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お盆を過ぎると夏の暑さが和らぎ、九月に入れば日中でも涼しい風が肌をなでる。
十月の富橋の朝晩は肌寒いくらいだ。
そんな街の駅前大通りにある喫茶店。窓の向こうでは市電が車体を重たそうに引きずりながらスピードを上げていく。
ドアノブに手をかけるとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。目が覚めるような香ばしさだ。
店内にはカウンター席と四人掛けのソファ席が一つ。
そこには二人の女性が向かい合って座っている。二人は幼子がケーキを頬張る様子に目を細めていた。
「ママ、いっちゃん! このぶどうケーキおいしいよ!」
幼子は口の横にクリームをつけて頬を膨らませた。小さなもみじには蔓バラをモチーフにしたアンティークフォーク。
「あーらら志麻ったら~。お口が白くなってるわよぉ」
蜜柑色の髪を持つ母親がテーブルナプキンに手を伸ばす。
「ナガノパープルよ。サービスでくれるって、なんて太っ腹な老紳士なのかしら……」
「ママといっちゃんも食べる?」
「いいのよ、志麻がもらったんだから」
「そうよ」
目の前に座る柿色の髪の女性は両肘をついた。組んだ手の上にアゴをのせ、カウンター席の中に立つマスターを見つめる。
そこにはロマンスグレーの紳士が一人。たっぷりとたくわえたシルバーの口ひげは丁寧に整えられている。
洒落た刺繍が入ったベストに鳶茶のスラックス。首元には蝶ネクタイ、胸ポケットからはポケットチーフが顔をのぞかせる。コーヒーもだが紅茶も似合いそうだ。
手元には挽きたての豆、注ぎ口が細くて湾曲した銅色のやかん。
彼は湿らせたフィルターに豆をセットした。濡らす程度にお湯をかけると芳醇なコーヒーの香りが漂う。
「異動してからどうだ?」
マスターは目の前の客と談笑を始めた。彼らはいっちゃんこと一葉より上の世代のようだ。
「随分忙しくなったけど……昇給したんで奥さんが万々歳です」
「前原さ~ん。昇進祝いとして俺にもケーキくれよぉ~」
「いいぞ。一切れ千円だ」
「せんえ……!?」
「……フッ」
いたずらっぽい銅色の瞳に店内のマダムたちが一斉に顔を伏せた。中には胸を押さえている者もいる。一葉は静かに笑い、妹が姪と頬を擦り合わせている様子に顔を綻ばせた。
「ケーキ屋のせがれが作った新作だからな」
マスターは志麻たちのテーブル席に顔を向けると口髭をなでた。志麻が「ありがとー」と手を振ると口髭が横に伸びる。
「すぎちゃん、今日は俺が奢るよ」
「つじもっちゃんだって昇進しただろ!? あ、じゃあ今度は俺が奢るから!」
彼らの会話をBGMにマスターはお湯を注いだ。伏せた瞳と穏やかな横顔は昼下がりの太陽のよう。マダムたちは再び、うっとりとした空気をまとった。
マスターはドリップを回した後、蔓がデザインされたカップを二つ用意した。縁の金色がきらめく。
「まぁ……スペシャルブレンドを用意するよ」
「まっじで!? やったー!」
「ごちそうさまです、前原さん」
対照的な反応に店内のあちこちから失笑がもれた。おじさんと呼んでも過言ではない彼の姿は子どもだ。
「……うっ」
「お姉ちゃん?」
マスターの仕方なさそうに眉を下げた様子に、一葉が襟元を掴んだ。震えながら口元を押さえている。
「枯れ専なのは認める……」
「昔から知ってるよ~」
悶えている姉の様子を見守りながら二菜は志麻を膝に乗せた。
「かれせん?」
「いっちゃんは年上が好きなのよぉ。旦那さんも十個上なの」
「としうえ……」
志麻は空になった皿を見つめると指をくわえた。
「久しぶりに富橋に来られてよかったわぁ~。こういう喫茶店も懐かしくていいのよねぇ」
「志麻もいろいろ食べられるようになったしね」
「そ~そ~! 一人前のラーメンも食べられるようになったの」
「やるわね。じゃあ今度は……」
志麻はマスターが店の外に出たのを見つけてその後を追った。一葉と二菜の話が弾み、退屈になってきたからだ。
「んんー……」
重たい扉を押すが開かない。彼女はドアレバーという存在に気づいていなかった。
今日は伯母である一葉に会いに来た。幼い頃からこうして富橋に通っているので親しみのある街の一つだ。
海と山に挟まれて田んぼだらけの地元と違って建物が多い。駅も大きく、線路の本数も志麻が知っている数では数え切れない。彼女にとってここは大都会だ。
「お嬢ちゃん、どうぞ」
突然、扉の抵抗が消えた。外気とコーヒーの香りが混ざり合う。
見上げると”つじもっちゃん”と呼ばれていたおじさんが志麻のことを見下ろしていた。柔和そうな細い目が三日月を寝かせる。
なぜかその時、マスターの孫を前にした時と同じ感覚になった。熱い顔で見つめていると彼が首をかしげる。
志麻は大人がよくやっているように頭をペコッと下げ、ドアの隙間をすり抜けた。「猫みたいだね」と笑う声を背中で聞きながら。
(あ、おじいちゃん)
マスターは喫茶店のそばでパイプをふかしていた。
金木犀の香りをのせた風がロマンスグレーの前髪を揺らす。紫煙をくゆらす彼の瞳はマダムたちを虜にしていた甘いものとはずっと違う。どこか擦れたような、何度も人生を繰り返して全て知り尽くした諦めの色が浮かんでいる。
そんな大人な表情のまま、彼は銅色の瞳をとじた。
瞬間、彼の髪色がカラスの羽と同じ色に変わっていく。顔に刻まれたシワはパテで埋めたように消えた。立派な口髭も霧散する。
キッチリと前を留めたワイシャツは第一ボタンが外れ、袖が肘上まで上がる。洒落たベストは蝶ネクタイが混ざったように黒一色に変わった。
再び開けた瞳は青銅色。落ち着いた双眸を持った青年が立っていた。煙草を指に挟んで。
「お……」
「おや……んんっ。よう、嬢ちゃん。どうした?」
渋く威厳のあるバリトンボイスだったが、クールさを秘めた甘いテノールボイスが紡がれる。
母親たちよりも若く見える彼は腰を屈めた。煙草を灰皿スタンドに押し込んでから。
「おじいちゃんがお兄ちゃんになった!?!?」
「見ちまったか……」
額にかかる髪をかきあげ、彼は志麻のことを軽々と抱き上げた。
「ねぇどうして!?」
「ガキが知る必要はねぇよ」
今の彼は「よかったらケーキ食べるかい」と、おまけしてくれた老紳士の面影はない。
「”再生”を見ちまった上に記憶が改ざんされない……。お前、何者だ? 新参者の堕天使か?」
「だ、てんし……?」
鋭い瞳は駅ビルの洋食屋で見た、食品サンプルに添えられたナイフのよう。
志麻が瞳をじっと見つめていると、彼は気の抜けた顔に変わった。
彼が何を話しているのか理解できない。その代わり瞳の美しさに心を奪われた。
青と緑を混ざり合わせた色は船から見た海によく似ている。
「……死神さんが差し向けたヤツじゃなさそうだな」
瞳に向かって手を伸ばすと、彼がフイと顔をそらした。そのままドアレバーに手をかける。
「あ、慶司ー。会計ー」
”すぎちゃん”と呼ばれていたひょうきんなおじさんが手を振っている。
「腕を上げたな、慶司。最高のスペシャルブレンドだったよ。おじいさんの味によく似てた」
「まだ18歳だろ? マスターから店を継ぐのが孫って聞いた時は驚いたぞ」
(え……?)
マスター、前原慶司。店にいる全員の彼に対する呼び方が変わっている。それどころか見た目が変わったことに気がついていないようなふるまい方だ。
(皆気づいてないの……?)
志麻は慶司の腕から二菜の膝の上に移された。「かっこいいお兄ちゃんに抱っこしてもらえてよかったわねぇ」、「好青年よね」と、母たちの会話を聞きながら。
店のマダムたちは遠目にマスターの所作に見とれているだけだったのに、慶司の二の腕をバシッとはたいて笑っている。
『”再生”を見ちまった上に記憶が改ざんされない……。お前、何者だ? 新参者の堕天使か?』
志麻の頭の中ではいつまでも、慶司の言葉がこだましていた。
広小路通りにあるカフェ。レンガ舗装に面したここは木の柔らかな色合いが印象的なたたずまいだ。
大きな窓に面した席ではカップルが一つのメニューをのぞきこんでいる。
「いらっしゃいませー!」
ガラスがはめこまれたドアがベルを鳴らす前に明るい声が飛ぶ。
「二名様ですか? テーブル席へどうぞ!」
声の主は小柄な女性店員。オレンジの小さなポニーテールを赤いシュシュでまとめている。ホールを動き回っているのは彼女一人のようだ。
四人掛けのテーブルソファ席が一つ。窓側に面したカウンターテーブルに椅子が三つ。そしてキッチン前にはカウンター席が五つ。
キッチンの中では大柄な男がフライパンを振るっている。黒髪に青銅色の瞳は一見クールな印象だが口元は柔らかい。
フライパンの中身は半熟卵。手早く手前に寄せて形を整えるとプレートに移し、小鍋を手に取る。中身は自家製トマトソースだ。
同じプレートに緑があざやかなサラダ、ミニトマト、からあげをのせる。その素早さにカウンター席の全員が見とれていた。
「お待たせしました。スペシャルランチです」
「うんまそー! オムレツすげー!」
カウンター越しにプレートを受け取った客は目を見開いた。彼氏のプレートをのぞきこんだ彼女はスマホを向ける。
「それとセットのパスタです」
「日替わりパスタ! これは……」
「ツナと白だしのパスタです。妻が考えたんですよ」
カウンター内の男は彼女に生ハムのせカルボナーラの深皿を差し出した。しかし、その視線はテーブル席でオーダーを取っているポニーテールを捉えている。
「奥さんって……あちらの?」
「えぇ。籍を入れたばっかですけど」
「あ、そうなんですか!? おめでとうございます!」
三人の会話は店内に響き渡り、たちまちお祝いムードに。
妻であるホールスタッフ────志麻は振り向くと「えへへ……」と後頭部をかいた。
十月の富橋の朝晩は肌寒いくらいだ。
そんな街の駅前大通りにある喫茶店。窓の向こうでは市電が車体を重たそうに引きずりながらスピードを上げていく。
ドアノブに手をかけるとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。目が覚めるような香ばしさだ。
店内にはカウンター席と四人掛けのソファ席が一つ。
そこには二人の女性が向かい合って座っている。二人は幼子がケーキを頬張る様子に目を細めていた。
「ママ、いっちゃん! このぶどうケーキおいしいよ!」
幼子は口の横にクリームをつけて頬を膨らませた。小さなもみじには蔓バラをモチーフにしたアンティークフォーク。
「あーらら志麻ったら~。お口が白くなってるわよぉ」
蜜柑色の髪を持つ母親がテーブルナプキンに手を伸ばす。
「ナガノパープルよ。サービスでくれるって、なんて太っ腹な老紳士なのかしら……」
「ママといっちゃんも食べる?」
「いいのよ、志麻がもらったんだから」
「そうよ」
目の前に座る柿色の髪の女性は両肘をついた。組んだ手の上にアゴをのせ、カウンター席の中に立つマスターを見つめる。
そこにはロマンスグレーの紳士が一人。たっぷりとたくわえたシルバーの口ひげは丁寧に整えられている。
洒落た刺繍が入ったベストに鳶茶のスラックス。首元には蝶ネクタイ、胸ポケットからはポケットチーフが顔をのぞかせる。コーヒーもだが紅茶も似合いそうだ。
手元には挽きたての豆、注ぎ口が細くて湾曲した銅色のやかん。
彼は湿らせたフィルターに豆をセットした。濡らす程度にお湯をかけると芳醇なコーヒーの香りが漂う。
「異動してからどうだ?」
マスターは目の前の客と談笑を始めた。彼らはいっちゃんこと一葉より上の世代のようだ。
「随分忙しくなったけど……昇給したんで奥さんが万々歳です」
「前原さ~ん。昇進祝いとして俺にもケーキくれよぉ~」
「いいぞ。一切れ千円だ」
「せんえ……!?」
「……フッ」
いたずらっぽい銅色の瞳に店内のマダムたちが一斉に顔を伏せた。中には胸を押さえている者もいる。一葉は静かに笑い、妹が姪と頬を擦り合わせている様子に顔を綻ばせた。
「ケーキ屋のせがれが作った新作だからな」
マスターは志麻たちのテーブル席に顔を向けると口髭をなでた。志麻が「ありがとー」と手を振ると口髭が横に伸びる。
「すぎちゃん、今日は俺が奢るよ」
「つじもっちゃんだって昇進しただろ!? あ、じゃあ今度は俺が奢るから!」
彼らの会話をBGMにマスターはお湯を注いだ。伏せた瞳と穏やかな横顔は昼下がりの太陽のよう。マダムたちは再び、うっとりとした空気をまとった。
マスターはドリップを回した後、蔓がデザインされたカップを二つ用意した。縁の金色がきらめく。
「まぁ……スペシャルブレンドを用意するよ」
「まっじで!? やったー!」
「ごちそうさまです、前原さん」
対照的な反応に店内のあちこちから失笑がもれた。おじさんと呼んでも過言ではない彼の姿は子どもだ。
「……うっ」
「お姉ちゃん?」
マスターの仕方なさそうに眉を下げた様子に、一葉が襟元を掴んだ。震えながら口元を押さえている。
「枯れ専なのは認める……」
「昔から知ってるよ~」
悶えている姉の様子を見守りながら二菜は志麻を膝に乗せた。
「かれせん?」
「いっちゃんは年上が好きなのよぉ。旦那さんも十個上なの」
「としうえ……」
志麻は空になった皿を見つめると指をくわえた。
「久しぶりに富橋に来られてよかったわぁ~。こういう喫茶店も懐かしくていいのよねぇ」
「志麻もいろいろ食べられるようになったしね」
「そ~そ~! 一人前のラーメンも食べられるようになったの」
「やるわね。じゃあ今度は……」
志麻はマスターが店の外に出たのを見つけてその後を追った。一葉と二菜の話が弾み、退屈になってきたからだ。
「んんー……」
重たい扉を押すが開かない。彼女はドアレバーという存在に気づいていなかった。
今日は伯母である一葉に会いに来た。幼い頃からこうして富橋に通っているので親しみのある街の一つだ。
海と山に挟まれて田んぼだらけの地元と違って建物が多い。駅も大きく、線路の本数も志麻が知っている数では数え切れない。彼女にとってここは大都会だ。
「お嬢ちゃん、どうぞ」
突然、扉の抵抗が消えた。外気とコーヒーの香りが混ざり合う。
見上げると”つじもっちゃん”と呼ばれていたおじさんが志麻のことを見下ろしていた。柔和そうな細い目が三日月を寝かせる。
なぜかその時、マスターの孫を前にした時と同じ感覚になった。熱い顔で見つめていると彼が首をかしげる。
志麻は大人がよくやっているように頭をペコッと下げ、ドアの隙間をすり抜けた。「猫みたいだね」と笑う声を背中で聞きながら。
(あ、おじいちゃん)
マスターは喫茶店のそばでパイプをふかしていた。
金木犀の香りをのせた風がロマンスグレーの前髪を揺らす。紫煙をくゆらす彼の瞳はマダムたちを虜にしていた甘いものとはずっと違う。どこか擦れたような、何度も人生を繰り返して全て知り尽くした諦めの色が浮かんでいる。
そんな大人な表情のまま、彼は銅色の瞳をとじた。
瞬間、彼の髪色がカラスの羽と同じ色に変わっていく。顔に刻まれたシワはパテで埋めたように消えた。立派な口髭も霧散する。
キッチリと前を留めたワイシャツは第一ボタンが外れ、袖が肘上まで上がる。洒落たベストは蝶ネクタイが混ざったように黒一色に変わった。
再び開けた瞳は青銅色。落ち着いた双眸を持った青年が立っていた。煙草を指に挟んで。
「お……」
「おや……んんっ。よう、嬢ちゃん。どうした?」
渋く威厳のあるバリトンボイスだったが、クールさを秘めた甘いテノールボイスが紡がれる。
母親たちよりも若く見える彼は腰を屈めた。煙草を灰皿スタンドに押し込んでから。
「おじいちゃんがお兄ちゃんになった!?!?」
「見ちまったか……」
額にかかる髪をかきあげ、彼は志麻のことを軽々と抱き上げた。
「ねぇどうして!?」
「ガキが知る必要はねぇよ」
今の彼は「よかったらケーキ食べるかい」と、おまけしてくれた老紳士の面影はない。
「”再生”を見ちまった上に記憶が改ざんされない……。お前、何者だ? 新参者の堕天使か?」
「だ、てんし……?」
鋭い瞳は駅ビルの洋食屋で見た、食品サンプルに添えられたナイフのよう。
志麻が瞳をじっと見つめていると、彼は気の抜けた顔に変わった。
彼が何を話しているのか理解できない。その代わり瞳の美しさに心を奪われた。
青と緑を混ざり合わせた色は船から見た海によく似ている。
「……死神さんが差し向けたヤツじゃなさそうだな」
瞳に向かって手を伸ばすと、彼がフイと顔をそらした。そのままドアレバーに手をかける。
「あ、慶司ー。会計ー」
”すぎちゃん”と呼ばれていたひょうきんなおじさんが手を振っている。
「腕を上げたな、慶司。最高のスペシャルブレンドだったよ。おじいさんの味によく似てた」
「まだ18歳だろ? マスターから店を継ぐのが孫って聞いた時は驚いたぞ」
(え……?)
マスター、前原慶司。店にいる全員の彼に対する呼び方が変わっている。それどころか見た目が変わったことに気がついていないようなふるまい方だ。
(皆気づいてないの……?)
志麻は慶司の腕から二菜の膝の上に移された。「かっこいいお兄ちゃんに抱っこしてもらえてよかったわねぇ」、「好青年よね」と、母たちの会話を聞きながら。
店のマダムたちは遠目にマスターの所作に見とれているだけだったのに、慶司の二の腕をバシッとはたいて笑っている。
『”再生”を見ちまった上に記憶が改ざんされない……。お前、何者だ? 新参者の堕天使か?』
志麻の頭の中ではいつまでも、慶司の言葉がこだましていた。
広小路通りにあるカフェ。レンガ舗装に面したここは木の柔らかな色合いが印象的なたたずまいだ。
大きな窓に面した席ではカップルが一つのメニューをのぞきこんでいる。
「いらっしゃいませー!」
ガラスがはめこまれたドアがベルを鳴らす前に明るい声が飛ぶ。
「二名様ですか? テーブル席へどうぞ!」
声の主は小柄な女性店員。オレンジの小さなポニーテールを赤いシュシュでまとめている。ホールを動き回っているのは彼女一人のようだ。
四人掛けのテーブルソファ席が一つ。窓側に面したカウンターテーブルに椅子が三つ。そしてキッチン前にはカウンター席が五つ。
キッチンの中では大柄な男がフライパンを振るっている。黒髪に青銅色の瞳は一見クールな印象だが口元は柔らかい。
フライパンの中身は半熟卵。手早く手前に寄せて形を整えるとプレートに移し、小鍋を手に取る。中身は自家製トマトソースだ。
同じプレートに緑があざやかなサラダ、ミニトマト、からあげをのせる。その素早さにカウンター席の全員が見とれていた。
「お待たせしました。スペシャルランチです」
「うんまそー! オムレツすげー!」
カウンター越しにプレートを受け取った客は目を見開いた。彼氏のプレートをのぞきこんだ彼女はスマホを向ける。
「それとセットのパスタです」
「日替わりパスタ! これは……」
「ツナと白だしのパスタです。妻が考えたんですよ」
カウンター内の男は彼女に生ハムのせカルボナーラの深皿を差し出した。しかし、その視線はテーブル席でオーダーを取っているポニーテールを捉えている。
「奥さんって……あちらの?」
「えぇ。籍を入れたばっかですけど」
「あ、そうなんですか!? おめでとうございます!」
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