OLと女子高生と悪魔の副業【アルファポリス版】

堂宮ツキ乃

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5章

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 今までこの家に多くの相談者が訪れた。

 彼らの悩みを聞きながらお茶会を開いてきたが、今日ほど緊張して頭が混乱することはなかった。

 いつものように、翼の隣にはアヤト。二人の向かい側に客人がいるのだが────翼は肩を縮みこませて猫背になっている。視線を上げられず、テーブルの木の年輪を見つめて数えたくはないな……と余計なことを考え、気を紛らわせている。

「生徒たちがこの家のことを話していて、僕も行きたいなって思ってたんだよ。お庭も素敵だし、可愛いお家だね」

 客人は大人の男性。今まで訪れたことのないタイプだ。スーツ姿で翼にほほえみかけたのはつい昨日、顔を合わせて逃げ出した相手────夢原だ。

 彼は昨日のことについては言及せず、翼との再会を純粋に喜んでいるようだった。

 正直、名前を覚えてもらえていたのは嬉しい。もう九年も前の生徒なのに。

「まさか噂の人が二村さんだとは思わなかった。久しぶりだなぁ……。随分大人になったね」

「せ、先生こそお元気そうで何よりです……」

 緊張して上ずった声になってしまい、顔が真っ赤になる。もう顔を上げられない……と、目をぎゅっと閉じた。

 彼はかすかに震えている翼に苦笑いすると、アヤトの方に体を向けて会釈した。

「僕は昔、二村さんの母校で教鞭を取っていた夢原と申します。もしかして旦那さん……?」

「俺はただの居候です。昔、彼女のおばあさんにお世話になっていた者なんです」

 アヤトはさらりと答えると、ベストの一番下のボタンを優雅な手つきで留めた。

「俺はこれから仕事があるのでここいらで。積もる話もあるでしょうし、どうぞごゆるりと」

「あ、どうも……」

 胸に手を添えた彼につられ、夢原は頭を下げた。

 翼はアヤトに”行って来るねー”と声をかけられたが、小さな声で見送ることしかできなかった。

 彼女の様子に夢原は眉を下げ、後ろ手で頭をかいた。

「突然来てごめんね……。しかもいい歳したおじさんが。生徒たちの方が気楽でしょ?」

「そんなことはないです! 急なお客さんはいつものことですし……。先生は何も変わってません」

「そうかなぁ。えへへ、ありがとう」

「い、いえ」

 せっかく来てくれた彼ともっと話したいのに。喉が封鎖されたようにうまく声が出せない。

 いつ翼の母校から転勤したのかとか、今はこちらに住んでいるのかとか────結婚したのか、とか。

 自分語りにならない程度に、自分の卒業後のことも報告したい。

 だが、それは夢原から聞いてくれた。なぜこちらに住んでいるのか、と。

「そうかぁ。お仕事大変だったんだね。頑張ってきたんだね」

「ありがとうございます……」

 彼のねぎらいだけで、ここ数年の心の疲れが吹き飛んだ気がする。

 優しいほほえみはあの頃と変わらなくて、毎日見られる生徒たちがちょっぴりうらやましくなった。

「僕は三年前に今の高校に赴任したんだ。二村さんが通っていた高校みたいに大きな高校もおもしろいけど、小さな学校で教えるのもいいなって。ここは海沿いで緑豊かなのもいいよね。だから二村さんがここで休暇を過ごすの、選んで正解だよ!」

「ここが好き、って思ってる人がいて嬉しいです」

「うん、来てよかった。ウチは私立だし、このままずっとここにいるつもりなんだ」

 そして祖母のこと。生徒たちが口をそろえて魔女の家と呼んでいるがその由来は何か、とか。

「魔女のおばあさんか。なんだかおとぎ話みたいで楽しいねぇ」

「先生は理系なのに非科学的なことを信じるんですか?」

 これは翼の偏見だが理系は皆、科学で証明できないことは信じないものだと思い込んでいた。だから彼が祖母のことを興味深そうに聞く姿は意外だった。

 夢原は彼女のことを笑い飛ばし、”半分半分かな”と腕を組んだ。

「こんな素敵なお家に住んでいるだもん。植物もいっぱいあって、童話に出てきそうじゃない。おばあさんが実は魔法を使える人だったって可能性はあるんじゃないかなぁ。だから二村さんたちが昨日、周りの高校生たちに溶け込んでいたのは魔女のお孫さんだからかなって妄想してた」

「妄想……」

 やはり彼はどこかずれているというか、天然なのはふわふわな髪だけじゃないというか。昨日鉢合わせたことに動じていない様子は大物感すらある。

「その……昨日のは魔法っていうか悪魔の力? っていうか…」

 アヤトのことをここでぶっちゃけるわけにもいかないし……と言い訳を考えていたが、夢原はその話を広げることはしなかった。

 二人でリビングでお茶をしていると、彼と結婚したような錯覚に陥る。しかも彼に出したのは、翼と色違いのマグカップだった。





 翼がまともに夢原と目を合わせられるようになった頃、彼はスーツの袖をまくった。

「もうこんな時間か。晩御飯の準備するよね、そろそろお暇しようかな」

 立ち上がった夢原に寂しさを覚えながら、翼も一緒に立ち上がった。

「今日は来て下さってありがとうございました」

「お礼を言うのはこっちの方。久しぶりに教え子に会えて嬉しかったよ。またウチの生徒がお世話になるだろうけど、その時はよろしくね」

「もちろんです」

 脳裏に佳乃のことが思い浮かび、夢原の背中を見て目を伏せた。

 チャンスは今しかない。翼の長期休暇だってもう終わりの方が近くなってきてるのだ。その内、この大好きな家から離れなければいけなくなる。

 焦りのせいか、喉の奥から早く出させてと言わんばかりに言葉が押し寄せた。

「先生!」

「ひょっ!?」

 思ったより大声になってしまい、バッグを持ち上げた夢原が変な声で跳びはねた。

「わ、私……。変な形だったけど、先生にまた会えてよかったです。あの頃はまだ子どもで、あ、今でもうまく話せなかったけど……。先生のこともっと知りたい────その……結婚、されてます?」

「残念ながらしてません……」

 翼の質問は夢原にダメージを与えたのか、彼は両手の人差し指をつつき合わせてしゅんとした。

「僕は男らしくないというかなよなよとしてるので……」

 なぜか急に敬語になった彼に、翼は苦笑いをしようにもしづらかった。










 翼が早退してしばらく経ったある日、授業後に夢原に呼ばれて化学室へ向かった。

 化学室は水道がついた大きな机が六つあり、それぞれに丸椅子が並べられている。

 引き戸を開けると、夢原は丸椅子に座っていた。翼に向かってふにゃけた笑顔で手を振る。

「二村さん、急にごめんね。あれから体調は大丈夫?」

「はい。この前はありがとうございました」

「そんな、いいんだよ」

 頭を下げると夢原は首を振って、”ここにどうぞ”と言うように隣の椅子を引いた。

 そんな近くに……! 翼は硬直した。好きな人のそばに座る、というのは当時の翼にとって難易度が高い。

 動きが不自然になりながらも、少し距離を置いてそっと座った。足音さえ立てないようにすり足で近寄って。

 彼女がカチンコチンになっていることには気づかず、夢原はホチキスでとめたプリントを差し出した。

「二村さんが休んでる間の授業内容をまとめたんだ。よかったらどうぞ」

 受け取ってめくると、教師らしい丁寧な字でカラーペンも使って分かりやすくまとめてある。ほどよい行間が読みやすい。

 彼お手製の教材はまるでプレゼントをもらったよう。翼はかすかにほほえんみ、プリントを胸に抱き寄せた。

「ありがとうございます……!」

「分からないことがあったらいつでも聞いてね」

 明るい笑顔に目を奪われた。翼は浮かべることが少ない、屈託のない笑顔。

 始めはなんだか抜けていて頼りなくて、教師だと思えない時期もあった。

 しかし、沈着冷静な性格の翼が彼に惹かれるのに時間はかからなかった。

 夢原の笑顔に癒される自分がいた。柔らかく優しいほほえみ、しゅんとした八の字眉、ぱあっと輝く瞳、時々見せる男らしい顔つき。

 いつの間にか彼から目が離せなくなり、憧れが好きに変わっていった。
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