28 / 31
第二十七話 秘術
しおりを挟む
ジェフの斬撃によって砕けた宝玉の内部からは、血液を思わせる赤黒い液体が吹き出した。
「もはや選択の余地は無い。私はこんな所で息絶えるわけにはいかないのだ」
酷い火傷を負ったジェラルドを覆い包むかのように、その液体は止めどなく流れ出し続ける。高く掲げられた宝玉の亀裂から脈動を伴うかのように噴き出すそれは、やがて男の焼け爛れた肌を覆い尽くしたが、それでもその勢いは収まる事はなかった。
更には徐々に固さを帯び、氷塊とも石塊も形容出来る、巨大な物体へと変貌していく。
「な、なんだよそれ⁉」
その異常な様子を見たジェフは、狼狽えながら後退る。そして動揺の色を隠しきれないのは少年だけでなく、ミーナや兵たち、そしてフィオレンティーナも同様だった。
「ジェラルド、貴様何を……!」
ゆっくりと上体を起こした女王は、どす黒い岩の塊と化したジェラルドに言葉をぶつける。
黒々とした雲に覆われた空では再び雷鳴が轟き始め、それはこれから起きる災いを予感させるかのようだった。
「私は考えた、真の至高者とは何か。人々を支配し、天地にその威厳を示す事が出来る存在とは何か……」
「ふざけた事をぬかすな!」
力無く立ち上がったものの、フィオレンティーナは怒鳴るように声を張り上げる。
だが彼女の言葉に耳を貸さないかのように、はたまた聞こえていないのか、岩塊と化したジェラルドの声が再度響き渡る。
「そこで私は一つの結論を導き出した。真の至高者とは人間としての、生物としての脆弱さを克服した存在である、と。更にその為には禁術、そして王家に伝わる秘術が必要だとも考えた。だが私の、人間としての肉体は死を迎えようとしている。ならば未完であっても、この禁術を用いてこの身を捨てて、それが醜悪で不完全であろうとも、新たな姿へと転生しようではないかっ!」
あまりにも次元の違う台詞の数々に、ミーナや兵たちは理解が追い付かずにいたが、眼前の物体から放たれる身の毛もよだつ波動に晒され、それが人間にとっての災厄となる事だけは感じ取れた。
そして、秘術の委細を知る女王フィオレンティーナは、ジェラルドの言葉の意味を理解したかのように青ざめた色で顔を引きつらせる。
「さあ、これが新たなる支配者の姿だ!」
叫び声と共に雷鳴がとどろき、刹那、狂った野望を象徴するような歪な形状の岩塊に雷が落ち、轟音と共に視界を遮る閃光が走る。
そして、その場にいた一同の視力と聴力が戻った時に彼女らの眼前に佇んでいたのは、漆黒の鱗と二対の翼を持つ、家屋程も大きさのある巨大なドラゴンだった。
「これが結論だ。そして死出の旅への餞別に教えてやろう。この私の姿は、複数の魂を合成する事で肉体に多大な変化をもたらし、造られた姿だ。様々なドラゴンの魂を抽出し凝縮した感応石の力によって、私は人間の優れた知恵とドラゴンの強靭な肉体を兼ね備える究極の存在となったのだ」
しかし、その誇らしげな言葉とは裏腹に、不揃いな手足の大きさや不格好な翼の形状、そして歪んで閉まりの悪い口元からは、言葉の度に唾液がしたたり落ちた。
ジェラルド――と称された男は今は醜悪な怪物となり果てた――自身、その不完全さを認識しているかのように、身体を震わせながら言葉を続ける。
「貴様らの表情から、私が醜い姿を晒している事は想像に難くない。私の抜魂術は不完全で、対象の魂を部分的に抜き出すことしか出来ない事は分かっている。そして術を完成させ完全なる存在となる、その為にも……」
言葉を切るドラゴンを前に、ミーナとジェフ、それにフィオレンティーナたちは固唾を呑んだ。
そして、長さの揃わない後ろ足で石畳を勢いよく踏みつけると、狂った野望の化身は鼻腔から大量の空気を取り入れ、それを吐き出すかのように咆哮を上げた。
「フィオレンティーナ! 貴様を屠り、秘術を手に入れる必要があるのだ‼」
人間である事を捨てた術士は、眼前の女王を血祭りにあげるべく、一歩一歩よろめくような足取りで彼女に迫り始める。既に殆どの力を使い果たしたフィオレンティーナだったが、敵を迎え撃つべく再び構えをとった。
「女王様!」
その様子を見たジェフと兵たち数人は、彼女を守るべく彼女の元へと駆け寄ろうとした。
しかし、漆黒のドラゴンはそれを許さず、彼らの方に頭だけを向けると、その喉奥から激烈な冷気を吐き出した。大気すらも凍り付かせる冷気は、まるで白く輝く閃光となって兵たちを襲う。
「うおあああああ!」
重装備の兵たちは手にした盾で冷気を防ごうとしたが、彼らは防具もろとも凍てつき、一瞬にして真っ白な氷柱と化す。
一方で、身軽なジェフだけは間一髪でそれを避けると、転がり込むかのようにフィオレンティーナの傍らへ辿り着いた。
「お前、殺されるぞ! 奴の標的はこのあたしだ! セレスとあの小娘を連れて早く逃げろ!」
加勢は無用とばかりに叫ぶ女王だったが、それでも少年は長剣を両手で握りしめて眼前に構える。
そして、本当は逃げ出したい気持ちを押さえ込むかのように、震えを帯びた声色でフィオレンティーナの言葉に答えた。
「わかってますよ。でも、あなたが殺されたらここまで来た意味が無いし、それにエリーさんが悲しみますから」
きざな台詞だと自身でも分かっていたのか、ジェフは自嘲するかのように一度鼻を鳴らす。
「……好きにしろ」
そんな彼に呆れたのか、女王は吐き捨てるように言い、それ以上は何も言わなかった。
一方で漆黒のドラゴンは、哀れにも氷の柱と化した兵士たちに、歪な前足を伸ばす。ぎこちない動きで氷柱をまとめ抱えると、それらを丸のみにするかのように大口を開けた。
すると霧のようなものが立ち上り、それはドラゴンの喉奥へと消える。そして、それまで白かった氷柱は灰色に濁り、やがて音も無く崩れ去った。
直後、その図体に比べて矮小だった後脚が激しく脈動し、急激に成長するかのように逞しいものへと形を変えていく。
「この世のあらゆる生物を、その魂を自身の糧とするようだな」
「理解が早いな、だがこれでは一時しのぎにしかならん」
「安心しろジェラルド、すぐにそんな事は必要無くしてやるからな」
その残酷な様子、つまりは他者の生命を吸い上げている事を理解したが、フィオレンティーナは臆する事無く、ジェラルドと言葉を交わし続けた。
「貴様がその至高者なる者へと到達する前に、息の根を止めてやろう!」
「面白い! ならばお前をうち倒し、私こそがこの世の支配者たる資格があることを証明しよう!」
感情を爆発させるかのように声を張り上げると、フィオレンティーナの顔に色が戻る。それは文字通りに命を削り戦う、救国の主の姿であった。
そんな彼女らのやり取りを横目で見守るミーナは、その手の平から滴り落ちる煌めく癒しの雫をエリーへと振り撒き続ける。だが一向に姫の顔色は悪く、その呼吸は浅く短いままであった。
やがて彼女の術力も底が見え、少女は吐き気とめまいに膝を折った。
「どうすれば良いか分かんないよ……」
跪いたミーナは、瞼を閉じたエリーの顔を見遣る。土気色の肌に青紫の唇。呼吸は耳を澄まさなければ分からない程にまで弱まっていた。
放っておけば、その魂がかき消えてしまうのは明らかだった。それでも、もう少女が出来る事は無く、ただ彼女の冷たい手を握り締めて祈る事しか出来なかった。
――お願い、目を開けて
ミーナは固く目を瞑ったまま祈り続け、やがてその目から涙の雫が零れ、頬を伝い、そしてエリーの手に落ちた。
(ミー……ナ)
澄んだ涙の起こした奇跡か、エリーの声が少女の内に響いた。
だが次の瞬間、つんざく様な絶叫が辺りに響き渡った。たちどころに顔を上げたミーナが声の方を向けば、そこには地に臥せった幼馴染と、ドラゴンに捉えられたフィオレンティーナの姿があった。
「うぐあああああ!」
「苦しいか? 苦しいはずだな」
ジェラルドがその不格好な左前足で女王の胴体を握りしめ上げると、彼女の口からは鮮血が吐き出され、それと同時に獣の咆哮の様な、とても女の声とは思えないような叫びが発せられた。
けれども邪悪なドラゴンとなった術士は、その苦痛を長引かせ、交渉の道具にするかのように加える圧に強弱をつける。
「ひと思いに楽にしてやりたいが、王家の秘術について聞きだすまでは死んでもらっては困るからな」
残酷な台詞を吐き掛けられたフィオレンティーナは既にぐったりとし、糸の切れた操り人形のように脱力しきっていた。
「おや? 少々やり過ぎたかな?」
表情を作ることが出来ないはずのドラゴンの顔面に嘲笑が浮かぶと、おもむろに女王の胸元にある、深紅の宝玉が設えられたブローチに鉤爪を伸ばした。
「この感応石が秘術への手掛かりなのは分かっているが……」
勝利を確信したジェラルドが、人間のものとは全く違う、節くれだった醜い手でそれに触れようとした――その時だった。血に塗れ、腫れ上がった顔を上げたフィオレンティーナは喉の奥から弱々しく声を絞り出す。
「本……当に、秘術を……渡せば、セレスの……事は見逃して……くれるのか?」
思いもよらぬ、敗北を認める彼女の言葉に、ドラゴンの裂け上がった口角が増々吊り上がった。
「ああ、秘術を渡せばセレスティーヌの命だけは助けてやるし、事が済んだらお前も直ぐに楽にしてやろう」
不気味に笑みを浮かべたドラゴンは、フィオレンティーナの体を雑に地面へと投げ捨てた。
叩きつけられ小さく声を上げた彼女だったが、そのぼろ雑巾のようになった体を懸命に起こすと胸元のブローチを外し、それをジェラルドの方に向けて掲げる。
「秘術……それ……は、術法の……そのものでは……ない。王に……課せられた……使命を、果たす……際に、その……封印を、解く……というものだ」
途切れ途切れの言葉が彼女の受けた傷の重篤さを示していた。
けれどもドラゴンはその大きな鼻腔からため息のように息を吐き出すと、満身創痍の女王に話を続けるように促した。
「前置きなどどうでも良い、要点のみを説明しろ。苦痛が長引くだけだぞ」
「王国に…災厄……訪れる時、乞い……祈れば、紅き……竜は、その力で……汝を助く」
「何を言っているのかいまいち分からん、気でもふれたか?」
いよいよジェラルドが苛立ちを覚えた頃、震える手で掲げられた深紅の宝玉が輝きを帯び始めた。
「要……するに……、こういう……事だっ!」
「使って見せるというわけか。面白い、やってみろ!」
自らの強大さを試そうとするかのように挑発的な態度をとるジェラルド。その言葉を聞き、僅かに口角を上げたフィオレンティーナは、正真正銘最後の力を、手にした宝玉へと送り込む。
感応石の放つ光は強さを増し、やがて周囲に居た者の視界を奪う程となる。
そして光の洪水が収まった時には女王の姿はなく、そこにあったのは深紅の竜鱗と金色のたてがみを持つドラゴンの姿だった。
「もはや選択の余地は無い。私はこんな所で息絶えるわけにはいかないのだ」
酷い火傷を負ったジェラルドを覆い包むかのように、その液体は止めどなく流れ出し続ける。高く掲げられた宝玉の亀裂から脈動を伴うかのように噴き出すそれは、やがて男の焼け爛れた肌を覆い尽くしたが、それでもその勢いは収まる事はなかった。
更には徐々に固さを帯び、氷塊とも石塊も形容出来る、巨大な物体へと変貌していく。
「な、なんだよそれ⁉」
その異常な様子を見たジェフは、狼狽えながら後退る。そして動揺の色を隠しきれないのは少年だけでなく、ミーナや兵たち、そしてフィオレンティーナも同様だった。
「ジェラルド、貴様何を……!」
ゆっくりと上体を起こした女王は、どす黒い岩の塊と化したジェラルドに言葉をぶつける。
黒々とした雲に覆われた空では再び雷鳴が轟き始め、それはこれから起きる災いを予感させるかのようだった。
「私は考えた、真の至高者とは何か。人々を支配し、天地にその威厳を示す事が出来る存在とは何か……」
「ふざけた事をぬかすな!」
力無く立ち上がったものの、フィオレンティーナは怒鳴るように声を張り上げる。
だが彼女の言葉に耳を貸さないかのように、はたまた聞こえていないのか、岩塊と化したジェラルドの声が再度響き渡る。
「そこで私は一つの結論を導き出した。真の至高者とは人間としての、生物としての脆弱さを克服した存在である、と。更にその為には禁術、そして王家に伝わる秘術が必要だとも考えた。だが私の、人間としての肉体は死を迎えようとしている。ならば未完であっても、この禁術を用いてこの身を捨てて、それが醜悪で不完全であろうとも、新たな姿へと転生しようではないかっ!」
あまりにも次元の違う台詞の数々に、ミーナや兵たちは理解が追い付かずにいたが、眼前の物体から放たれる身の毛もよだつ波動に晒され、それが人間にとっての災厄となる事だけは感じ取れた。
そして、秘術の委細を知る女王フィオレンティーナは、ジェラルドの言葉の意味を理解したかのように青ざめた色で顔を引きつらせる。
「さあ、これが新たなる支配者の姿だ!」
叫び声と共に雷鳴がとどろき、刹那、狂った野望を象徴するような歪な形状の岩塊に雷が落ち、轟音と共に視界を遮る閃光が走る。
そして、その場にいた一同の視力と聴力が戻った時に彼女らの眼前に佇んでいたのは、漆黒の鱗と二対の翼を持つ、家屋程も大きさのある巨大なドラゴンだった。
「これが結論だ。そして死出の旅への餞別に教えてやろう。この私の姿は、複数の魂を合成する事で肉体に多大な変化をもたらし、造られた姿だ。様々なドラゴンの魂を抽出し凝縮した感応石の力によって、私は人間の優れた知恵とドラゴンの強靭な肉体を兼ね備える究極の存在となったのだ」
しかし、その誇らしげな言葉とは裏腹に、不揃いな手足の大きさや不格好な翼の形状、そして歪んで閉まりの悪い口元からは、言葉の度に唾液がしたたり落ちた。
ジェラルド――と称された男は今は醜悪な怪物となり果てた――自身、その不完全さを認識しているかのように、身体を震わせながら言葉を続ける。
「貴様らの表情から、私が醜い姿を晒している事は想像に難くない。私の抜魂術は不完全で、対象の魂を部分的に抜き出すことしか出来ない事は分かっている。そして術を完成させ完全なる存在となる、その為にも……」
言葉を切るドラゴンを前に、ミーナとジェフ、それにフィオレンティーナたちは固唾を呑んだ。
そして、長さの揃わない後ろ足で石畳を勢いよく踏みつけると、狂った野望の化身は鼻腔から大量の空気を取り入れ、それを吐き出すかのように咆哮を上げた。
「フィオレンティーナ! 貴様を屠り、秘術を手に入れる必要があるのだ‼」
人間である事を捨てた術士は、眼前の女王を血祭りにあげるべく、一歩一歩よろめくような足取りで彼女に迫り始める。既に殆どの力を使い果たしたフィオレンティーナだったが、敵を迎え撃つべく再び構えをとった。
「女王様!」
その様子を見たジェフと兵たち数人は、彼女を守るべく彼女の元へと駆け寄ろうとした。
しかし、漆黒のドラゴンはそれを許さず、彼らの方に頭だけを向けると、その喉奥から激烈な冷気を吐き出した。大気すらも凍り付かせる冷気は、まるで白く輝く閃光となって兵たちを襲う。
「うおあああああ!」
重装備の兵たちは手にした盾で冷気を防ごうとしたが、彼らは防具もろとも凍てつき、一瞬にして真っ白な氷柱と化す。
一方で、身軽なジェフだけは間一髪でそれを避けると、転がり込むかのようにフィオレンティーナの傍らへ辿り着いた。
「お前、殺されるぞ! 奴の標的はこのあたしだ! セレスとあの小娘を連れて早く逃げろ!」
加勢は無用とばかりに叫ぶ女王だったが、それでも少年は長剣を両手で握りしめて眼前に構える。
そして、本当は逃げ出したい気持ちを押さえ込むかのように、震えを帯びた声色でフィオレンティーナの言葉に答えた。
「わかってますよ。でも、あなたが殺されたらここまで来た意味が無いし、それにエリーさんが悲しみますから」
きざな台詞だと自身でも分かっていたのか、ジェフは自嘲するかのように一度鼻を鳴らす。
「……好きにしろ」
そんな彼に呆れたのか、女王は吐き捨てるように言い、それ以上は何も言わなかった。
一方で漆黒のドラゴンは、哀れにも氷の柱と化した兵士たちに、歪な前足を伸ばす。ぎこちない動きで氷柱をまとめ抱えると、それらを丸のみにするかのように大口を開けた。
すると霧のようなものが立ち上り、それはドラゴンの喉奥へと消える。そして、それまで白かった氷柱は灰色に濁り、やがて音も無く崩れ去った。
直後、その図体に比べて矮小だった後脚が激しく脈動し、急激に成長するかのように逞しいものへと形を変えていく。
「この世のあらゆる生物を、その魂を自身の糧とするようだな」
「理解が早いな、だがこれでは一時しのぎにしかならん」
「安心しろジェラルド、すぐにそんな事は必要無くしてやるからな」
その残酷な様子、つまりは他者の生命を吸い上げている事を理解したが、フィオレンティーナは臆する事無く、ジェラルドと言葉を交わし続けた。
「貴様がその至高者なる者へと到達する前に、息の根を止めてやろう!」
「面白い! ならばお前をうち倒し、私こそがこの世の支配者たる資格があることを証明しよう!」
感情を爆発させるかのように声を張り上げると、フィオレンティーナの顔に色が戻る。それは文字通りに命を削り戦う、救国の主の姿であった。
そんな彼女らのやり取りを横目で見守るミーナは、その手の平から滴り落ちる煌めく癒しの雫をエリーへと振り撒き続ける。だが一向に姫の顔色は悪く、その呼吸は浅く短いままであった。
やがて彼女の術力も底が見え、少女は吐き気とめまいに膝を折った。
「どうすれば良いか分かんないよ……」
跪いたミーナは、瞼を閉じたエリーの顔を見遣る。土気色の肌に青紫の唇。呼吸は耳を澄まさなければ分からない程にまで弱まっていた。
放っておけば、その魂がかき消えてしまうのは明らかだった。それでも、もう少女が出来る事は無く、ただ彼女の冷たい手を握り締めて祈る事しか出来なかった。
――お願い、目を開けて
ミーナは固く目を瞑ったまま祈り続け、やがてその目から涙の雫が零れ、頬を伝い、そしてエリーの手に落ちた。
(ミー……ナ)
澄んだ涙の起こした奇跡か、エリーの声が少女の内に響いた。
だが次の瞬間、つんざく様な絶叫が辺りに響き渡った。たちどころに顔を上げたミーナが声の方を向けば、そこには地に臥せった幼馴染と、ドラゴンに捉えられたフィオレンティーナの姿があった。
「うぐあああああ!」
「苦しいか? 苦しいはずだな」
ジェラルドがその不格好な左前足で女王の胴体を握りしめ上げると、彼女の口からは鮮血が吐き出され、それと同時に獣の咆哮の様な、とても女の声とは思えないような叫びが発せられた。
けれども邪悪なドラゴンとなった術士は、その苦痛を長引かせ、交渉の道具にするかのように加える圧に強弱をつける。
「ひと思いに楽にしてやりたいが、王家の秘術について聞きだすまでは死んでもらっては困るからな」
残酷な台詞を吐き掛けられたフィオレンティーナは既にぐったりとし、糸の切れた操り人形のように脱力しきっていた。
「おや? 少々やり過ぎたかな?」
表情を作ることが出来ないはずのドラゴンの顔面に嘲笑が浮かぶと、おもむろに女王の胸元にある、深紅の宝玉が設えられたブローチに鉤爪を伸ばした。
「この感応石が秘術への手掛かりなのは分かっているが……」
勝利を確信したジェラルドが、人間のものとは全く違う、節くれだった醜い手でそれに触れようとした――その時だった。血に塗れ、腫れ上がった顔を上げたフィオレンティーナは喉の奥から弱々しく声を絞り出す。
「本……当に、秘術を……渡せば、セレスの……事は見逃して……くれるのか?」
思いもよらぬ、敗北を認める彼女の言葉に、ドラゴンの裂け上がった口角が増々吊り上がった。
「ああ、秘術を渡せばセレスティーヌの命だけは助けてやるし、事が済んだらお前も直ぐに楽にしてやろう」
不気味に笑みを浮かべたドラゴンは、フィオレンティーナの体を雑に地面へと投げ捨てた。
叩きつけられ小さく声を上げた彼女だったが、そのぼろ雑巾のようになった体を懸命に起こすと胸元のブローチを外し、それをジェラルドの方に向けて掲げる。
「秘術……それ……は、術法の……そのものでは……ない。王に……課せられた……使命を、果たす……際に、その……封印を、解く……というものだ」
途切れ途切れの言葉が彼女の受けた傷の重篤さを示していた。
けれどもドラゴンはその大きな鼻腔からため息のように息を吐き出すと、満身創痍の女王に話を続けるように促した。
「前置きなどどうでも良い、要点のみを説明しろ。苦痛が長引くだけだぞ」
「王国に…災厄……訪れる時、乞い……祈れば、紅き……竜は、その力で……汝を助く」
「何を言っているのかいまいち分からん、気でもふれたか?」
いよいよジェラルドが苛立ちを覚えた頃、震える手で掲げられた深紅の宝玉が輝きを帯び始めた。
「要……するに……、こういう……事だっ!」
「使って見せるというわけか。面白い、やってみろ!」
自らの強大さを試そうとするかのように挑発的な態度をとるジェラルド。その言葉を聞き、僅かに口角を上げたフィオレンティーナは、正真正銘最後の力を、手にした宝玉へと送り込む。
感応石の放つ光は強さを増し、やがて周囲に居た者の視界を奪う程となる。
そして光の洪水が収まった時には女王の姿はなく、そこにあったのは深紅の竜鱗と金色のたてがみを持つドラゴンの姿だった。
0
あなたにおすすめの小説
竜皇女と呼ばれた娘
Aoi
ファンタジー
この世に生を授かり間もなくして捨てられしまった赤子は洞窟を棲み処にしていた竜イグニスに拾われヴァイオレットと名づけられ育てられた
ヴァイオレットはイグニスともう一頭の竜バシリッサの元でスクスクと育ち十六の歳になる
その歳まで人間と交流する機会がなかったヴァイオレットは友達を作る為に学校に通うことを望んだ
国で一番のグレディス魔法学校の入学試験を受け無事入学を果たし念願の友達も作れて順風満帆な生活を送っていたが、ある日衝撃の事実を告げられ……
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)
排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日
冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて
スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる
強いスキルを望むケインであったが、
スキル適性値はG
オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物
友人からも家族からも馬鹿にされ、
尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン
そんなある日、
『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。
その効果とは、
同じスキルを2つ以上持つ事ができ、
同系統の効果のスキルは効果が重複するという
恐ろしい物であった。
このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。
HOTランキング 1位!(2023年2月21日)
ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる