翠の子

汐の音

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2章 学術都市へ

15 街路脇の交渉

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 職工の街――山岳の国ケネフェルの副都のひとつは、そう呼び習わされる。数多あまたある鉱山、火山、金山に銀山。果ては流れる川の底に翡翠、瑪瑙に玉、良質な硝子…とにかく地下資源が豊富な国だ。

 代わりに農耕には適さない。山がちな国土は傾斜ばかりで家畜も山羊ヤギが中心。穀物に関してはほぼ輸入頼みだという。

 そのため、国防を担う兵士や流通を担う商人を目指すもの以外の民の気質は、もっぱら職人寄りとなった。採掘や細工、加工や建築の技術水準が総じて高いのはそのためだ。四方をきっちり山に囲まれているので、さすがに造船技術までは発達しなかったが……

 この街は、大陸を網羅する各種ギルドのなかでも、細工師のギルドを含む《職工の大ギルド連合》の本拠地。ゆえに人や物の出入りは多い。外部の人間の数は、おそらく王都を上回る。

 その雑踏を――縫うように歩く一対の男女がいた。セディオとスイだ。

 セディオは、余分な飾りはないが仕立ての良い白い綿のシャツチュニックに身体の線に沿った軽い素材の灰色の膝丈コート、細身の黒いズボンに手入れの行き届いたブーツ姿。スイは、この街を訪れたときの着なれた旅装。

 二人とも街歩きに慣れた空気をかもしており、人混みでも浮くことはない。ただ見映えが良すぎるため、それとなく視線は集まった。

「スイ、はぐれんなよ。ほら」

 おもむろに、ぐいっと手を掴まれたスイは斜め前を歩いていたセディオに引き寄せられた。そのまま肩を抱かれてしまう。
 ふと、フードの端をつまんで見上げると、無精髭を剃ってすっきりと整った顔があった。凛々しい眉、高く通った鼻梁から顎までの輪郭がきれいな横顔。少し目尻の垂れた青い瞳は遠くを見据えるように揺るがず、引き結ばれた口許。
 ――控えめに言って、品のよい美青年だ。

 (……平民の表情かおじゃないよね。学者層にしては足運びに無駄がない。にも拘らず失われた言語ルーンの素養がある。十中八九、支配者階級…のお忍びか、訳ありだと思うんだけど)

 まじまじと見つめる黒紫の視線に気づいたのか、セディオも横目にちらっとスイを見かえした。

 長い腕と手指の拘束は存外につよく、なだらかな曲線を描く肩から外されることはない。確かに人は多い……ので、庇う意味もあるのだろう。
 スイは気にせず会話を振ってみることにした。

「セディオ、なぜギルドへの報告に私も? 興味があったから黙ってついて来たけど」
「お、嬉しいね。やっと俺に興味持ってくれたの」
「んん……? まぁ、無くはない、かな。貴方の報告内容には興味があるよ。
 ふつう等級クラス維持に関する契約完遂の報告には、依頼主の証文さえ出せばいい。依頼主を伴う必要はないはずだからね」

 スイの話し方は穏やかで理知的、声音は甘くやや低い。見た目はとても女性らしいのだが、芯の通った柔らかいつよさのようなものがあり、甘さのない口調と併せると、どことなく中性的な雰囲気が漂った。

 (めちゃくちゃ美人で艶もあって惹きつけられんのに……不思議と“女”を感じさせないんだよな、スイの奴。仕事モードだったにしても俺、口説かなさすぎだろ。お子様キリクがうろうろしてたにしても、おかしい)

「セディオ?」

 なかなか返事がないことに焦れたのか、スイは名を呼んだ。青年はそこでようやく、ハッと気づく。

「……わりぃ。えーと、あんたを連れ出した理由だっけ。二人きりになりたかったから、じゃだめか?」

 スイはぴく、と眉を上げた。

「嘘は良くないよね」
「手厳しい~、はいはい。
 ……あのさ、俺そろそろこの街を出たいんだよ」

 ふ、と声の大きさを落とした細工師の青年に魔術師の女性は怪訝な表情になる。

「……なぜ? 生活は安定してるように見える。理由があって下町あそこに住んでるんじゃないの?」

 黒っぽい瞳に、ふっと紫の色味が増した。そこそこ意外な答えだったらしい。
 それにしても―――よく見ている。
 関心を持たれていたように感じたセディオは、薄く微笑わらった。

「どこまで気づいてるか知らないけどさ。俺、おおやけには“いない”ことになってんの。でも保護対象下でこっそり管理もされてる。……そういうの、もう嫌なんだよね。できれば、あんた達と一緒にフラッと消えたい」

 ぴた、とスイの足が止まった。今度は彼女のほうが強引に青年の腕を取ると、人目もはばからず街路の脇へと引っ張って行く。
 ――傍目には、ちょっとした痴話喧嘩に見えた。

 スイは素早く建物の影に身を滑り込ませると、セディオの腕を取ったまま息がかかるほど顔を寄せ、ささやくように確認した。

「それってつまり亡命したいってこと? 《学術都市》に」
「平たく言うと―――そうだな。とんずらしたい。…させて?」


 女たらしと評判の細工師は、美女の接近に嬉しげに頬を弛ませると、軽口を叩くように大胆に言ってのけた。





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