19 / 43
4章
2
しおりを挟む
舞花の母も祖母も花魁だった。
母は舞鈴、祖母は舞蘭という源氏名だったと、楼主である夫婦から聞いた。
2人とも短命で、舞花は2人の顔を知ることなく育った。
「お前もたくさんのお客様がつくような花魁になるんだよ。母や祖母のような」
「あい…」
幼い頃から姉のような年頃の遊女に付いて、読み書きや舞踊、唄を教えこまれた。
そこはやはり三代続く花魁だからだろうか。彼女の飲み込みは異様に早かった。
だが彼女はお客を取るだとかお金を稼ぐということに興味はなく、姉の遊女たちに教えられることを覚えていくのが楽しくて、いつまでもそうしていたいと思っていたほど。自分が勉強が好きだと気付いたのは10歳を過ぎる頃。
「お前も水揚げをしなきゃねぇ…」
楼主が煙管を片手につぶやいたのを聞いた時、冷や汗がどっと吹き出し悪寒が走った。
水揚げとは見習い遊女が初めて男に肌をさらすこと。つまり────処女を捧げ、遊女としての本格的な仕事が始まること。
「でもわっちは…まだまだ勉強が足りんせん。水揚げでしたら淡紅藤や蘇芳が見世に並ぶことを楽しみにしているお客様が多いと聞いておりんす」
「それは私も知っているさ。でもそれはお前も同じだよ。あの伝説の花魁の娘であり孫だ。注目されないワケがない。お前は芸が一際達者だ。あの2人より早く見世に出したい」
実は分かっていた。姉についてお客の酌をしている時、”この禿の水揚げはいつなのか。水揚げの相手は決まっているのか”と聞かれることが度々あった。
その時はあいまいな笑みで自分は今の所予定はなく、当分禿だと徳利をかたむけた。それを聞いていた芸者が”旦那に水揚げの相手に立候補してもらいなよ”と冗談混じりに三味線をベベンと鳴らした。
冗談じゃないと思った。自分が男に肌をさらすなんて考えたくなかった。きっとロクにお互いを知らないまま女にされる。
こんな世界に産み落とされたことを恨んだことはなかった。だが、このような話をされるようになってからは己の運命を呪うようになった。
舞花の水揚げの話はあれよあれよという間に進んでしまい、後は相手を決めるだけとなってしまった。
月夜の晩。舞花は中庭に面する縁側で、板の間に座り込んで月を眺めていた。今宵は三日月。夜空で輝く月の色は、遊女たちの白い肌に似ていた。
「わっちは…どうなっていきんすか…」
外の世界を知らない彼女は、たとえ吉原から逃げ出しても生きていく術を持っていないので生きていけない。
自分は結局、ここでしか生きていけないのだと分かった時、死んでしまいたいとさえ思った。
(死んで生まれ変わったら、自由に生きたい。好いた男と結婚して、可愛い赤子がほしい。その子にはこんな思いはさせない…)
月を見つめて目を細め、決意に燃えていたら。
「あ…れ? どこだここ」
「は…?」
庭の隅にいたのは、妙に奇抜に和服を着崩した赤っぽい髪をした男。全体的に毛先がはねており、襟足は長い。彼は腰と頭に手を当てて困り果てた顔をしていた。
「だ…れ?」
「あ…。お嬢さんここの人?」
「えぇ…」
「ちなみにここって何時代?」
「江戸にありんすが」
「江戸!? それとその話し方…ここは楼閣? 吉原?」
コクッとうなずくと、男はその場でしゃがみこんだ。
「しくったー…。なんで安土桃山じゃない…。しかも場所が場所かー…」
「あの…その言い方はちょっと」
「ごめん。偏見だね…」
男は顔の前で手を出して謝り、舞花のそばまで歩いてきた。月明かりと竹で組まれた照明に照らされた男は端正な顔立ちをしており、身体は細身でもガッシリとしていた。
切れ長の瑠璃色の瞳は宝石のようで、かんざしのとんぼ玉より綺麗だ。
「俺は朱雀。君は?」
「舞花と申しんす」
「舞う花で舞花…。みやびだね」
「ありがとうございんす」
その場で手をつくと、大げさだよと朱雀は笑った。
「あ、ここに見知らぬ男がいたのは内緒でよろしくね。俺は来る場所を間違えただけだから」
「はぁ…? 何を言ってるのかよう分かりんせんが…あっ」
「ん?」
舞花は頬を染め、男を見上げた。こんなことを思いつくなんて自分でも珍しいと思う。
怪しくはないと確信している。見習い遊女として様々な客を見てきたから、人を見る目は長けている自信がある。
「わっちを…今夜だけ連れ出しておくんなまし」
「は?」
頭をかいていた男はポカンとした。
「君…自分が何言ってるか分かってる? 初対面の男だよ? バレたら楼主から怒られるよ?」
「よいのです。今夜はお暇を頂いておりんすゆえ。夜が空けるまで」
「はぁ…。ていうか俺が何者か分からないのにいいの? ひどい場所に連れてかれて売られるかもよ?」
「その時は舌をかみ切って死んでやりんす」
堂々とした様子で言い放ち背筋を伸ばすと、朱雀は困り顔で頭を抱えた。
「場所も時代も…居合わせた小娘も────予想外すぎて勘弁してくれ…」
「できないと言ったらこの場で叫んでやりんす。今夜もお客はたくさんおりんすから…。ここ一面の障子が全て開きんすよ」
「うわ…確実に俺しょっぴかれるじゃん…。だー分かった! 吉原の外に一晩連れてけばいいんだな!?」
朱雀の半ば怒鳴っている声に、舞花は目を輝かせてコクコクと素早くうなずいた。
母は舞鈴、祖母は舞蘭という源氏名だったと、楼主である夫婦から聞いた。
2人とも短命で、舞花は2人の顔を知ることなく育った。
「お前もたくさんのお客様がつくような花魁になるんだよ。母や祖母のような」
「あい…」
幼い頃から姉のような年頃の遊女に付いて、読み書きや舞踊、唄を教えこまれた。
そこはやはり三代続く花魁だからだろうか。彼女の飲み込みは異様に早かった。
だが彼女はお客を取るだとかお金を稼ぐということに興味はなく、姉の遊女たちに教えられることを覚えていくのが楽しくて、いつまでもそうしていたいと思っていたほど。自分が勉強が好きだと気付いたのは10歳を過ぎる頃。
「お前も水揚げをしなきゃねぇ…」
楼主が煙管を片手につぶやいたのを聞いた時、冷や汗がどっと吹き出し悪寒が走った。
水揚げとは見習い遊女が初めて男に肌をさらすこと。つまり────処女を捧げ、遊女としての本格的な仕事が始まること。
「でもわっちは…まだまだ勉強が足りんせん。水揚げでしたら淡紅藤や蘇芳が見世に並ぶことを楽しみにしているお客様が多いと聞いておりんす」
「それは私も知っているさ。でもそれはお前も同じだよ。あの伝説の花魁の娘であり孫だ。注目されないワケがない。お前は芸が一際達者だ。あの2人より早く見世に出したい」
実は分かっていた。姉についてお客の酌をしている時、”この禿の水揚げはいつなのか。水揚げの相手は決まっているのか”と聞かれることが度々あった。
その時はあいまいな笑みで自分は今の所予定はなく、当分禿だと徳利をかたむけた。それを聞いていた芸者が”旦那に水揚げの相手に立候補してもらいなよ”と冗談混じりに三味線をベベンと鳴らした。
冗談じゃないと思った。自分が男に肌をさらすなんて考えたくなかった。きっとロクにお互いを知らないまま女にされる。
こんな世界に産み落とされたことを恨んだことはなかった。だが、このような話をされるようになってからは己の運命を呪うようになった。
舞花の水揚げの話はあれよあれよという間に進んでしまい、後は相手を決めるだけとなってしまった。
月夜の晩。舞花は中庭に面する縁側で、板の間に座り込んで月を眺めていた。今宵は三日月。夜空で輝く月の色は、遊女たちの白い肌に似ていた。
「わっちは…どうなっていきんすか…」
外の世界を知らない彼女は、たとえ吉原から逃げ出しても生きていく術を持っていないので生きていけない。
自分は結局、ここでしか生きていけないのだと分かった時、死んでしまいたいとさえ思った。
(死んで生まれ変わったら、自由に生きたい。好いた男と結婚して、可愛い赤子がほしい。その子にはこんな思いはさせない…)
月を見つめて目を細め、決意に燃えていたら。
「あ…れ? どこだここ」
「は…?」
庭の隅にいたのは、妙に奇抜に和服を着崩した赤っぽい髪をした男。全体的に毛先がはねており、襟足は長い。彼は腰と頭に手を当てて困り果てた顔をしていた。
「だ…れ?」
「あ…。お嬢さんここの人?」
「えぇ…」
「ちなみにここって何時代?」
「江戸にありんすが」
「江戸!? それとその話し方…ここは楼閣? 吉原?」
コクッとうなずくと、男はその場でしゃがみこんだ。
「しくったー…。なんで安土桃山じゃない…。しかも場所が場所かー…」
「あの…その言い方はちょっと」
「ごめん。偏見だね…」
男は顔の前で手を出して謝り、舞花のそばまで歩いてきた。月明かりと竹で組まれた照明に照らされた男は端正な顔立ちをしており、身体は細身でもガッシリとしていた。
切れ長の瑠璃色の瞳は宝石のようで、かんざしのとんぼ玉より綺麗だ。
「俺は朱雀。君は?」
「舞花と申しんす」
「舞う花で舞花…。みやびだね」
「ありがとうございんす」
その場で手をつくと、大げさだよと朱雀は笑った。
「あ、ここに見知らぬ男がいたのは内緒でよろしくね。俺は来る場所を間違えただけだから」
「はぁ…? 何を言ってるのかよう分かりんせんが…あっ」
「ん?」
舞花は頬を染め、男を見上げた。こんなことを思いつくなんて自分でも珍しいと思う。
怪しくはないと確信している。見習い遊女として様々な客を見てきたから、人を見る目は長けている自信がある。
「わっちを…今夜だけ連れ出しておくんなまし」
「は?」
頭をかいていた男はポカンとした。
「君…自分が何言ってるか分かってる? 初対面の男だよ? バレたら楼主から怒られるよ?」
「よいのです。今夜はお暇を頂いておりんすゆえ。夜が空けるまで」
「はぁ…。ていうか俺が何者か分からないのにいいの? ひどい場所に連れてかれて売られるかもよ?」
「その時は舌をかみ切って死んでやりんす」
堂々とした様子で言い放ち背筋を伸ばすと、朱雀は困り顔で頭を抱えた。
「場所も時代も…居合わせた小娘も────予想外すぎて勘弁してくれ…」
「できないと言ったらこの場で叫んでやりんす。今夜もお客はたくさんおりんすから…。ここ一面の障子が全て開きんすよ」
「うわ…確実に俺しょっぴかれるじゃん…。だー分かった! 吉原の外に一晩連れてけばいいんだな!?」
朱雀の半ば怒鳴っている声に、舞花は目を輝かせてコクコクと素早くうなずいた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる