しにたがりコスプレイヤーと歌精霊

堂宮ツキ乃

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「あんたの親父に本当そっくり!」

 紗良の母親が怒った時の口癖だ。恨みをこめた呪いの言葉は、紗良が自分の顔を嫌うようになるほど浴びせられた。

 父親が仕事に行ったきり帰ってこなくなって早数年。紗良は慣れ親しんだ町を離れて母方の祖父母宅の近所へ引っ越した。

 新しい保育園では最初こそ「どこから来たの?」「こっち来て遊ぼうよ!」と珍しがられたが、すでに人間関係ができあがっている田舎の保育園ではすぐに飽きられてしまった。

 直に小学校に上がったが相変わらず一人、教室の片隅でうつむくだけ。周りはお兄さんお姉さんに可愛がられて新しい環境に順応していく。

「うわぁ……」

「昔の人形じゃん」

「だっさ」

 当時はシャンプー代や水道代がもったいないからと髪をできるだけ短く切られていたので見事なおかっぱ頭。細すぎる目に基本的に死んだ顔。

 外見の醜さを揶揄されたことがトラウマになり、紗良は顔を上げることが怖くなった。なんでも口に出してしまう子どもの残酷さは幼い内に身をもって体感した。

 こうして育ったので協調性は皆無。人の輪に入っていくことはできない。

 女子なんかはとっくにグループができているので班作りは地獄。しかし、母親に無視されている時よりはマシだと思えた。





 中学生になった紗良は強制入部させられた陸上部の活動を終え、帰路についた。

 夕暮れをとうに過ぎた帰り道は白い街灯が点滅している。その下をとぼとぼと歩く彼女の顔は陰気にまみれ、生まれたばかりの幽霊がさまよっているよう。

 古びたアパートが姿を現すと足がズンと重さを増す。ちらと見やるとため息が漏れ出た。

 川に渡る橋をできるだけゆっくりと歩き、震える手でドアレバーにふれる。

「……ただいま」

 暗い声でドアを開けると晩御飯を食べているであろう妹たちの甲高い声が聞こえた。母親が仕方なさそうに笑う声が混ざる。

 リビングに姿を見せても紗良に気づく声はない。もう一度「ただいま」と言っても母親は見向きもせずに弟の口元を拭っている。

 現在、絶賛母親の無視期間。紗良は一層暗い顔でテーブル横を通り過ぎようとした。

「どうして朝黙って出て行った!」

 母親の怒声が紗良の鼓膜をつんざく。スプーンとフォークで遊んでいた妹たちですら動きを止めた。

 先ほどまで優しい笑顔を浮かべていたとは思えない妖怪の顔。まるで能面を付け替えたような早業に紗良は顔をそらした。

「……行ってきますって言っても無視するから」

「口答えするな!」

 頬に何かが当たって思わず目を閉じた。カラン、と音を立てて床に転がったのは紗良の箸だった。

『行ってきます……』

 ランドセルを背負った紗良は洗濯物を干している母親の背中に声を掛けた。

 無視をされていても勇気を出せば思いは届くはず。紗良は学校の先生に励まされたことを実践し、ハッとした母親が優しい表情で振り向くのを期待した。

 大きな背中を見つめていると母親は手にしていたハンガーを床に叩きつけ、足で踏みつけた。下の階の人の迷惑になるからとすり足で歩くことを強要していた本人が。

 その狂気じみた行動から紗良は逃げるように家を出てアパートの階段を駆け下り、激しい呼吸で川沿いにへたり込んだ。

 母親は紗良に愛情などない。紗良の行動は全て母親の狂行のトリガー。

「さっさと食べろ! 片付けができないだろ!」

 彼女はテーブルを強く叩きつけながら紗良の椅子を蹴り倒した。

 転がった椅子は家族から仲間外れにされた紗良そのものだった。

「……はい」

 彼女は視線を落とすと肩に食い込んでいるリュックを背中から下ろした。

 こんなことならキツい練習を夜明けまでやっていたい。数学の宿題で居残りさせられたい。その上でうんと遠回りして下校したかった。

 今度は何が原因なのだろう。宿題をやっていて洗濯物を干すのを代わらなかったからなのか、祖父母に母親が怖いと泣きついたのが知られたのか。

 紗良は前髪でカーテンを作るとリュックを片手に子ども部屋へ重たい足を引きずった。

 部屋とは名ばかりでリビングからまる見えのプライベートも何もない空間だ。ここには紗良の私物だけでなく妹と弟のおもちゃもある。それが出しっぱなしで部屋がぐちゃぐちゃなのはいつものこと。

 足を踏み入れた瞬間、今日はカーペットの上におもちゃの姿が見当たらなかった。片付いているなんて珍しいこともあるものだ。

(え……)

 しかし、その上からばらまかれている存在のせいだと気がついた。

 紗良の教科書やノートがシーツのように床を覆っている。中途半端にページを開いて伏した教科書は表紙にクレヨンの落書きがある。

「はぁ……」

 ため息と同時に涙がにじむ。まるで八つ当たりだ。その上で妹たちにキャンパス代わりにさせたのだろう。

 教科書を入れていた棚は置いてあった場所から移動し、狙ったように窓から遠い場所で倒れていた。





 紗良は幼い頃から逃げることを知らずに生きてきた。勉強も部活も逃げたら母親に死ぬほど怒られるからだ。

 体育が苦手な彼女にとって運動部しかない田舎の中学はまさに生き地獄。同級生だけでなく先輩にも後輩にもバカにされた。部活中にケガをすれば笑われるだけでなく、帰ってからドジ呼ばわりされる屈辱を味わった。

 同じ練習量で成績がまるで違う同級生に疑問を抱いた時、紗良はあるスポーツアニメを見た。そこで初めて家に帰ってからもトレーニングすることが大事なことを学んだ。それは勉強も同じ。

 推しに認められるくらい努力を重ねたい。推しのユニフォームをイメージして作ったお守りを体操服や制服のポケットに忍ばせ、苦痛の三年間を駆け抜けた。と、同時に紗良の二次元への愛が目覚めた。

『あいだ、みつもり?』

 光守のことを知ったのもその頃。つらい現実世界を生きる紗良にとって音楽は癒しだった。夜道を走りながらイヤホンから聴こえる曲は全て応援ソングとして受け止めていた。

「はぁ? その程度の熱なら学校に行け。今日は終業式なんだから一日くらい保つはず」

 寒い中走ったのが原因か、紗良は微熱を伴った風邪を引いてしまった。

「あったかくなるまで夜に走るのは禁止! 妹たちや私に移したらどうしてくれる!」

 母親は体温計を忌々しそうに見つめると「私は仕事に行くから」と救急箱に投げ入れた。

 その日は頭痛が続き、マスクのせいで熱がこもって常に頭がぼんやりしていた。先生には「本当に大丈夫? お母さんに迎えに来てもらう?」と声をかけられたが首を横に振ることしかできなかった。










「……大人になった今、恨んでるかどうかと聞かれたら分かりません」

 高校を卒業してまもなく、母親に「小さい時は……ごめんね。紗良にだけ厳しくし過ぎた」と謝られた。

『私だって何もできなくてごめんね……。お母さんは一人で三人も育てて仕事も大変だったよね』

『あの人と離婚してから引っ越して、お友だちと引き離したこと、本当に後悔していて……。ここから通わせることも考えたけど距離的に難しかったの』

『それは大変だよ。だからいいんだよ。私はおじいちゃんおばあちゃんとたくさん会えるようになって嬉しかった。あと実は、水辺の近くに住むことに憧れていたんだよ。幼稚園で貝殻をもらったことがあって……』

 自分でも驚くほど言い訳のような言葉を連ねていた。母親に罪悪感を持たせないように気を遣っているような。全ては紗良がいたから起きたことなのだ、と。

 昔だったら優しい言葉をかけても「どうせ嫌だったんでしょ!」って逆ギレされていただろう。

 今では過去などなかったように良好な関係が続いている。

 これまでは一緒にいる時間が長すぎてうまくいかなかったのだろう。

 しかし。

『お母さんはぁ、紗良のこと好き?』

 幼い頃、妹たちのように後ろ手を組んで首を傾げたら顔を背けられた。

 母親にされたことを全て覚えているわけではない。これだけは今の関係がよくても一生覚えてるだろう。

 紗良はズ、と鼻を鳴らすとうつむいた。

「お母さんが私のことは好きじゃないことだけは確かで……」

「もういい。もういいんです、紗良さん」

 気づけばマフラーが涙でぐちゃぐちゃになっていた。タカヤマで雪が降りしきる中歩いてもこうはならなかった。

 しゃくりあげる声は子どものようで、回想する内に心があの頃に戻ったようだ。表にできなかった恐怖、苦しみ、つらさがこみ上げてくる。

 ヨミは腰をかがめると紗良の頬を包みこみ、子どもにするように目線を合わせる。

 全てを受け止めてくれる優しい表情は仮面ではない。心からのものだと信じられる。

「つらかったことを反芻することはありません。楽しい旅の途中です。私はあなたの好きな事、やりたい事を全て叶えて差し上げたい」

 彼は目を一層細めると腕を広げた。

 初めて会った時も彼はこうしてだまって話を聞き、あやすように抱きしめてくれた。

「うん……」

 人のぬくもりを思い出した瞬間だった。母親が紗良にふれるのは物を投げつけるか手を上げる時だけ。

 大人で紗良を受け止めてくれた人は彼だけ。紗良は静かに鼻をすすってヨミに向かってほほえんだ。

「あばっ……!?」

 瞬間、黒いかたまりが横から迫ってきた。紗良は黒いかたまりから伸びた腕によって抱きかかえられ、地面に伏せられた。

 身構えてない状態でタックルされたので相手諸共地面に転がる。運動が苦手な紗良のことなので予告されていても交わしたり受け身を取ることはできなかっただろうが。

「いったぁ~い……」

 背中の衝撃に違う意味の涙がにじむ。あまりの勢いにぎゅっととじていた目を開けると、黒いニット帽が鼻先をかすめた。ヨミは中途半端に手を伸ばし、「どういう状況でしょう……」とぼやいている。

「だいじょうぶ!?」

「そちらのせいなんですが……どえぁ!?」

 がっちりとホールドされた腕で抱き起こされ、相手は片膝をついた。文句を言ってやろうとニット帽をにらみつけた紗良は、細い目をめいっぱい広げて悲鳴を上げた。

 目深にニット帽をかぶっているのは細身の男。ファーがついた真っ黒なダブルボタンのコートに細身のデニムの着こなしはモデルのよう。その辺で歩いていたら目で追ってしまうだろう。

「み……」

 そしてその正体を知ったらカエルのようにひっくり返る。

「みみみみみみ」

「紗良さん?」

 壊れて一文字を繰り替えす紗良にヨミが手を差し出すと、男は腕に力を入れて紗良を引き寄せた。頭に添えた手を広げて。

(……はっ!?)

 ヨミとは違う抱きしめ方に心臓が全力で鐘を打ち付ける。両手でバチを持っているように。

 紗良はニット帽からはみ出た長めの黒髪とファーにおぼれそうになりながら震え始めた。

 こんな状況があっていいものか。あるとしたらその日は命日だろう。

「みっ……つん」

 大抵画面で阻まれているか遠くから拝むことしか叶わない。

 紗良は初めて本人の前でその名を口にし、震える息をこぼした。目は乾ききっているが、その姿を脳に完璧に焼き付けたくてまばたきを拒んだ。

 名前を呼ばれた彼は紗良の肩を掴むと強く揺さぶる。

「しっかりするんだ!」

 相田光守。紗良にとって三次元で初恋の人。

 彼に至近距離で怒鳴りつけられても紗良には届かなかった。

 推しが目の前に、どころかふれられている。なんだかいい香りもする。夢見心地とはこのことだろう。紗良はぽ~っと頬を染めて光守の顔を見つめた。

 きめ細かな肌、整えられた太めの眉。グリーンの瞳はテレビで見るよりやや吊り目。毛先が首を覆った黒髪のハイライトはつややかな茶色。

「紗良さん、大丈夫ですか?」

「来るな死神!」

「うきゃ」

 ヨミがしゃがみこむと、光守は再び紗良のことを抱きすくめた。推しとの再密着に紗良はカエルがつぶれたような声で空を向いた。

「し、しにがみ……?」

「君、取り憑かれてるよ! 僕はこの男のことを何度か見たことがある……。いつもと違う格好をしているようだが命を奪いに来たんだろう。君のことも……」

 目の前の光守はテレビで見る彼とは別人のようだ。いつもなら静かな瞳で一歩引いてほほえみ、決して声を荒げることはしない。あるとすればミュージカルくらい。

 紗良はごそごそと動いてヨミに顔を向けた。

「……ヨミさんが?」

 目が合ったが彼は何も言わず、光守に向かって口元を和らげた。

「彼女のこと、よくご覧ください」

「え? ……は」

 訝しげに目を細めた光守だったが、紗良の顔を見つめると口をわずかに開いた。

「君はどうして……」

「みっつん……?」

「その……未練があるのかい?」

「え……?」

「えっと……ごめん、言葉を選ばずに言うと……この世に留まっているのには何か理由があるのかい?」

 瞬間、紗良の体が光守をすり抜けて再び地面に伏した。

 まるで紗良が透明人間のように。しかし、なんの痛みも感じない。手には擦りむいた痕跡もない。

「あ……」

 紗良はゆっくりと立ち上がると、ブーツ越しに見えるコンクリートに口が半開きになった。

「「どうして……」」

 光守と声が重なる。周りの景色をぼやけさせるほどのオーラを放つ彼は、自分の手と紗良を見比べていた。
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