君を知らなければこんな想いを知らずに生きた

堂宮ツキ乃

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最終話

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 セイラは会社を辞めた後、すぐに一人暮らしの部屋を引き払った。

 会社を辞めることも、一人暮らしの家から去ることも、後ろ髪を引かれなかったと言ったら嘘になる。

 だが、今の彼女は”彼”のことしか頭になかった。

『セイラの好きにしたらいいじゃない。帰れる場所はここにあるから。困った時は帰ってきなさい。でも、何より旅を楽しんできてね』

 これからのことを母に話したら、”今までお疲れ様”と労われた。

 母に甘えて実家でのんびりした後、最低限の荷物を持って実家を後にした。

 関西の観光地をチェックしながら電車に揺られた後、懐かしい店名が書かれた看板を見上げた。

 ここはセイラが長年働いていたファミレスの、関西で一番端にある店舗だ。

 地元にいる間は無意識に見ないようにしていた。つらい記憶の蓋をゆるめたくなかったからだろう。だが、いざ店を目の前にしたら不思議なほどなんとも思わなかった。

(なんかすごい行列……)

 電柱より高い位置にある看板の下、セイラは大行列に加わっていた。店の外まで行列ができるなんて、ここの店舗はそんなに人気なのだろうか。ようやく店に入れたのは行列に並んでから一時間経った頃だった。

 並んでいる間、この店舗は今日が閉店日だと前の親子連れが教えてくれた。

「え、閉店しちゃうんですか?」

「せやねん。ここな、住宅地に唯一あるファミレスやからめっちゃ人気でいつ来ても混んでんねん。それなのに店員が集まらんとかで泣く泣く閉めることにしたらしいで」

「そうなんですか……」

「ウチんとこの子みたいに小さいと待たれへんしな。たまに地獄絵図みたいになる日もあんねん」

 壮絶な店の様子にセイラは絶句した。同時に自分が働いていた時よりも最悪な状況に吐き気を催した。

(かわいそうに……。つらかっただろうな。本部は相変わらずみたいだし、潰れるのが正解かも……)

 こんな忙しい状況で食事をし、従業員たちの邪魔をするわけにはいかない。別れを惜しみたい客もいるだろう。セイラは挨拶だけしたら帰ろうと決めた。

 親子連れに続いて店に入ると、”これまでのご愛好、誠にありがとうございました”と書かれた黒板が目に飛び込んで来た。文字の周りにはたくさんの紙が貼られている。よく見ると、店員たちへのメッセージが記された付箋だった。

 閉店、と言うとマイナスなイメージがあるが、それを払拭するようなお祭りムードに包まれている。セイラはメッセージを眺め、心がほっこりするのを感じた。

 子どもが一生懸命書いた文字、イラストつきのメッセージ、昔から通っていたのでこの店舗は親友、というあたたかいものばかり。従業員はものすごく忙しくて大変だったかもしれないが、このメッセージで心が救われたらいい。

「天木様ー! 一名でお待ちの天木様ー!」

「っはい!」

 黒板に見とれていたら名前を呼ばれた。騒がしい店内だがおばちゃん従業員の声がよく響く。彼女は記名台の前に立ち、待っている客たちの顔を見渡していた。

 セイラは慌てて彼女に駆け寄り、トートバッグからお菓子が入った箱を取りだした。地元で買っておいたものだ。

「すみません、食事に来たわけじゃないんです……。皆様にご挨拶がしたくて。よかったらこれ、どうぞ」

「え? もしかして……本部の人?」

 おばちゃんはぽかんとした様子で、お菓子とセイラを見比べている。

 肝心なことを聞き忘れた。セイラは勢いよく首を振ると、ここの店長は豊橋とよはしから来た人ではないか、と問うた。

「豊橋? あぁ、せやで! てんちょー! 天木さんて綺麗な人が来てるでー! こんな美人が知り合いなんてきいてないんやけどー!?」

 おばちゃんは店中に声を響かせながらキッチンへ消えた。他の従業員が何事かと、記名台の周りに集まってくる。彼らはそれぞれお盆や下げた食器を持っていた。

 そこへキッチンから、エプロンを外しながら男性従業員が現れた。他の者より年季の入った制服を着ている。セイラが頭を下げると、彼はエプロンを落としかけた。

「天木さん……!? どうしたの!?」

 さっぱりとした短髪、ちょっと出てきたお腹、驚いた表情はあどけない。

 店長は最後に会った日とほとんど変わっていなかった。

「お久しぶりです。お忙しい時にすみません」

「全然、本当に……久しぶりだね」

 お互いに何を言ったらいいか分からず、沈黙が流れた。それを見かねたおばちゃん従業員が二人の背中を押した。

「積もる話があるんやろ? 独身店長、休憩に行ってください。最近は寝てないし休憩もしてないんやから」

「え、あの人独身社畜店長の知り合いなん!? 店長も隅に置けへんなぁ……」

「豊橋からわざわざ来てくれたみたいやで」

 他の従業員たちの好奇の視線をまとい、店長は先を歩いた。

 ここの店舗は休憩室が広い。ロッカーの数も多くあるが、半分以上が鍵がついたままだ。

「……独身社畜店長って呼ばれてるんですね」

 店長の新しいあだ名に思わず笑ってしまった。彼は苦笑いしているが、セイラは内心ホッとしてしまった。

 店長に会いたい、はただ会いたいだけではないと気づいてしまった。レイトに真剣な告白を受けた時に。

「関西の別の店舗に二年いて、今の店舗に異動して三年かな?」

 店長は外にある自販機から缶コーヒーを買ってきて二人の間に置いた。

「相変わらず社畜を極めてるみたいですね」

「うん、怒涛の三年間だったよ……。今までで一番しんどい店だった。変な客も多かったし……」

「……の、割にはにこにこですね?」

 彼はプルトップを上げ、コーヒーを喉に流し込む。”は~生き返った~”と笑った。

「なんせ今日が最後の日だからね」

「あぁ……聞きました。閉店するんですよね」

「それもだけど……。辞めるんだ、この会社」

 あっさりと答えると、残りのコーヒーを飲み干した。軽い音をたてて置いた時、彼の顔は晴れやかなものに変わった。

 少し意外だった。この会社は若者が突然辞めることは多いが、中年になると定年まで働くことが多いからだ。独身のまま四十代を突っ切る者も少なくない。

「天木さんは? あれからどうしてたの?」

「駅前にある会社で働いてたんですけど、辞めて旅暮らしを始めました」

「いいね。俺もそうしようかな」

「じゃ、じゃあ一緒に行きましょう!」

「へ?」

 こんな積極的になったのは初めてだ。椅子をひっくり返して立ち上がると、店長は若干身を引いていた。

 それから従業員が呼びに来るまで、セイラは店長と離れていた間のことを話した。

 お互いに忘れられない存在だった、というのは口に出さなくても分かった。

『俺さ、行ってみたいとこがあるんだよね』

 店の片づけや細かい手続きを終えた日、店長はそう言って手を差し出した。

 それからは好きなだけ旅をした。日本中を巡れたと思う。お互いにそれだけ貯金をため込んでいたことに笑った。

 一緒に旅をしている間、自然に結婚の話題が出た。お互い、結婚願望が強いわけではない。だが、この二人でならずっと一緒にいるのも悪くないと思えたのだ。

「いいんですか? こんな私で……」

「腹黒なのは俺もだよ。君は僕に似てるところが多い。だから、考え方で揉めることはないと思うんだ」

 数年後、セイラは店長の地元に一緒に帰った。後にそのまま住みつき、新たな仕事を見つけてのんびりと暮らした。










 連絡先を消し、名前と顔だけが記憶の海を漂っているあの人。段々薄れそうだが、思い出は生き続いていくようだった。

 仕事の合間にした話、一緒に呑んだ時。

『木山さん、セイラさん狂いでしたよ。俺はそばで見ていたんで分かります』

 気持ちを人に悟られてしまうほど惹かれていたあの人。一緒になることはないし、もう一生会うこともないのかもしれない。

 それでも同じ青空の下、どこかで生きているだろう。レイトが知らない誰かの隣で。

「あれからもう三年っスか?」

 レイトは清田と昼休憩を共にし、食後にコーヒーショップで飲み物を買った。最近はあたたかくなってきたので、駅前の広場のベンチに腰かけた。

「もうそんな経つっけ……」

 レイトは未練たらたらなのを隠そうとせず、盛大にため息を吐いた。脳裏によみがえるのは、セイラと最後に会話をしたあの日のこと。

 彼女は自分の夢を叶え、会いたい人に会いに行った。アテにならなさそうな当てを頼りに。

 もし彼女に再会し、お互い独り身だったらどうしよう。やっぱり自分はセイラにアタックし、彼女はそれをうまく交わそうとするのだろうか。

『今度こそ付き合ってください。てか……一緒になりましょう』

 レイトにとって都合のいい妄想かもしれないが、セイラは”仕方ないなぁ”と笑ってくれそうだ。

 あの柔和な、他の誰とも似ていない笑顔で。

「今までの行いに対してのバチが未だに続いてんのかな……」

「ありえますね。泣かせてきた女の子は数知れず、でしょ」

「……否定しづらい」

「だったら贖罪ですかね……。その期間が過ぎたらまた、好きな人ができるかもしれないですよ」

 レイトはカップを傾けた。中身はほうじ茶ラテ。甘いこの飲み物にハマってしまい、よく飲むようになった。

「キヨのくせに難しい言葉知ってんな」

 セイラがどこかで幸せでいたらそれはそれでいい。

 自分がいつかまた、たった一人だけ夢中になれる人に出会えたら。

「今度こそは誠実に行かないと……」

「なんスか?」

「なんにも」

 セイラと別れた時と同じ季節がもうすぐ終わる。

 冬の寒さが和らいだ、新しい季節の風が彼の髪をなびかせた。

Fin.
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