翠の子

汐の音

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3章 人の子の禍福

31 それぞれの幸せ

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 『傷つけたりなんかしない』
 セディオがそう誓ってからも、二人はなかなか動けない。

 沈黙が訪れる。
 痛いほどの緊張をともなう静寂――長の館の、ウォーラとの会見の時とは違う。

 (しまったな……)

 つかの間、息ができなくなったセディオは瞑目し、ため息をゆるゆると溢したわずかな隙に、認めた。
 自分のなかでくすぶるように抑えていた感情が、スイに向かってまっすぐに動きたがっている。
 それが、思いのほか苦しい。

 救いを求めるようにそっと、俯いてしまった黒髪の魔術師の頬に手を当てる。
 ぴく、と肩を揺らしたが拒まれなかった。ほっとして――抱き寄せた。

「っ、セディオ、あの」
「うん?」
「私は、ちょっとおかしな三十七歳みたいなんだけど」
「うん」
「おまけに、ずっとこの姿らしいんだ……」
「いいね。ずっと美人。それから?」
「それから……えぇと、おっかない後見人の精霊が、わんさかいる。いわゆる千里眼のとか」
「よし、見せつけよう」

 言うが早いか、それこそいわゆる手が早いのか。セディオは遠慮なくスイの左頬に口づけた。
 音は立てず、唇でやわらかく触れるだけ。
 そのままの状態で、掠れるような小声で、そうっとささやく。

「言って。スイが心配なことは何でも聞く……さ、次。どうぞ?」
「!! や。あの……ちょ、……お願い。待って?」
「いやだ、待たない」

 ―――だって、触れる部分のどこもかしこも、こんなに熱い。いつも優しいけれど、つめたいスイが。……それが、自分のせいだとわかるから、今、こんなにも嬉しい。

 セディオは笑みながらスイのこめかみに、額に、ついでに鼻の頭にと、次々に唇を落とす。
 スイはもう限界と、身をよじり始めた。

「ふっ……ふふっ! だめだ、セディオ、くすぐったい……!」
「うーん。その『だめだ』は可愛いけど却下。それで?」

 言いながら、なおもくすくすと笑い続ける彼女の顔や首筋、あちこちに口づけを贈る。
 惹かれて、知らず求めてやまなかった手の届かない存在……それが、いつの間にかスイになっていた。

 一生涯、だれにも預けることはないと思っていた感情は――――思いのほか苦しく、癖になるほどあまい。
 仮初めの、今までのどんな繋がりよりも、こうして腕のなかに閉じ込めて声を聞くだけで。触れるだけで。心地よく、ずっと頭の芯を酔わせてくれる。ぐらぐらする。


 これが、幸福感だというのなら。

 ……さんざん無為だとなじった日々も、こうして彼女に触れるためだけにあったんだと思えば。

 ――――笑える。全然、わるくない。

 そんな酩酊感のまま。
 ゆっくりと、あまく唇を重ねた。



   *   *   *



「……気づいてるかもしれないけど。私には精霊としての記憶がある。けど魔法は使えない。体は、人間の女性なんだ」
「だろうね。体は人間だよ、保証する」

 大真面目に頷いた青年の頬を、スイはわりと本気でぺちん! と、叩いた。
 それでも嬉しそうに笑うセディオに――つられて苦笑する。どうしようもないな、と困り顔になりながら。

「その、記憶の主が……初代の、都市の長で……」
紫水晶アメシストだった?」
「! そう。よくわかったね?」
「そりゃあ――……」

 わかるよ、という言葉は、なぜか喉元で引っ込んだ。
 今のスイは、それはそれは綺麗な紫色の瞳だ。こんなにも透明で深く、見るものを惹き付ける貴色きしょくはセディオの知る限り、一つしかない。

 細工師でよかったと、心底思う。
 細工師でなければ彼女と出会えなかった。
 それほどまでに、スイこのひとは得難い。


「じゃあ、あとは追々おいおいってことで。……私はそろそろ居間に行くよ。あの子達は、静かすぎても心配だ」

 眉根を寄せてこぼす姿がやたらと可愛く映るのは――まぁ、そういうことだなと自分に言い聞かせ、セディオはクスッと笑う。
 「よっ」と、軽い掛け声とともに立ち上がり、寝台に並んで座っていた彼女に当然のように手を差し出した。

「了解、俺の大事な人。………おいで、一緒に見てこよう」




 連れだって一階に降りたスイとセディオが―――遊び疲れ、居間で寝入った弟子達を見つけたのはそのすぐ後のこと。

 二人とも、それはそれは気持ち良さそうに。
 幸せそうな顔でぐっすりだった。
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