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第4章 陰陽師の弟子取り騒動

12.***覚悟***

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 数日の物忌みによる潔斎けっさいを行うと通知し、真桜は屋敷に閉じこもった。天照の時間ではなく、月詠の支配下において乱れが生じている。ならば昼間の出仕を控えて、その時間に身体を休める必要があった。夜になれば動かなくてはならない。

「夜動くなら黒葉くろばか、天若てんじゃくを頼りたいんだけど……どっちも式神と相性が悪いんだよなぁ」

 ぼやきながら欠伸をする。今夜は糺尾と藍人を連れていく予定なので、どちらも藤姫が寝かしつけていた。寝なくていいアカリは膝枕した真桜を、扇であおぎながら赤茶の髪を手櫛で整える。

「我なら黒葉を選ぶ」

「なんで?」

「酒を飲むなら天若でよいが、子供の面倒を見るのは黒葉の方が向いておろう?」

 向き不向きの問題だと微笑んだ神様に、真桜は目を閉じながら「ふーん」と生返事をする。そのまま眠りそうな真桜が「時間になったら……」と呟いた。

「月の衣が降りる頃には起こす」

 空が群青に染まる時間まで休め。真桜の目元を冷たい手で覆いながら、アカリは穏やかな顔で再び扇を動かした。







「……寝過ごした」

 起こしても起きなかった真桜だが、ようやく目を覚ました時には全員の準備が整っていた。頭を抱えた真桜に握り飯を差し出す華炎はさほど気にしていない。華守流は己の武器の手入れを行ってから庭で鍛錬をしていた。

 子供達は華炎の出した食事を終えると、食器の片付けを手伝っていたので、意外と退屈はしていない。師匠である真桜が寝過ごしたことは深く考えていなかった。昼間に出仕し、帰宅後に神降ろしをしたのだ。疲れていて当たり前だと思っていたらしい。

「早くせよ、真桜。これ以上遅れると間に合わぬ」

「藤姫は留守を頼むな。黒葉……来い」

 名を呼んで召喚する。ふわりと闇が集ったあと、赤銅色の髪をした眷属がゆったり膝をついた。この国では見ない緑の瞳は、初夏の新緑に似た爽やかさを感じさせる。

「お呼びですか、真桜さま」

「藍人の災いを幸いに変える。手伝え」

 頷いた黒葉は2人の子供を交互に見つめ、視線を合わせてから頷いた。

「こちらの白髪のお子ですね」

「ああ」

 災いは闇に通じる。そのため未来予測ができなくとも、闇の眷属は今後の災いが降りかかる対象を区別できるのだ。災いの内容はわからなくとも、どちらがより災いに近いかを判断できれば用が足りた。

「あなたは、ヒトではないのですね」

 陰陽道を少し嗜む藍人の言葉は、響きをたがえて言霊を逃がす。教えを実践する子供の頭を撫でながら、真桜が横から説明した。

「この場には、誰もいない」

 純粋な人は誰もいないのだ。闇の神族と人の子である真桜、天照の眷属であるアカリ、式神の華守流と華炎、護り手である藤姫と黒葉。そして妖狐と人の間に生まれた糺尾も、異端の子と表現される藍人に至るまで……全員が純粋に人と表現できる存在ではなかった。

「まあ、帝の血筋でが発現する者は、人に分類できないんだけどな」

 山吹の明るい茶髪や水色の瞳は、この国では鬼の証と言われる禁忌だ。帝の血筋は天照大神の子孫であるが故に、どうしても霊力に応じた色違いが生まれる。陰陽師の上位者と並ぶほどの高い霊力を持つ彼や彼女らは、その血を脈々と受け継ぐことでこの国の鎮守神としての役目を果たしてきた。

 真桜が握り飯を食べ終えるのと、説明が終わるのはほぼ同時刻だった。見上げた空には優しい月が半分ほど顔を覗かせている。

「行くぞ」

 暗い夜道をぞろぞろ歩く気はない真桜が、懐から1枚の札をひらりと捨てた。大地に触れた途端、札があった場所に黒い道が生まれる。躊躇いなく踏みしめて進む真桜の姿が飲み込まれ、続いたアカリも同様に。

「……こわい」

 糺尾は怯えたように藍人にしがみ付いた。咄嗟に糺尾を抱き締めた藍人は、ごくりと喉を鳴らす。

 何も言わずに見守る黒葉は、静かに彼らの素質を見極めていた。これは一つの試練なのだ。陰陽師は人の世界のために術を使うが、人のことわりから外れた存在だった。常識という枠を越えられなければ、術を扱う霊力があっても心が負けてしまう。

 華炎と華守流が先に入り、残された子供達は不安げに後ろを振り返った。藤姫はただ微笑みを浮かべて見守るだけで、何も教えてくれない。最初の一歩を踏み出すのは、自らの覚悟でなければならない。他者に押されて踏み出した結果を、誰も負いきれないのだから。

「行く」

 震える声で宣言した糺尾が先に駆け出した。手を離された藍人も覚悟を決め、自らの足で踏みだす。子供達に続いて黒葉も闇に潜ると、藤姫はゆったりと頭を下げた。

「ご無事でお戻りになりますように」
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