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本編
181.上手に甘えられたらよかった
待っていたクラウスを促して部屋に入る。執務室のほうではなく、私室だったので彼の足が止まった。
「執務室でなくて、よろしいのですか?」
「平気よ、座って」
来客用ではないソファーを勧める。この部屋に来客を通す必要はないから、いつも執務室で済ませてきた。婚約者であるから、二人きりでも醜聞にはならない。そもそも未婚の皇妹という立場だけれど、未経験ではないんだもの。誰かに証明する必要もないわ。
クラウスが立ち止まった理由は、呼び出した時間でしょうね。夕方、それも日が暮れるのが早い季節よ。外は真っ暗だわ。一般的には、女性が男性を部屋に誘う時間帯ではないの。
もう一度促せば、迷いながらもクラウスは従った。事前に申し付けていたため、軽食が運ばれてくる。コース料理だと人が出入りするため、大皿料理を用意させた。酒の肴もいくつか並ぶ。サラダに生ハム、果物や炒め物に至るまで。私が知るクラウスの好きな物よ。
「……これらは」
「今夜は帰さないつもりなの。食べて飲んで……喋ってもらうわ」
話しなさいと命じるつもりだったけれど、一瞬だけ浮かんだ彼の表情で言葉を選んだ。驚いた顔だけれど、それだけじゃなくて。なんて表現したら近いのかしら? 初めて祝ってもらった幼子みたいな……どこか違うわね。
諦めていた褒美をもらった子供みたい? 他に表現できないわ。でも手に入らないと思っていた何かが、突然目の前に置かれて狼狽する感じに見えた。
「醜聞になります」
「構わないわ」
ならないと否定するより、それでいいと肯定する。準備していたワインとシャンパンが同時に栓を抜かれ、先にシャンパンを注いだ。エリーゼは一礼して部屋を出ていく。扉が閉まるまで、クラウスはしっかりと視線で見送った。足音に耳を澄ませるように、しばらく動かない。
「クラウス、妬いてしまうわよ?」
くすくす笑ってグラスを掲げる。はっとした様子でグラスを手に取ったクラウスと寄せて、触れる直前で止めた。乾杯の仕草だけれど、無言で行った所作。口を付けて喉を潤す。
「……何をお知りになりたいのですか」
早く帰ろうとでも思っているの? つれない人ね。そんな言葉が浮かんだけれど、私は口に出さず呑み込んだ。茶化していい場面ではないわ。
「あなたの……背景を」
家族という単語を避ける。
「承知しました」
「でも、先に料理を食べて頂戴。せっかく準備させたのよ。明日はあなたの誕生日だもの」
事前に知っていた情報をさらりと口にする。ごめんなさいね、こんな場面でも駆け引きをしてしまうの。可愛くない女だと自覚はあるけれど、私はいつもこうだった。さりげなく聞き出して「うわぁ、お誕生日なの? お祝いさせて」と甘えるタイプではない。
当然知っていたと微笑みながら、相手に対して上位に立とうとする。本当に可愛くない女だわ。
「それで私の好きな料理が多いのですね」
嬉しそうな声に、クラウスの顔を凝視する。作った顔ではなく、本心から微笑んでいた。幸せだと示す彼の声や表情に泣きたくなる。ああ、聞かずに済ませたい。私の予想通りなら、あなたの半生は苦渋に満ち、苦労の連続だったはず。
きちんと聞きたいのに、耳を塞ぎたくなる。胸が詰まって、シャンパンを一気に飲み干した。目が潤んだのは炭酸の所為、そう言い訳してもう一杯手酌で注ぐ。
「トリア様、グラスを満たす栄誉は私に」
「そう、ね」
動揺を悟られた後味の悪さを感じながら、料理を取り分けるクラウスの手元を見つめた。侍従や侍女と匹敵する器用さで、サーバー用のカトラリーを扱う。イチジクの上に重ねる生ハムを見ながら、私は肉料理を取り分けた。クラウスの前に差し出し、自分の分も用意する。
皇族らしくない振る舞いだけれど、今はいいわよね? 私は彼と対等でありたいの。
「執務室でなくて、よろしいのですか?」
「平気よ、座って」
来客用ではないソファーを勧める。この部屋に来客を通す必要はないから、いつも執務室で済ませてきた。婚約者であるから、二人きりでも醜聞にはならない。そもそも未婚の皇妹という立場だけれど、未経験ではないんだもの。誰かに証明する必要もないわ。
クラウスが立ち止まった理由は、呼び出した時間でしょうね。夕方、それも日が暮れるのが早い季節よ。外は真っ暗だわ。一般的には、女性が男性を部屋に誘う時間帯ではないの。
もう一度促せば、迷いながらもクラウスは従った。事前に申し付けていたため、軽食が運ばれてくる。コース料理だと人が出入りするため、大皿料理を用意させた。酒の肴もいくつか並ぶ。サラダに生ハム、果物や炒め物に至るまで。私が知るクラウスの好きな物よ。
「……これらは」
「今夜は帰さないつもりなの。食べて飲んで……喋ってもらうわ」
話しなさいと命じるつもりだったけれど、一瞬だけ浮かんだ彼の表情で言葉を選んだ。驚いた顔だけれど、それだけじゃなくて。なんて表現したら近いのかしら? 初めて祝ってもらった幼子みたいな……どこか違うわね。
諦めていた褒美をもらった子供みたい? 他に表現できないわ。でも手に入らないと思っていた何かが、突然目の前に置かれて狼狽する感じに見えた。
「醜聞になります」
「構わないわ」
ならないと否定するより、それでいいと肯定する。準備していたワインとシャンパンが同時に栓を抜かれ、先にシャンパンを注いだ。エリーゼは一礼して部屋を出ていく。扉が閉まるまで、クラウスはしっかりと視線で見送った。足音に耳を澄ませるように、しばらく動かない。
「クラウス、妬いてしまうわよ?」
くすくす笑ってグラスを掲げる。はっとした様子でグラスを手に取ったクラウスと寄せて、触れる直前で止めた。乾杯の仕草だけれど、無言で行った所作。口を付けて喉を潤す。
「……何をお知りになりたいのですか」
早く帰ろうとでも思っているの? つれない人ね。そんな言葉が浮かんだけれど、私は口に出さず呑み込んだ。茶化していい場面ではないわ。
「あなたの……背景を」
家族という単語を避ける。
「承知しました」
「でも、先に料理を食べて頂戴。せっかく準備させたのよ。明日はあなたの誕生日だもの」
事前に知っていた情報をさらりと口にする。ごめんなさいね、こんな場面でも駆け引きをしてしまうの。可愛くない女だと自覚はあるけれど、私はいつもこうだった。さりげなく聞き出して「うわぁ、お誕生日なの? お祝いさせて」と甘えるタイプではない。
当然知っていたと微笑みながら、相手に対して上位に立とうとする。本当に可愛くない女だわ。
「それで私の好きな料理が多いのですね」
嬉しそうな声に、クラウスの顔を凝視する。作った顔ではなく、本心から微笑んでいた。幸せだと示す彼の声や表情に泣きたくなる。ああ、聞かずに済ませたい。私の予想通りなら、あなたの半生は苦渋に満ち、苦労の連続だったはず。
きちんと聞きたいのに、耳を塞ぎたくなる。胸が詰まって、シャンパンを一気に飲み干した。目が潤んだのは炭酸の所為、そう言い訳してもう一杯手酌で注ぐ。
「トリア様、グラスを満たす栄誉は私に」
「そう、ね」
動揺を悟られた後味の悪さを感じながら、料理を取り分けるクラウスの手元を見つめた。侍従や侍女と匹敵する器用さで、サーバー用のカトラリーを扱う。イチジクの上に重ねる生ハムを見ながら、私は肉料理を取り分けた。クラウスの前に差し出し、自分の分も用意する。
皇族らしくない振る舞いだけれど、今はいいわよね? 私は彼と対等でありたいの。
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