翠の子

汐の音

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2章 学術都市へ

17 翠の炎

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「おいしいっ……! スイ。なぁに、これ…!」
「エメルダ、『師匠』と呼びなさい。露店で見つけたの。果実餡の蒸し菓子だよ。口に合った?」
「うんっ。ふわふわで、甘くて、しっとりしてて……“食べる”って、素敵なことね。知らなかった」

 顕現した緑柱石エメラルドの精霊は、頬の端に白い生地の欠片を豪快にくっ付けている。スイはそれを優しくつまむと、少女に「あーん」と、手ずから食べさせた。

「そうだよねぇ。なんかこう、“生きてる”って感じ、するよね――あ。キリク、食べてる? お茶のおかわり淹れてあげようか」

 キリクは、返事の代わりに勢いよく、こくこくと頷いた。目線で「お願いします」と訴え掛けている。
 土産に買ってきた蒸し菓子は、それ一つが子ども達の手には両手に余るほどの大きさだ。おまけに、ふかふかと柔らかく、まだほんのり熱い。さすがのキリクも頬張りたてでは、何も喋れなかった。

 三名は、作業部屋を兼ねる応接室ではなく厨房に設えられた小さな丸テーブルを囲んでいる。
 お利口さんにしていた弟子達にお土産を渡して歓声が上がったところで、『悪い、ちょっとこっちで休んでてくれるか』と家主のセディオに言われたためだ。

 そのことには何ら思うことはない。むしろ、とても気を遣ってもらっているように感じる。
 スイは、キリクの茶器にポットのお茶を注ぎ足した。



   *   *   *



 “コーラル細工師個人工房”と看板はあるものの、さほど人の出入りはないようだ。留守を頼んだ弟子達は口を揃えて『びっくりするほど、誰も来ませんでしたよ』と言っていた。

 計らずも、かれ自身の口から事情の片鱗を聞いた身として、スイは苦笑を溢す。
 『管理されてる』とは、言っていた。それが交遊関係も含んでのことならば――確かに、生きていても味気ないのかもしれない。
 スイは、少しだけ青年の境遇を慮った。

「ねぇ、お師匠さま。帰って来るなりセディオさん、作業場に籠ってますけど。何かあったんですか?」

 ――鋭い。さすがキリク。虫の知らせでもあったのだろうか……
 スイは、そっと目を逸らして答えた。

「何も、ないよ……? ただ、あのひとも一緒に学術都市に行くことになっちゃって」
「あぁそうですか。一緒に………って、えぇぇーーっ?!!」
「嘘うそ、なんで?! 師匠、あのひとはだめよ! 絶対だめ!!」

 カタン! と勢いよく茶器の底が木の丸テーブルを打つ。エメルダまで半身を乗り出し、なおかつ懸命に師を説得し始めた。

「知ってるわ。《学術都市》って、古い古い精霊と人の子が交わした約束の地よ!
 短い寿命のなかで、努力して秀でた能力を持つに至ったのに、人の世では悪用されたり、迫害されたり、不遇を囲つ者を救済するための場所。
 あのひと、ちっとも不遇じゃないわ! 甘えてるだけ!」
「うーん…あながち間違いじゃないから反論しにくい……さすが、全き精霊の子」

 スイのしずかな黒紫の目には、怒りに似たつよい感情が翠色の炎のように精霊の少女を彩っているのがえる。
 平和の象徴というべきエメラルドの色合いには、あまり良くないことだった。

(参ったな。なんとか説得しないと――)

 そこで、はた、とキリクが何かに気づいたように顔を上げた。

「あれ…? じゃあ、僕も入れないのでは? 特に優秀でも不遇でもありませんよ?」
「君は弟子だからいいの」
「……? もう少し、詳しくいいですか?」

 まだ納得いかないと食い下がる愛弟子に、師である女性は柳眉を下げた。

「約定の一つにね。“技と知識を継ぐ者、これも住まうことを許す”というのがあるんだよ。
 で、エメルダ。セディオの件なんだけど」

 ふくれている二番弟子に向き直り、スイは言葉を重ねた。

「かれは……私の目には充分、不遇に見える。甘えてもいるんだろうけど、それはかれが優しいからでもあるんだ。この境遇をセディオに与えた人物にとっても、学術都市への移住はそう悪いことじゃない。
 暫定的に、と受け取ってくれても構わない。都市の長の意向も仰ぎたいし――どうか私に、かれに自由を与える手助けをさせてくれないかな? 仮にも貴女の、生みの親でもあるんだから」

 エメルダの身を包む感情の炎が、みるみる沈静化してゆく。風もないのに揺らめいていた翠の髪が、ふわ…っと落ち着き、靡くのをやめた。

「……そこまで、師匠が言うなら……いいわ。でも、あのひとがスイを傷つけるようなことがあったら、絶対許さないわよ。たとえ、生みの親でも!」

 ほっと息を吐いた。
 そっぽを向いた翠の頭をよしよしと撫でる。エメルダはされるがまま、動かないが――彼女の表情が見えているキリクの生温い眼差しから察するに、おそらく機嫌は悪くない。

 スイは、おっとりと微笑んだ。

「心配してくれてありがとう……大丈夫。誰にも、私を傷つけることは出来ない」
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