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4章 枷と自由
43 伝う、心の波紋
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青銀の光を弾き、ゆっくりと白い蛇体が動いた。
水面を伝う波紋が、うねりとなって断続的に金砂の中洲に打ち寄せる。さいわい、波は蒼い結界に阻まれ、足場が水に呑まれることはなかったが――人の子としては、さすがに生きた心地がしない。
「なぁ、スイ……お前、どうしたらこんなに怒らせられんだよ。喰われちゃいそうだよ、俺」
「……それ、言語じゃなくて本当に良かった。いい? セディオ。覚えといて。アクアに冗談は通じない」
珍しく、ジト目のスイがずいっと下から覗き込むように小豆色の髪の青年に迫り、ゆっくりと一音ずつ発声した。両手は腰に当てられ、まっすぐに見上げて来るので、互いの鼻の頭が触れそうなほど近い。
セディオは咄嗟に半身を引き、諸手を挙げて降参した。――でないと、うっかり抱き寄せてしまいそうだった。
「……了解、魔術師どの」
「よろしい、細工師の王子殿下。ちょっと説得して来るから。いいね? 口も手も出さないでよ?」
「おい待て。どんだけ信用ないんだよ」
やや憤慨した様子の青年に、黒髪の美女はすぅ……っと、視線を流す。(よく言うよ)と、言わんばかりだった。
「……いい? 胸に手を当てて、よーく理由を考えて。貴方がどれほど手が早くて、油断がならないか。もう、証明できるのは私だけにしてほしいと、いちおう心底願ってるんだからね?」
「――え。あ、はい。……だよな。うん……悪ぃ。謝らないけど」
しどろもどろと、弁解にもならない釈明もどきを溢す恋人に、スイの紫の色味を増した黒瞳がきらめいた。口許には、これまた中々見ることのできない、花のようにあでやかな笑みが咲きこぼれている。
(くっそ、敵わねぇ……)
内心の呟きに反し、セディオの表情は甘い。それを隠すように束の間、青い目を泳がせ――わざと一言。ぶっきらぼうに告げた。
「待ってる。……大丈夫だろうけど、無理だけはすんな。機を改めるって手もあんだからな?」
「……」
ふわ、と。
笑んだままのスイが距離を詰める。セディオは、今度は避けなかった。閉じられた睫毛が長いな……と、ぼんやり思っている間に、頬に口づけられた。先ほど、炎の司にいやからせじみた祝福を授けられた場所だ。
思わず、ぱっと口許を押さえる。
「ス」
「……消毒? ちょっと、上書き。ごめんね待てなかった」
じゃ、行ってくる―――と。
ごく軽い口調で言ってのけた魔術師は、自然な足運びでするり、と結界から抜け出た。
* * *
“あやつか? そなたの伴侶は”
“えぇ、そう。……だめ?”
水面を、わずかな円を描く紋様のみ浮かばせてスイが渡る。沈まない。一切の体重を感じさせない優雅な歩みを披露し―――そのまま白蛇の元へと辿り着き、事もあろうに胴体に腰掛ける。
「……!」
「ししょっ……?!」
「……もうやだ……驚きすぎて皹が入りそうよ。生まれたばっかりなのに! 師匠のばかっ!!」
三者、思い思いの反応を見せるなか、黒髪の魔術師は淡々と言語を紡ぎ続ける。しかし、どこか抑揚に欠けていた。
“水の気性って、厄介ねアクア。愛したものを側にずっと留めておきたいなんて。貴女がそんなだから、ご覧なさいな。水の乙女達ときたら、見境なくキリクまで襲おうとしたのよ?“
瞼のない青の瞳に、すぅっと氷のつめたさが宿る。
“何が悪い? そなたを愛しんでおる。外に出ても、元のうつくしい宝石の本体を穢されるだけだった。あらゆる犠牲の上に成り立っての今ではないか。正直、もうずぅっと妾の元にあれば良いのにと思うておる”
“正直ねぇ……貴女のそういうところ、嫌いじゃないけど。あぁもう、本当に厄介……”
ふぅ、と。
頬に手を当てたスイは嘆息した。つよい意思を込めた黒紫のまなざしで、濡れたように光る水の司の瞳、その銀色の瞳孔を射抜くように捉える。
“――あの人よ。かれだけなの。かれだけが、本当の意味で私を壊せる。私を、本当の意味で癒してくれる。……これで、答えにならないかしら。ね、認めて? 貴女のことは変わらず慕ってる。けれど、私は自分の思う場所に在りたいわ。だって、わかるの。寿命ができてしまったんだもの”
(――……!!)
果たして、揺らいだのは蛇体だったのか、空気そのものだったのか。
一時、凪いだような鏡面と化していた広大な地底湖に、スイと水の司を中心とする大きな真円が一つ、生じた。
それは余波も立てず、音すらなく、ゆるやかに一つの円として広がり、兄妹弟子と想い人の立つ中洲にも到達する。
生じた波紋はそれきり。
あとは、しん……と、しわぶき一つ立てなかった。
水面を伝う波紋が、うねりとなって断続的に金砂の中洲に打ち寄せる。さいわい、波は蒼い結界に阻まれ、足場が水に呑まれることはなかったが――人の子としては、さすがに生きた心地がしない。
「なぁ、スイ……お前、どうしたらこんなに怒らせられんだよ。喰われちゃいそうだよ、俺」
「……それ、言語じゃなくて本当に良かった。いい? セディオ。覚えといて。アクアに冗談は通じない」
珍しく、ジト目のスイがずいっと下から覗き込むように小豆色の髪の青年に迫り、ゆっくりと一音ずつ発声した。両手は腰に当てられ、まっすぐに見上げて来るので、互いの鼻の頭が触れそうなほど近い。
セディオは咄嗟に半身を引き、諸手を挙げて降参した。――でないと、うっかり抱き寄せてしまいそうだった。
「……了解、魔術師どの」
「よろしい、細工師の王子殿下。ちょっと説得して来るから。いいね? 口も手も出さないでよ?」
「おい待て。どんだけ信用ないんだよ」
やや憤慨した様子の青年に、黒髪の美女はすぅ……っと、視線を流す。(よく言うよ)と、言わんばかりだった。
「……いい? 胸に手を当てて、よーく理由を考えて。貴方がどれほど手が早くて、油断がならないか。もう、証明できるのは私だけにしてほしいと、いちおう心底願ってるんだからね?」
「――え。あ、はい。……だよな。うん……悪ぃ。謝らないけど」
しどろもどろと、弁解にもならない釈明もどきを溢す恋人に、スイの紫の色味を増した黒瞳がきらめいた。口許には、これまた中々見ることのできない、花のようにあでやかな笑みが咲きこぼれている。
(くっそ、敵わねぇ……)
内心の呟きに反し、セディオの表情は甘い。それを隠すように束の間、青い目を泳がせ――わざと一言。ぶっきらぼうに告げた。
「待ってる。……大丈夫だろうけど、無理だけはすんな。機を改めるって手もあんだからな?」
「……」
ふわ、と。
笑んだままのスイが距離を詰める。セディオは、今度は避けなかった。閉じられた睫毛が長いな……と、ぼんやり思っている間に、頬に口づけられた。先ほど、炎の司にいやからせじみた祝福を授けられた場所だ。
思わず、ぱっと口許を押さえる。
「ス」
「……消毒? ちょっと、上書き。ごめんね待てなかった」
じゃ、行ってくる―――と。
ごく軽い口調で言ってのけた魔術師は、自然な足運びでするり、と結界から抜け出た。
* * *
“あやつか? そなたの伴侶は”
“えぇ、そう。……だめ?”
水面を、わずかな円を描く紋様のみ浮かばせてスイが渡る。沈まない。一切の体重を感じさせない優雅な歩みを披露し―――そのまま白蛇の元へと辿り着き、事もあろうに胴体に腰掛ける。
「……!」
「ししょっ……?!」
「……もうやだ……驚きすぎて皹が入りそうよ。生まれたばっかりなのに! 師匠のばかっ!!」
三者、思い思いの反応を見せるなか、黒髪の魔術師は淡々と言語を紡ぎ続ける。しかし、どこか抑揚に欠けていた。
“水の気性って、厄介ねアクア。愛したものを側にずっと留めておきたいなんて。貴女がそんなだから、ご覧なさいな。水の乙女達ときたら、見境なくキリクまで襲おうとしたのよ?“
瞼のない青の瞳に、すぅっと氷のつめたさが宿る。
“何が悪い? そなたを愛しんでおる。外に出ても、元のうつくしい宝石の本体を穢されるだけだった。あらゆる犠牲の上に成り立っての今ではないか。正直、もうずぅっと妾の元にあれば良いのにと思うておる”
“正直ねぇ……貴女のそういうところ、嫌いじゃないけど。あぁもう、本当に厄介……”
ふぅ、と。
頬に手を当てたスイは嘆息した。つよい意思を込めた黒紫のまなざしで、濡れたように光る水の司の瞳、その銀色の瞳孔を射抜くように捉える。
“――あの人よ。かれだけなの。かれだけが、本当の意味で私を壊せる。私を、本当の意味で癒してくれる。……これで、答えにならないかしら。ね、認めて? 貴女のことは変わらず慕ってる。けれど、私は自分の思う場所に在りたいわ。だって、わかるの。寿命ができてしまったんだもの”
(――……!!)
果たして、揺らいだのは蛇体だったのか、空気そのものだったのか。
一時、凪いだような鏡面と化していた広大な地底湖に、スイと水の司を中心とする大きな真円が一つ、生じた。
それは余波も立てず、音すらなく、ゆるやかに一つの円として広がり、兄妹弟子と想い人の立つ中洲にも到達する。
生じた波紋はそれきり。
あとは、しん……と、しわぶき一つ立てなかった。
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