいる人と同列にされ。

 つらい、苦しい、こんな家にいたくない。だれかたすけて。救いを求めても笑って流され。

 この命がろうそくの火のようにぽっと消えてしまったらいいのにと何度も願った。泣きながら冷たい布団の中で。

「お久しぶりですね」

 瞬間、肩に手を置かれて映像が消し飛んだ。目を開けても憤怒の形相を浮かべた母親も、涙でぐちゃぐちゃになった紗良もいない。

 いるのは随分と顔のいいスーツ姿の男。燕の尾のような裾を広げて跪いている。

「あ……」

 陶器のように白い肌は人間味がない。水色の双眸と視線が交差すると、紗良の瞳から同じ色の雫がこぼれた。

「あの時のお兄さん……?」

 紗良の言葉に男はゆっくりと口角を上げる。

 あの頃、心の支えにしていた存在が顕現した。

「覚えていてくださったとは……光栄です」

 彼は紗良の手をそっと取ると口づけを落とす。突然のお姫様扱いに戸惑うと、顔を上げた彼に頭をなでられた。

「お疲れ様でした」

「ありがとうございます……?」

 その言葉に仕事納めだったことを思いだし、彼に向かってぺこりと首を曲げる。

 彼は「よく頑張りましたね」と目を細め、頭の上で何度か手を往復させると立ち上がった。自動的に紗良も立ち上がって彼の視線を追った。

 随分と大柄な男だ。公式プロフィールで身長を185cmと明かしている光守もこれくらいだろうか、と彼のネクタイの結び目を見上げた。

「もしかして迎えに来てくれたんですか?」

 いつか夢で出会った彼か光守がさらいに来てくれたら。現状から抜け出せるのならどこへ連れ去られてもいい。

 しかし今は生活に満足しているので正直遅い。それだったら光守と結婚したい。

 男はハの字眉になると「えぇ」と肘を手で支える。

「あなたにとっては随分お待たせしてしまいましたね……」

「うん……つらかったです」

「こういう決まりですから。どうかお許しください」

「きまり?」

 彼は胸に手を当てて腰を折ると上目遣いになった。

「過去の振り返りはここまでにして……せっかくの休暇です。何をしましょう?」

「何を? 一応年末年始の予定は決まってて……。でも年明けからですし、年内はどっかしら出かけるのもありですかねぇ……」

「そうしましたらタカヤマ方面はいかがですか? 自然と温泉……雪見酒なんて最高ですよ」

「温泉……いいなぁ。行ってみたいです」

 ミツモリのライブやミュージカルで遠征はするが、温泉旅行など風光明媚な観光地へは行ったことがない。

 紗良はテレビで見たことのある温泉や雪を想像し、強張った頬が柔らかくなっていった。

「ではさっそく参りましょうか」

 男は紗良の手を、というより体を抱えようと屈んだ。

「いやいや待って? あなたも……?」

「紗良さんを迎えに来たんですからそりゃあもちろん」

「私の名前まで……。あなたは何者……んむぅ」

 彼の正体に迫ろうとすると唇に人差し指が押し付けられた。

「私のことは……ヨミ、とでもお呼びください。あなたの旅のお供です」

「私一人旅派なんだけど……」
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