エリーと紅い竜

きょん

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第二十一話 帰郷

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「作戦は単純明快だ。シルヴィたちがセレスティーヌとして黒幕をおびき出し、動きを取らせるように仕向ける。そしてセレ……、エリーは黒幕が動き出すより先に女王へ接触し、相手方の動きに予め備える」

 どこからか持ち出した黒板に簡易的な地図を描いた公爵が説明を続ける。

「私は早馬を飛ばさせて協商への参加を表明しよう、もちろんこれは偽計だ。私が参加すれば、残りの西側の者たちも続くはずだ。これでジェラルドは諸侯の三分の二以上の支持を得られると踏むだろう。シルヴィ達に接触を持ちかけてきたのがジェラルドであれば、奴は必ず動き出す」
「でも、三分の二も支持があったら、王位の交代とか以前に、女王側は戦争で負けるんじゃないですか? そこまで優勢なら、悠長に手続きなんてしないで暴れ出すんじゃないですか?」

 手をあげたジェフが、授業を受ける生徒の様に質問する。

「そこまで事は単純じゃない。そもそも、正当な王を立てずに政権を奪ったところで、次は諸侯の覇権争い、つまりは内戦が始まるだろう。
 そうなれば諸侯は、機知や繋がりはあっても身分的には高くないジェラルドに従う理由など無い。今、奴が協商の中心に居られるのは、諸侯の利害を上手く制御しているからだ。それにジェラルドが欲しいのは自身の傀儡であって、王位そのものではないはずだ。何にせよ、過激な行動は簡単にとらないだろう」

 ジェフは納得したのか、眉間にしわを寄せたまま黙ってしまった。そんな幼馴染を横目に見るミーナ。
 事の始まりは、ただドラゴンを見てみたい、という何とも幼稚な理由の冒険のはずだった。だが気付けば、二人は一国の命運を左右する戦いに巻き込まれようとしていた。

「他に何かあるか? なければ明朝より行動を開始しよう」
「でも、もし違ったらどうするんですか?」

 ミーナは最後に手をあげて問いをぶつける。

「違った方が良いかもしれない、それならそれで後日考え直せる。なぜなら今、私が述べた推測は、私が考えられる最悪の事態だからな」

 公爵の言葉が部屋に響くと、一瞬、部屋は無音となった。

「よろしい。ではシルヴィは今まで通りセレスティーヌとして振る舞いたまえ。早朝の捕物劇のお陰で、皆々は君たちの事は単なる野盗か何かだと思っているはずだ。その点については屋敷の者たちによく説明するから安心してくれ」

 そして各々は明日に備えて、早めの休息を取る事にした。



 食事や入浴を終えたミーナとエリーは既にベッドへと潜り込んでいた。本来なら貴賓用の部屋に通されるべきエリーだったが、偽装の意味も込めて簡素な部屋で体を休めていた。

「ねえエリー?」

 暗い室内にミーナの声が響く。

「なに? 明日から大変になるわよ、早く寝なさい」

 あやすようにエリーは答えたが、構わず少女は言葉を続けた。

「エリーは、先生……ジェラルドっていう人の事が好きだったの?」

 どこかミーナの声は震えていた。
 そんな少女の質問にエリーは少し間をおいて答える。

「……そうね、もしかしたら今も好きなのかもしれないわ」
「じゃあ、お姉さんと先生、どちらが大事?」

 言葉の残響が消えると、真っ暗な闇が二人を包む。時折、窓の外から木々のざわめきが入り込むが、それ以外、何も、それこそ呼吸音さえをかき消すような沈黙が続いた。
 そして、しばしの耳が痛くなるような静寂の後、ようやくエリーは口を開く。

「わからない。でも、それを見つけるための戦いなのかもしれないわ」

 いつでも物事を的確に分析し、判断してきた彼女の言葉とは思えない曖昧な答え。
 けれどもミーナはそれ以上、何かを尋ねる事は無かった。



 床に就いて数刻後、寝付けぬエリーはおもむろに上体を起こす。
 物音を立てぬようにそっと寝床を抜け出すと、彼女は小さく寝息を立てるミーナを傍目に部屋を抜け出した。
 所々に設えられた薄明りを放つランプが、真夜中の廊下を静かに照らしていた。そんな中、僅かに響くのはエリーの足音だけ。
 彼女はゆっくりとした足取りで、幼少期には頻繁に訪れたであろう、この公爵の屋敷の中を進んで行く。
 そしてエリーが辿り着いた先、そこは屋敷の最上階にあるバルコニーだった。
 不用心故か、あるいはのんびりとして平和な土地柄故か、施錠のなされていない扉を抜けると、ほっそりとした三日月と星々の煌めきが彼女の蒼い瞳に映り込む。
 遮るものの無いバルコニーに時折ひんやりとした夜風が強く吹き抜けたが、エリーの火照った体にはそれが何とも心地良かった。彼女は大きく伸びをしながら、ゆっくりと欄干まで歩みを進めると、陰影だけで表現されたカステルサラザンの街並みに目を遣る。
 エリーはぼんやりと景色を眺めながら、このオリヴィエ公爵の屋敷に姉と共に滞在した幼少の頃を思い出していた。
 すると物思いに耽る彼女へ、不意に声が掛けられた。

「エリーちゃん」

 我に返ったエリーは声のした方へと顔を向ける。そこには自身と同じく、髪を下ろしたシルヴィが立っていた。

「寝付けないのかしら?」

 エリーは驚く素振りも見せずに淡々と言葉を返す。

「エリーちゃん……いえ、セレスティーヌ様こそお眠りになれなくて?」

 わざとらしく言い直したシルヴィはエリーの隣にまで歩みを進めると、欄干にもたれ掛かった。

「今の私はエリー、エリー・シャリエよ」
「……わかったよ。で、エリーちゃんもこれからが不安で寝付けないの?」

 一度目を伏せたシルヴィは言葉を訂正すると、顔を上げてエリーの蒼い瞳を見つめる。手すりに設えられた、ぼんやりと光る灯りに照らされた娘の表情は、侮蔑とも、怒りとも、あるいは悲しみとも取れる顔つきだった。

「ええ、そんな所かしら。いくら何でも、ここまで大事になるとは思っていなかったから」

 けれどもエリーはシルヴィの青い瞳を見据えたまま、表情を変えずにそう言った。

「そこまで覚悟は無かったって事? 私はいつでも死ぬ覚悟でここまでやってたんだけどね」

 非難とも取れる言葉をぶつけられたエリーだったが、彼女は何を反論するわけでもなく、ひたすらにシルヴィの瞳を見つめていた。蒼と青の視線が交錯し、しばしの沈黙が訪れたが、思う所があったかのようにシルヴィは視線を外し、その顔に僅かな笑みを浮かべる。

「にしても、エリーちゃんにしろ公爵のおっさんにしろ、よくも私を信じられたもんだ。私があんたらの立場なら、絶対に信じたりしないよ、絶対にね」

 嘲笑とも思えたが、それとは似て非なる顔つきでシルヴィはそう言った。

「そうね、普通ならそうかもしれないけど、でも……」

 すると、返す言葉を途中で切ったエリーはゆっくりと欄干に肘を掛けると、夜の帳に包まれた静かな街並みに目をやったまま言葉を続ける。

「私は貴女を信じるわ、いえ、信じてみたいの。あの日、私は信じるべき相手を信じる事が出来なかった。だから、今度は……」

 飄々とし、ともすれば感情を押し殺していたようなエリーの素振りからは想像しがたい言葉に、シルヴィは小さく鼻を鳴らした。
 そして偽の王妹はころころと笑い声を漏らした後――きっと、これが本来のシルヴィの姿なのであろう――、エリーの肩にそっと手を乗せた。

「安心しな、私はエリーちゃんを裏切ったりはしないよ」

 彼女の言葉にエリーが小さく頷くと、二人の合間を春の夜風が穏やかに吹き抜けた。



 翌朝、少し遅い朝食の後でミーナとジェフ、そしてエリーはオリヴィエ公爵の館を後にした。
 広間では王妹セレスティーヌを演じるシルヴィが歓迎の波に揉まれていたが、それに気を取られる事なく、三人はさっさと建物を出ていった。

「ところで、私はこの街で騒動の決着がつくと言ったわ。でも予想外に事態は根深いものだったし、この先に待ち受ける事は過酷で残酷よ」

 馬車に乗る為に歩いていると、エリーは不意に立ち止まって口を開いた。
 意訳すれば、これ以上首を突っ込まないで家に帰れ、とでも言うような彼女の台詞に、ジェフとミーナは口を尖らせた。

「ここまで来て関わるなとでも言いたいんですか? エリーさん、ちょっと冷たいですよ」
「そうだよ、それにこんな事になった原因はわたしだし、最後まで協力するよ!」

 その様子にエリーは困ったように俯きがちにため息をつく。
 けれども、その蒼い瞳に感謝の情をたっぷりと含ませて顔を上げると、柔らかな声色で二人に言葉を返す。

「ありがとう」

 人を信じる事を忘れ掛けていた姫は、無邪気な少年少女の言葉に、嘘偽りの無い笑顔で答えた。





 潤沢な路銀を使い、三人は数日の内にアルサーナ王国の首都へと入った。
 海からそれほど遠くないこの街には、年季の入った建物がところ狭しと並び、大通りを一本裏路地へ入れば、それこそ迷路のように入り組んだ街並みが広がっていた。
 三人は馬車からそんな街を見つつ、女王の住まう王宮へと向かっていた。

「思ったより古臭い感じの街だな。なあミーナ、この街って馬鹿でかいラドフォードみたいだと思わね?」
「あー、そうだね。それにうちの国の王都よりも歴史がありそうな感じだね」

 観光気分で呑気な会話を交わすミーナとジェフ。その傍らで座るエリーは懐から一通の書簡を取り出す。水鳥の紋章が刻まれた封蝋は、それがオリヴィエ公爵からの物であることを示していた。
 固い表情で娘はため息をつくと、天を仰いだ。

「大丈夫だよ、上手く行くって」
「そうそう、いざとなったらエリーさんの為に命を懸けて戦いますよ!」

 そんな彼女を励まそうと、二人は明るく言う。それに応えるかのようにエリーも笑顔を作るが、その眼には緊張が見て取れた。

「さ、着きましたぜ」

 そんなやり取りをしていると、御者は馬車を止めて三人に声を掛けた。

「ありがとう」

 代金を支払い、馬車から降りる三人。その眼前には白亜の門、そしてその奥に広がる大庭園が飛び込んで来た。

「何これ……」
「うちの学校の何倍あるんだよ、俺、怖くなってきたぞ……」

 あまりに巨大な王宮を前に、先ほどまでの威勢を失う平民二人。

「……さあ、行くわよ」

 勢いを失ったのはミーナとジェフだけではなかった。
 それでも拳を握りしめたエリーはゆっくりと、けれども着実に足を前に運んだ。

 およそ六年ぶり、姫は在るべき場所へと還り着いた。



 公爵直筆の手紙と、あらかじめ遣わされていた使者のお陰で、三人は何をされるわけでもなくすんなりと宮殿内へと入る事が出来た。
 途方もなく広い庭園を背に、三人は優美と荘厳を具現化したかのような宮殿内を案内されていく。

「まもなく陛下が御引見されます。用意が出来次第お呼びしますので、しばしお待ちを」

 丁重な言葉と振る舞いの従者は、三人を別室へと通す。
 毛足の長い絨毯が敷かれ、意匠を凝らしたガラス窓や見るからに高価そうな調度品の置かれた室内。薄汚れた背嚢だけを部屋の片隅に置いた三人は、置かれたソファに座る事なく、その時を待っていた。
 そしてその時が来た。先ほどと同じ従者が現れると、ミーナたちは謁見の間へと案内された。



 大きな扉が閉められると、その空間から音が消えた。
 豪奢にして絢爛、優美にして華麗――、それは玉座に座する王の威厳を誇示するかのような、あまりにも現実離れした場所だった。壁の上部には何かの物語が描かれたステンドグラスが。そこから差し込む陽光が、まるでここを聖域とするかのようであった。
 そして三人は誰も、衛兵すらも居ない謁見の間を静かに、ゆっくりと歩く。
 ようやく、女王フィオレンティーナが座するべき玉座の傍までたどり着くと、空の座に向かい、エリーは片膝を折り、頭を垂れる。続くようにミーナとジェフも直ぐさま同じ事をする。
 三人が跪くと、やがて誰かの歩く音が僅かに聞こえたが、その間ミーナたちの視界に入るのは燃えるように紅い絨毯だけ。

「おもてを上げよ」

 しばらくの後、若い娘の声が聞こえるとそれに従う様に三人は顔を上げた。
 視線の先では、アルサーナ王国女王、フィオレンティーナ・シャルパンティエが鎮座していた。
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