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5章 二つの魔術
60 王太子と魔術師
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「ちょっと、見せてフラン王子。その耳……頬も」
「あ、はい。すみません」
ゆるく波打つ赤毛の青年は、大人しくされるがままに、指定された岩の上に腰かけた。
真剣なまなざしのスイが、みずからのポーチから小瓶を二本取り出す。一本は『消毒』、一本は『傷薬』と、それぞれのラベルに黒インクで走り書きがあった。
学術都市の、誰かのお手製かな……と、ちらりと考える。どのみち、彼女の携帯薬なら効き目は高いだろう。
「……」
両者、沈黙。
正面から覗き込まれているので、やたらと顔が近い。
すっ……と、伏し目がちな顔が近づき、なんと耳許に寄せられた。会ってすぐ「血が出てるよ王子」と指摘された左耳の辺りだ。治療行為とわかっていてもどぎまぎする。
が、魔術師はそ知らぬ顔で、すん、と匂いを嗅ぐ仕草をした。
「……毒は、使ってないみたいだね。良かった。普通の治療でなんとかなりそう」
「あぁ。――……うん、成る程そうですね」
そうか、と、浮わついていた気持ちが鎮まった。
体に変調はなかったので、大丈夫とは思っていたものの、他者からはっきり言葉にしてもらえたことに改めて安心する。
ほぅっ……と、見るからにフランは肩の荷が降りた風情となった。
「助かりました、スイ。貴女が来てくださらなければ今ごろ死んでましたよ。今回は……私を守ろうとした者が二名。――おそらくは」
「そう……すまない。本当に、もう少し早く発つべきだった」
「! いえ、そんな……!!」
否定の言葉を述べつつ、まざまざと脳裡に浮かんだのは国境を越え、人気のない峠に差し掛かったとたんに豹変した随従らの、突然の裏切りだった。
視線がつい、足元に落ちる。
犠牲となった顔馴染みの騎士や、まだあどけなかった騎士見習いの少年。――もう、こんなことばかり何度繰り返したろう。
善良なものが命を断たれるのは、あまりに忍びない。
ましてや、それが自分を庇ってのこととあっては。
俯き、苦悩に眉をひそめる青年に、スイも思わず表情を曇らせる。
――――
それを慰めるように一陣、風が吹き抜けた。
フランは、ぱっと顔を上げた。首を横に振ろうとし、そういえば治療の途中だったと気付く。
スイが、目の前で手持ちの布に消毒液を浸している。せっかくの彼女の行為に水を差すわけにはいかない。
なので、せめてもの思いを込めて言い募った。
「貴女のせいでは」
「ん、わかってる。だから……せめて、あなたの危機は救えたと言おう。アイリーネとカディンの願いは無事に叶えられたと。あえて、かさねて言うけど……間に合って、本当に良かったフラン。―――よく、がんばったね」
(!)
濡れたような、紫の瞳。
泣くわけにはいかない自分の代わりに、彼女が悲しみを背負ってくれているようで。
フランは、知らず唇を噛んでいた。
絞るように、震えまいとする声音のまま、謝意をこぼす。
「はい……スイ。……ありがとう」
魔術師は、ふるふる、としずかに首を振った。やがて、慈しみにあふれた笑みを青年へと向ける。
「どういたしまして」
深く深く、しずかな――それは、透徹とした眼差しだった。
しみるよ、と注意された薬液はそれなりにぴりりと焦がすような痛みを耳朶と頬にもたらしたが、フランは微動だにせず甘んじた。
痛いのは、生きているからだと。
* * *
しばらく白樺の森を歩くと、ひっそりとした湖畔に辿り着いた。
「スイ。ここは?」
「さぁ? 名前は知らない。ただ、風の子らが去り際に教えてくれたんだ。『きれいな水があるよ』って。……走り通しで秋雨も疲れたでしょう? さ、おいで」
まるで言葉を理解するように、葦毛の馬――
秋雨はブルル……ッと鼻を鳴らし、やや湿る枯れ葉を蹄で踏み分け、彼女にすり寄った。
(本当に、万物に愛されし魔術師だな)
本来の主は、眩しそうに目をすがめる。
見目良い白馬と美女の組み合わせは、絵になるの一語に尽きた。
手綱を引かずとも、秋雨は嬉しげに手頃な淵で水を飲み始めた。
湖面を渡る微風が、髪を張り付かせるほどの汗を乾かしてゆく。
フランは人心地ついてゆったりと風景に見入っていたが――ふと、視線に気づいた。
腕を組み、考え込むような仕草で小首を傾げたスイが、紫がかった黒瞳でじぃっ……と自分を見つめている。
その熱があまりにも心当たりのない類いのもので、俄然落ち着かなくなった王太子は、おそるおそる彼女に訊いてみた。
「あの……スイ? なぜ、そんなに……何か、付いてますか」
顎の辺りに指を添え、撫でてみる。触れなければわからない程度の髭しか、まだ生えてはいないはずだが。
神妙な面持ちの青年に、スイは吹き出した。
「ふっ……ふふふ! いや、違う。そうじゃないんだ王子。……何と言えばいいのかな。
実は、あなたの弟君と偶然会ってね。今、うちで保護してる。できれば結婚したいんだけど。あなたのご両親は許してくれるかな」
「えっ……え!!? けっこん……? スイが???!!
ひっそりとした森の奥。
すっとんきょうな、悪気ない王子の叫びが谺した。
「あ、はい。すみません」
ゆるく波打つ赤毛の青年は、大人しくされるがままに、指定された岩の上に腰かけた。
真剣なまなざしのスイが、みずからのポーチから小瓶を二本取り出す。一本は『消毒』、一本は『傷薬』と、それぞれのラベルに黒インクで走り書きがあった。
学術都市の、誰かのお手製かな……と、ちらりと考える。どのみち、彼女の携帯薬なら効き目は高いだろう。
「……」
両者、沈黙。
正面から覗き込まれているので、やたらと顔が近い。
すっ……と、伏し目がちな顔が近づき、なんと耳許に寄せられた。会ってすぐ「血が出てるよ王子」と指摘された左耳の辺りだ。治療行為とわかっていてもどぎまぎする。
が、魔術師はそ知らぬ顔で、すん、と匂いを嗅ぐ仕草をした。
「……毒は、使ってないみたいだね。良かった。普通の治療でなんとかなりそう」
「あぁ。――……うん、成る程そうですね」
そうか、と、浮わついていた気持ちが鎮まった。
体に変調はなかったので、大丈夫とは思っていたものの、他者からはっきり言葉にしてもらえたことに改めて安心する。
ほぅっ……と、見るからにフランは肩の荷が降りた風情となった。
「助かりました、スイ。貴女が来てくださらなければ今ごろ死んでましたよ。今回は……私を守ろうとした者が二名。――おそらくは」
「そう……すまない。本当に、もう少し早く発つべきだった」
「! いえ、そんな……!!」
否定の言葉を述べつつ、まざまざと脳裡に浮かんだのは国境を越え、人気のない峠に差し掛かったとたんに豹変した随従らの、突然の裏切りだった。
視線がつい、足元に落ちる。
犠牲となった顔馴染みの騎士や、まだあどけなかった騎士見習いの少年。――もう、こんなことばかり何度繰り返したろう。
善良なものが命を断たれるのは、あまりに忍びない。
ましてや、それが自分を庇ってのこととあっては。
俯き、苦悩に眉をひそめる青年に、スイも思わず表情を曇らせる。
――――
それを慰めるように一陣、風が吹き抜けた。
フランは、ぱっと顔を上げた。首を横に振ろうとし、そういえば治療の途中だったと気付く。
スイが、目の前で手持ちの布に消毒液を浸している。せっかくの彼女の行為に水を差すわけにはいかない。
なので、せめてもの思いを込めて言い募った。
「貴女のせいでは」
「ん、わかってる。だから……せめて、あなたの危機は救えたと言おう。アイリーネとカディンの願いは無事に叶えられたと。あえて、かさねて言うけど……間に合って、本当に良かったフラン。―――よく、がんばったね」
(!)
濡れたような、紫の瞳。
泣くわけにはいかない自分の代わりに、彼女が悲しみを背負ってくれているようで。
フランは、知らず唇を噛んでいた。
絞るように、震えまいとする声音のまま、謝意をこぼす。
「はい……スイ。……ありがとう」
魔術師は、ふるふる、としずかに首を振った。やがて、慈しみにあふれた笑みを青年へと向ける。
「どういたしまして」
深く深く、しずかな――それは、透徹とした眼差しだった。
しみるよ、と注意された薬液はそれなりにぴりりと焦がすような痛みを耳朶と頬にもたらしたが、フランは微動だにせず甘んじた。
痛いのは、生きているからだと。
* * *
しばらく白樺の森を歩くと、ひっそりとした湖畔に辿り着いた。
「スイ。ここは?」
「さぁ? 名前は知らない。ただ、風の子らが去り際に教えてくれたんだ。『きれいな水があるよ』って。……走り通しで秋雨も疲れたでしょう? さ、おいで」
まるで言葉を理解するように、葦毛の馬――
秋雨はブルル……ッと鼻を鳴らし、やや湿る枯れ葉を蹄で踏み分け、彼女にすり寄った。
(本当に、万物に愛されし魔術師だな)
本来の主は、眩しそうに目をすがめる。
見目良い白馬と美女の組み合わせは、絵になるの一語に尽きた。
手綱を引かずとも、秋雨は嬉しげに手頃な淵で水を飲み始めた。
湖面を渡る微風が、髪を張り付かせるほどの汗を乾かしてゆく。
フランは人心地ついてゆったりと風景に見入っていたが――ふと、視線に気づいた。
腕を組み、考え込むような仕草で小首を傾げたスイが、紫がかった黒瞳でじぃっ……と自分を見つめている。
その熱があまりにも心当たりのない類いのもので、俄然落ち着かなくなった王太子は、おそるおそる彼女に訊いてみた。
「あの……スイ? なぜ、そんなに……何か、付いてますか」
顎の辺りに指を添え、撫でてみる。触れなければわからない程度の髭しか、まだ生えてはいないはずだが。
神妙な面持ちの青年に、スイは吹き出した。
「ふっ……ふふふ! いや、違う。そうじゃないんだ王子。……何と言えばいいのかな。
実は、あなたの弟君と偶然会ってね。今、うちで保護してる。できれば結婚したいんだけど。あなたのご両親は許してくれるかな」
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ひっそりとした森の奥。
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