たとえこの恋が世界を滅ぼしても6

堂宮ツキ乃

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世界でたった1人の娘

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 可愛い物が好きでそれらに囲まれて過ごす彼女の笑顔は眩しかった。

 レースを惜しげなくたっぷりとあしらった色とりどりのワンピース。野の花で作ったかんむり。両親から贈られた宝石やアクセサリーを詰めた宝箱。ふわふわなベッドと透き通るほど薄い生地に刺繍を施した天蓋。手の平サイズから大人の身長ほどもあるくまのぬいぐるみ。彼女が欲しがるものはなんでも買い与えた。

 そんな彼女のことを本当の娘のように大切に育てた。彼女が物心ついた頃から「お父さん」と呼ばれるのは悪い気はしなかった。

 産みの両親もきょうだいのことも記憶に無い彼だ。娘ほど歳が離れた彼女との生活は彼の人生で初めて幸福というものを味わった。

 億万長者。否、それ以上になったのは彼女を引き取る少し前のこと。それまではスラム街と呼ばれる様なドブネズミの溜まり場で過ごし、変わり者の貴族に拾われるまで盗みを繰り返して生きてきた。

 自分を拾ってくれた貴族は召使いというものを雇うことを良しとせず、なんでも自分でやりたがった。庭仕事も料理も洗濯も。人任せでは体が鈍ってしまうから、と。

 周りには貴族としての威厳が感じられないだの実は金が無くて仕方なく自分でやっているのだと陰口を叩かれていたが、本人は何も気にしていないようだった。そんなものは勝手に言わせておいてほっておけばいいと笑い飛ばしてしまうような人だった。

 しかしそんな変わり者貴族にも皆が知らない裏の顔を持っていた。

 彼が拾われた時に体を診てもらった医者は変わり者貴族の唯一の友人だと言っても過言ではない。その医者はいつも分厚いレンズの丸眼鏡に薄汚れた白衣、艶を帯びた年季の入ったドクターバッグを携えていた。そして何より長身痩躯でこけた頬に貼り付けた不気味な笑みが嫌な意味で目を引く。

 その医者は変わり者貴族と共に地下室でとある研究をしていた。

 それは人間が不老長寿になるための薬開発。どんな病気にも怪我にも効く万能薬。彼らはそれを生み出すためならどんな薬でも手に入れ自分で試す。世間ではいわゆる麻薬、劇薬と呼ばれるものですら。その姿は彼の瞳には神への反逆行為に映った。

 とうとうそれが完成したというある夜、医者と変わり者の貴族はそれを試して化け物と化した。皮膚の下の肉が膨れ上がり終いには皮膚がはり裂けて辺りには血が飛び散った。どこに顔があったのかもう分からない。その様子を見ていた彼はここに引き取られたことをひどく後悔し、早く逃げなければと後退りをした。しかし運悪く足元には薬が入っていた瓶が転がっており、彼はそれを踏んづけて思い切り尻餅をついた。

 その大きな音に気がついた2人────否、二体の怪物はゆっくりと振り返り、彼に向かってゆっくりと歩き出した。歩くというよりは這いずると言うべきか。4本の手足だったようなものを使って這いずり、床を自分たちの血で汚した。すると肉塊の先端部分を持ち上げて大きく口を開け、辺りに血液混じりの唾液を飛び散らせた。真っ赤な口内には長年の薬物の影響か歯が溶けたり欠けたりしてボロボロになっている。

 腰が抜けて動けなくなってしまった彼はこのまま食われるのを待つしか無いと覚悟をしたが、後ろから肩をつかまれて遥か後方に吹っ飛ばされた。

 そして響いたのは力強い二発の銃声。同時に怪物が体を引きずる不気味な音が止み、代わりにこの世の終わりを告げるような金切声が屋敷中に響いた。

 彼は断末魔の叫びが聞こえている間、耳を塞いでこれは夢だと自分に言い聞かせた。そうでもしないと気が狂って今にも吐き出しそうだった。やがて静かになると痛む尻をさすりながら、座ったままゆっくりと振り返った。

 二体の怪物はただの肉片と化し、床には真っ赤な水溜りが出来上がっていた。

 それを冷たい目で見下ろしているのは白衣姿の痩せた女だった。眼鏡をかけ、悲しみと呆れと同情と後悔を織りまぜた冷たい表情は、この屋敷に出入りしてた医者によく似ている。

 彼女はこの屋敷を出入りする医者の娘だと名乗った。父の神への叛逆行為を止めたかったのにできなかったと消え入りそうな声で落ち込んだ。先ほど彼を吹っ飛ばした剛腕の女だとはとても思えない。

 保護者を同時に亡くした2人はこの屋敷の新たな主となり、彼は世間的には変わり者貴族の跡を継ぐことになった。社交界でのマナーや立ち振る舞いを徹底的に叩き込み、上流階級の人間として恥ずかしくない作法を身に付けた。

 20歳を過ぎ、貴族として慈善活動に参加することになった彼は人生で最もつらく厳しかった時代を生きたスラム街に訪れた。そこで出会ったのがまだ幼く薄汚れて小さく震えている彼女。今まで何人もの幼い子どもを見てきたが興味が湧かず目をそらしていたのに、彼女だけはここから救い出したいと強く思った。

 そして連れて帰ってきた次第。始めは慣れない環境に怖がってまともに口をきいてもらえなかったが、同性である医者の娘を介して会話をするようになりいつしか「お父さん」と呼ばれるようになった。

 そこで味わった幸福は人生で初めて面映くて温かな春の優しい風に包まれたようだった。
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