魔王の嫁はコスプレイヤー

堂宮ツキ乃

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 海と山に挟まれ田んぼが多い田舎。夏には海水浴に海の家に、と楽しめる。

 電車は一つの路線のみで普通列車が一時間に二本。

 山沿いには小さな神社がポツリポツリと建ち、お寺も多い。

 主要な道路につながる道の沿いには大きな工場。配送から帰ってきたトラックが広い敷地へ吸い込まれていく。

 ちょっとした観光地の田舎に住む志麻は、ゆるゆると活動しているコスプレイヤー兼社会人。

 最終学歴は大学。大学生時代にバイトをしていたレンタルスタジオに正社員として雇われ、約六年働いた後に退職した。

 そこでは大学生活と共にスタートした、コスプレで鍛えた撮影技術が役に立った。

 盛れる角度を探す女の子のサポートをしたり、リングライトを掲げたり。時にはぐずり出す子どもの気分をのせて思い出を写真にとじこめたこともある。

 フォトウエディングでは気合を入れて新郎新婦のために体を張り、ドレスやベールをなびかるために何度もダッシュをした。





「成人式の前撮りでテーピングしてきた子がいたのはびっくりした」

「えぇ?」

 志麻は目の前のレイヤー仲間と顔を見合わせた。ピンクパープルの髪をした彼女は高校の後輩。当時、同じバイト先だったことがきっかけで仲良くなった。

 コスプレイベントに一緒に参加するだけでなく、ウィッグセットや衣装作りという修羅場も潜り抜けた。古民家を借りてロケ撮影に行ったこともある。

 今日は彼女────ヤンヤンと蒲里がまり駅近くへ呑みに来ている。志麻のコス活動が縮小してからも二人はこうして会っていた。

「その子もレイヤーなんだって。中学生からコスしてるって……時代ねぇ」

「未成年多くなったなー。SNSのプロフィールに義務教育とか18↓って書いてあると震える。あと『テスト週間に入るのでコス休止します』ってなめとんのかってならない? ガチの休止は数週間程度じゃないやろ」

「文化祭でコスしてステージ立った、ってのも見たことあるよ。校内での動画とか写真載せてたけど大丈夫なのかな?」

「ネットリテラシーが今と昔じゃ違うんだよ、知らんけど」

 ヤンヤンは残り少なくなったジョッキを傾け、テーブルの端に置いた。

「あたしの目標は推し全員のコス写を残すことだけど、中学生からレイヤーしてないと死ぬまでかかりそう……」

 彼女は志麻より後からコスプレを始めたクチだが、クオリティが段違いだ。コミュ力が高いので友だちも多い。

 ヤンヤンがレイヤー仲間の家に泊まった時のこと。家主がお風呂から出るまでは起きてようと思っていたが、朝起こされたらしい。「この子、人ン家で九時間寝てたで。どこでも寝れるんやな。シマリスさんの言うてた通り遠慮がないわ」と共通の仲間に報告された。

「志麻はどう? 自分の居場所を見つけられた? 仕事辞めたんでしょ」

「うん、見つかりそうな気がする」

 志麻がだし巻き卵に箸を伸ばすと、ヤンヤンは身を乗り出した。

 二十代後半に入った頃から後輩のコスのクオリティに感嘆すると同時に焦燥感に駆られるようになった。

 志麻のコスプレメイクの技術は中途半端。SNSの更新も亀。上達していくのはカメラの腕前だけ。

 仕事だって大学生の頃から変わらない。対するヤンヤンは就活を三回経験している。未だ実家暮らしの志麻はいつしか、このままではいけないと新生活を夢に描くようになった。

「私の伯母が富橋とみはしに住んでいるんだけど、あるカフェに私を推薦してくれたんだ! 就活せずに済んじゃっていいやら悪いやら……」

「子どもの頃によく行ってたってカフェ?」

 志麻が伯母に会うのは市電の線路沿いにある喫茶店だった。上品な老紳士が営む、地元の人に愛されているお店。

 実は中学生になってからは部活が忙しくて行っていない。高校生になってからはバイトを始めたせいで。大学生になるとコスプレを始めた上に、富橋とみはしとは反対方向へ通学していた。

『あんたが大好きな慶司お兄ちゃんに話したら即採用だって』

『やめてくれいっちゃん! もうアラサーなんですが!?』

『私にとってはいつまでも可愛い姪っ子なのよ』

 慶司は一見冷たい大人だが、子どもの志麻の「ねぇ聞いて聞いて!」を嫌がらずに聞いてくれる人だった。

「いいじゃん! また皆で行くよ。富橋とみはしにできたスタジオに行きたいねーって話してたとこだからさ。志麻も余裕あったら行こうよ」

 だし巻き卵に大根おろしをのせると、ヤンヤンは追加のパインサワーを受け取って店員にほほえんだ。そして志麻に向かってグッと親指を立てる。

「うん、諸々待ってる」

 ヤンヤンはコスプレの予定を急かさない。志麻がコスプレ活動を縮小しても疎遠になることはなかった。

 志麻は彼女の優しさに、その日何度目かの乾杯を交わした。










 久しぶりの富橋とみはし駅。志麻は電車が止まるとキャリーの持ち手を引き上げた。

 伯母夫婦に会う時は直接家に行くようになってたし、買い物をする時はナゴヤまで行くことが多かった。

 広小路通りにある広い本屋は変わらない。ここではよく両親に本やマンガを買ってもらっていた。アニメグッズ売り場の存在に気づくとそちらも。その頃からオタクの片鱗を見せていたのか……と、苦笑いが浮かんだ。

 本屋と併設しているのは全国的どころか世界的に有名なファーストフード店。前を通り過ぎると地元に根ざしたうどん屋、小料理屋、居酒屋などが続く。

 急に現れる脇道には夜のお店が立ち並ぶ通り。昼間のせいか閑散としている。ビールに飛び込んだように錯覚するプリントのトラックが停まっているだけ。

 歩車分離式の横断歩道を渡ると道が石畳に変わり、そこに例のカフェが現れた。

 新たな職場に緊張しつつ、志麻はドアを押した。軽やかなベルの音が彼女を歓迎する。

「こんにちはー……?」

 カウンター席では一人の男が突っ伏している。無防備な横顔は懐かしいものだ。と、同時に目ん玉が飛び出すような衝撃が走った。

(ば、バリイケメン……!)

 ストレートの黒い短髪、形のいい眉、束感のあるまつ毛、その下には小さなほくろ。慶司だ。

 声をかけるのをはばかれて寝姿を観察していると、枕代わりの腕が引っこ抜かれた。

「う、ん゛……?」

 男がうなる声が静かに響く。頭をかきながらあくびをし、志麻に向かって目を細めた。

 この様子は認識されていないようだ。それも無理はない。なんせ十六年ぶりの再会だ。

「おっ、お久しぶりです! 三田園みたぞの志麻です。今日からお世話になります」

 勢いよく頭を振り被ると、やっと納得した顔になった。

「大きくなったな……。いくつになったんだ?」

「28になりました。けど……」

「ん?」

「どうして慶司お兄ちゃんは変わっていないんですか……?」

 最後に彼の顔を見た時、彼は三十路だったので既に四十代に入っているはずだ。しかし彼の肌にはハリがあり、髪に白いものも混ざっていない。手にも年齢を刻んでいないようだ。

「お前に合わせて姿を変えたからだよ」

「姿を変えたってあの時みたいに……!」

 おじいちゃんがお兄ちゃんに。魔法のように若返る様を見たことは一生忘れられないだろう。後々、厨二心をくすぐられた。

「そんなことよりあの時の返事がしたい」

 慶司は立ち上がると、前髪を整えながら志麻に歩み寄った。緑のソムリエエプロンの皺を伸ばすとわざとらしい咳払いをし、切れ長の瞳を和らげて。

「嬢ちゃんも成人した。今の俺は30歳。これなら問題ない」

「え、と……あの、何が?」

 見上げてしまうほどの高身長。志麻が出会った人の中で一番かもしれない。そのせいで圧を感じ、志麻は半歩ずつ後ずさった。

「志麻のプロポーズ、謹んで受けるよ」

「は……はい?」

「言ってただろう、お兄ちゃんと結婚するって」

 手を差し出してほほえむ彼を前にし、志麻は硬直した。

 まるでプロポーズのような言葉。その手に指輪が入った小箱があっても違和感ないだろう。

『けーじお兄ちゃん!』

『志麻は本当に慶司君が好きねぇ』

『かっこいいもん! 志麻をお嫁さんにして!』

『慶司君を選ぶなんていい趣味してるじゃない』

 子どもの頃のことだ。幼い志麻は慶司に会う度プロポーズの言葉を口にしていた。

 おじいちゃんからお兄ちゃんへと変貌した彼の不思議な魅力に取りつかれたのだ。保育園で見る男の子よりずっとかっこよくて、デザートをサービスしてくれる彼のことが大好きだった。

 しかし、今ではれっきとした黒歴史。度胸がありすぎるのも困る話だ。

「言ってましたけど! それは子どもの戯言でしょ……。いい歳してずっと信じていたんですか……。てかロリコン?」

「お前が熱烈にプロポーズするからその気になったんだが」

 青銅色の瞳にかかった前髪が揺れる。

(え、えぇ……)

 あれだけ好きだった男の人なのに、と志麻は片頬を引くつかせた。

 それに気づいていないのか、慶司はスクランブル交差点がある方向を指差した。

「ウチの近所にジュエリーショップがあるんだが……」

「ま、待て待て」

 志麻は今にも仕事を放棄しそうな慶司の腕を掴んだ。










「ありがとうございました~」

 志麻はカップルが店を出るのを見送り、ダスターを手に取った。

 時刻は13時。

 志麻の仕事と言えば注文を慶司に伝え、出来上がった料理を運び、会計。そして席の片づけ。

「接客業の経験が長いんだってな。花菱はなびしさんから聞いてるぞ」

 店内に人がいなくなると慶司はカウンターキッチンから出てきた。そして頬を染める。

「こんな奥さんが来てくれるのが夢だったんだ」

「……いらっしゃいませー!」

 慶司が再び迫る前にドアが開いたのでそちらへ視線を逃がした。職業病レベルの反射神経が備わってよかったと思う。営業スマイルも完璧のはずだ。

「あれ!? 慶司どうした!? 彼女!?」

「その口閉じろセクハラ親父」

「セクハ……?」

 持っていたダスターを絞め上げると、店に入ってきたおじさん二人が笑った。一人は苦笑いだったが。

 志麻の父と同世代であろう彼らはスーツ姿。まだ暑い日があるからかジャケットは着ていない。

「俺が見張ってるから大丈夫。……っと慶司、いつものな」

 セクハラ呼ばわりされなかった方のおじさんが手を振った。

 控えめな笑い方に目尻のシワが寄る。そこにあるほくろに気づき、志麻はアゴの下を伸ばすように顔を上げた。慶司ほどではないが身長が高い。

(うわー。メロおじ来たー……)

 志麻が最近ハマっているアニメのおじさんに雰囲気が似ている。

 優しい目元と口端の上がり方。柔らかな色の茶髪とパーマはまるでイケおじ芸能人だ。

 カウンター席に座った二人にお冷とおしぼりを出すと、セクハラ親父と呼ばれたおじさんに手招きされた。

「お嬢ちゃんいくつ? バイト?」

「28です。バイトです」

「若いな~。おじさんたちいつも昼に来てるけどさ、これからは仕事帰りにも来よっかな~」

 夜は予約が入ってることが……と口を開きかけると、カウンターの奥から慶司の声が飛んできた。

「デレデレすんなセクハラ親父。夕方の分、今貢いでいけ」

 セクハラ親父は肩をすくめると慶司のことを指さした。

「アイツひどいだろ? 俺の扱い雑……。可愛いお嬢ちゃんが来てくれてマジで嬉しい。ところでお名前は?」

「三田園です」

「ミタゾノ……? もしかしてあのチビちゃん?」

「ち……」

 あからさまにショックを顔ににじませてしまった。

(どうして中学で身長止まったんだよぉ……!)

 150cm。身体測定で毎回書かれた数字だ。小柄であることは成長が止まった頃から気にしていた。長身な推しのコスプレをする時は転んだらケガ不可避な厚底を履くくらい。

 志麻が肩を落とすと、向こう側に座ったおじさんが顔をのぞかせた。

「志麻ちゃんだろ? 俺は見た瞬間に分かったよ。大人になったね」

 目尻にたっぷりとシワが刻まれる。優しい口元からのぞく歯の白さに、志麻は口をポカンと開けた。

「あ……つじちゃん、すぎちゃん……?」

 幼い頃の記憶を引っ張り出された。志麻たちはテーブル席に案内されることが多かったが、この二人はカウンターが指定席だった。

「また大きくなったな!」と会う度に可愛がってもらったものだ。時には「あちらのお客様からですごっこ」と称し、プリンやサンデーをおごってもらっていた。

 特に辻本は初めてメロついた大人でもある。

「お久しぶりです! つじちゃ……辻本さん!」

「変わんねぇな! チ……志麻ちゃんは『辻本志麻になる!』ってよく言ってたもんなぁ」

 三人が盛り上がっているところ、慶司が二人の前にプレートを置いた。

 サラダにからあげ、オムレツが白いお皿にお行儀よく並んでいる。コーンスープが入ったカップと杉村にはライス、辻本にはパンが置かれた。

「二人はたいてい特製ランチを頼むから。特別言われない限り、これだと思ってくれていい。選べるライスかパンもほぼ固定」

「あ……了解しました。すみません、話に夢中になってしまって」

「別に謝ることじゃないから。そこの親父、しゃべり出すと止まんねぇから」

 半眼の慶司に辻本が笑う。

 二人は「志麻ちゃんの休憩時間にケーキを食べさせろ」と余分にお金を置いていった。

 あの後も何度か、常連の客が来ては「慶司(慶ちゃん)に嫁が……?」と誤解していた。






 夜の営業は20時まで。この日は小さな結婚パーティーが17時から行われた。週一程度で予約が入るらしい。

「志麻が来てくれて本当に助かった。最近は件数が増えてきたんだ。SNSで広まってるらしい」

「そりゃあ増えますよ! すごく素敵でしたもん!」

 飾り付けは参加者の一部が早めに来て準備をしていた。主役のことを思い浮かべているであろう横顔は、そこからしか得られない栄養があった。

「ウチは飲み物と料理を出すだけだぞ? スイーツはケーキ屋に卸してもらってるし」

「プチケーキ可愛くて最高でした……。料理もすっごくおいしいです! それをタダで詰めさせてもらって……ありがとうございます」

「出さなかった分、もったいないだろ」

「おいしく頂きます」

 志麻は重たいタッパーを掲げて深く頭を下げた。

「この時間からの自炊も面倒だしな」

「まぁそうですね……あと料理できないんで……」

「実家暮らしの弊害……」

 思わず口にしたのだろう。慶司は「あ」と開けた口を隠した。

 しかし、事実なので志麻は唇をかみしめるだけ。

「アラサーにもなって……とか思ったんでしょう」

「いや。俺ができるから問題ない」

「……」

 再び始まったようだ。慶司の結婚話が。志麻は昼間の彼のように半眼になった。

 それには気づかず、彼の目線は天井へと移動する。

「実はここの上、俺の自宅なんだよ。部屋が一つ空いてるからいつでも……」

「マンション住んでるんで! すっごくいいとこ!」

「家賃は大丈夫なのか? 地方都市とは言えまぁまぁする……」

「貯蓄が多いので大丈夫です!」

 見せられるものならここで通帳を突きつけたいものだ。田舎から富橋とみはしへ一人で引っ越せるほどの財力を。

 慶司は今日だけで三度もフラれたというのに相変わらず涼しい顔だ。

「仕事三昧のおかげらしいな……。花菱さんが姪になかなか会えない、って寂しがってたぞ」

「ご先祖様に憧れているんです」

「……唐突だな」

 彼が首をかしげると、志麻は鼻息を荒くして目を輝かせた。

「ご先祖様は室町時代から影で活躍した一族で、とても能力が高かったんですって! 情報収集に長けていてある時は農民に、ある時は商人になりすましてまるで忍者のように……。牧野まきの小白こはくという吉田城よしだじょうの初代城主や酒井忠次さかいただつぐに仕えていたそうです」

『ウチはかつて竹島たけしま一族と言って、牧野小白こはく様にお仕えしていたんだよ。専属飛脚と言って情報を……』

 子どもの頃から母方の祖父母に散々聞かされた話だ。親戚が集まってその話が始まると、いとこたちは耳を塞いでいた。「耳にタコどころかイカまでできるよ」と。しかし、孫たちの中で唯一、志麻だけはいくつになっても目を輝かせていた。

 自分は飛脚の遠い子孫。彼らのように誰か一人だけの力になれたら、なんでもできたら、と厨二まっしぐら。オタク特有のこじらせを発動してしまった。

「いやーお恥ずかしい理由も混ざってるんですけど……」

 苦笑いで後頭部をかくと、慶司は目を見開いていた。切れ長の瞳が猫目に見えるくらいに。志麻は彼の顔の前で手を振った。

「店長? 目が落っこちます、よ……」

 手が二往復する前に掴まれてしまった。身長に比例した小さな手より、はるかに大きくて熱い手に。洗い物を終えたばかりでしっとりしている。

「え、え? なんですかこれ……」

「志麻」

「は……はい」

「やっぱり結婚すべきだ。……こんな偶然あるかよ」

「なんて?」

 今日一番、真剣さを秘めた瞳。店内のオレンジの灯りでハイライトが入っている。夕暮れの海のような輝きだ。

 しかし、それに見とれている場合ではない。彼に応える応えない以前に彼の正体を知りたかった。

「ていうか店長……あなたは一体何者なんですか? 本当はいくつ?」

「600……は言い過ぎか。500は超えてる」

「は!? 神様かなんかですか?」

「神なんておこがましい。魔王、となら呼ばれていたけどな」

 その瞬間、瞳の光が炎に変わったように見えた。
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