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5章 二つの魔術
66 長の待ち人
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「ヨーヴァに面会を」
「……失礼ですが、お名前をお伺いしても? 何か、お約束はございますか」
つやつやに磨かれ、鏡のように訪れた者の顔を下から映す黒鉱石のカウンター越し。受付の女性は相手を見上げ、怪訝そうに眉をひそめた。
勤務時間中は基本的に移動できない。入り口に面したカウンターの内側、来客をさばきつつ一人で椅子に掛けている。
対する客人はほっそりとした女性。並みの男性ほどの背丈だった。彼女は「あぁ」と呟くと目深に被っていたフードに手をかけ、そっと後ろに払う。
顕になる白皙の肌、紫がかった黒い双眸。柳めいた眉に通った鼻筋、品のよい薄い唇は今は笑んでいない。が、怒っているわけでもなさそうだった。
しずかな、理知的な美女だ。
場を任されている受付嬢はさらに首を捻った。初見ではある。一度見たら忘れようのない人物だ。
にも拘わらず、彼女は見知った相手のように『ヨーヴァ』と呼び捨てた。
――この、新式魔術師ギルドの創設者でもあるギルド長の名を。
客人はようやく微笑んだ。しかし目は笑っていない。
「スイが……『アメシストが来た』と伝えて。本来なら、かれのほうから来なきゃいけない」
「はっ?! は、はい。少々お待ちを」
どことなく底冷えする光を湛えたまなざしに堪えきれず、受付嬢は手元の魔法具へと両手をかざした。
黒い天鵞絨で下半分を覆った、ほぼ真球の水晶。付与してあるのはちいさな風精だという。
女性は、ぼんやりと光る水晶球に語りかけた。
「――最上階。長の担当へ告ぐ。アメシストと名乗る女性がおいでです。如何いたしましょう」
言葉を終えると、す、と光を撫で払うように一旦、右手で触れる。
視る力のない者にはわからないだろうが――……
スイは視線を虚空に這わせた。
蝶ほどの、囚われた風の子が塔の階段の先をゆき、ふわりと昇ってゆく。
弱い。むりやり繋ぎ止められた風の子は消える定めにあるのに、それすら許されず紙きれの幻のように漂う有り様に、スイはしかめ面になった。
「……」
「…………」
見るからに不機嫌となった佳人にはらはらしつつ、話しかけるのも憚られ、受付嬢も困ったように押し黙る。
――ややあって。
ちかちか、と水晶が二度瞬いた。
ホッとした表情の女性が顔を近づけ、耳に手を添えて注意深く言付けを聞いている。
ごく細い声だったが、ここにはいない女の声は、カウンター越しのスイの所にも辛うじて届いた。
『――長の待ち人です。ご案内を』
つめたく、抑揚のない声音。
受付嬢が実は苦手とする、長付きの秘書の声だった。
それでも客人に伝えるべく顔を上げると、なんと誰もいなかった。
急いでフロアー内を見渡す。
無断で、ものも言わずにすたすたと階段へと向かう客人を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「? なっ……!?」
女性は椅子を倒す勢いで立ち上がり、慌てて彼女の元へと駆け寄る。
なんとか引き留められないか。懸命に試みた。
「困ります、どうかお待ちを。案内の者を直ちに呼びますので」
「いや、いい」
カツカツカツ、とスイにしては珍しい荒い足音で石造りの床を蹴る。ふと階段手前で立ち止まると、にこりと女性に微笑みかけた。
どきり、と心臓を跳ねさせた受付嬢が目を丸くする。
(おかしい……同性なのに??)
まだ若い女性がどきまぎと顔を赤らめる様子に、さしものスイも苦笑する。
――しょうがないな、とため息混じりに呟き、小首を傾げた。
「長の部屋は知ってる。他にも色々。……三十年ちょっと前から、大して変わってないんでしょう?」
「!」
咄嗟に答えられず、受付嬢は足を止めた。『アメシスト』と名乗る客人はその隙に、聳え立つ塔の最上階へと続く螺旋階段に一歩、足をかける。
そのままコツ、コツ――と。
靡く黒髪と白い外套は、すぐさま視界から遠ざかった。
「…………んん、もうっ!!」
職務を全うしたとはお世辞にも言い切れず、受付嬢はモヤモヤとした面持ちのまま持ち場へと戻る。
あえて椅子には腰を下ろさず、立ったまま身を屈めると、手早く水晶の魔法具を再起動した。
「――最上階、長の担当に告ぐ。お客様に案内を断られました。今、お一人でそちらに向かっておいでです」
「……失礼ですが、お名前をお伺いしても? 何か、お約束はございますか」
つやつやに磨かれ、鏡のように訪れた者の顔を下から映す黒鉱石のカウンター越し。受付の女性は相手を見上げ、怪訝そうに眉をひそめた。
勤務時間中は基本的に移動できない。入り口に面したカウンターの内側、来客をさばきつつ一人で椅子に掛けている。
対する客人はほっそりとした女性。並みの男性ほどの背丈だった。彼女は「あぁ」と呟くと目深に被っていたフードに手をかけ、そっと後ろに払う。
顕になる白皙の肌、紫がかった黒い双眸。柳めいた眉に通った鼻筋、品のよい薄い唇は今は笑んでいない。が、怒っているわけでもなさそうだった。
しずかな、理知的な美女だ。
場を任されている受付嬢はさらに首を捻った。初見ではある。一度見たら忘れようのない人物だ。
にも拘わらず、彼女は見知った相手のように『ヨーヴァ』と呼び捨てた。
――この、新式魔術師ギルドの創設者でもあるギルド長の名を。
客人はようやく微笑んだ。しかし目は笑っていない。
「スイが……『アメシストが来た』と伝えて。本来なら、かれのほうから来なきゃいけない」
「はっ?! は、はい。少々お待ちを」
どことなく底冷えする光を湛えたまなざしに堪えきれず、受付嬢は手元の魔法具へと両手をかざした。
黒い天鵞絨で下半分を覆った、ほぼ真球の水晶。付与してあるのはちいさな風精だという。
女性は、ぼんやりと光る水晶球に語りかけた。
「――最上階。長の担当へ告ぐ。アメシストと名乗る女性がおいでです。如何いたしましょう」
言葉を終えると、す、と光を撫で払うように一旦、右手で触れる。
視る力のない者にはわからないだろうが――……
スイは視線を虚空に這わせた。
蝶ほどの、囚われた風の子が塔の階段の先をゆき、ふわりと昇ってゆく。
弱い。むりやり繋ぎ止められた風の子は消える定めにあるのに、それすら許されず紙きれの幻のように漂う有り様に、スイはしかめ面になった。
「……」
「…………」
見るからに不機嫌となった佳人にはらはらしつつ、話しかけるのも憚られ、受付嬢も困ったように押し黙る。
――ややあって。
ちかちか、と水晶が二度瞬いた。
ホッとした表情の女性が顔を近づけ、耳に手を添えて注意深く言付けを聞いている。
ごく細い声だったが、ここにはいない女の声は、カウンター越しのスイの所にも辛うじて届いた。
『――長の待ち人です。ご案内を』
つめたく、抑揚のない声音。
受付嬢が実は苦手とする、長付きの秘書の声だった。
それでも客人に伝えるべく顔を上げると、なんと誰もいなかった。
急いでフロアー内を見渡す。
無断で、ものも言わずにすたすたと階段へと向かう客人を見つけるのにそう時間はかからなかった。
「? なっ……!?」
女性は椅子を倒す勢いで立ち上がり、慌てて彼女の元へと駆け寄る。
なんとか引き留められないか。懸命に試みた。
「困ります、どうかお待ちを。案内の者を直ちに呼びますので」
「いや、いい」
カツカツカツ、とスイにしては珍しい荒い足音で石造りの床を蹴る。ふと階段手前で立ち止まると、にこりと女性に微笑みかけた。
どきり、と心臓を跳ねさせた受付嬢が目を丸くする。
(おかしい……同性なのに??)
まだ若い女性がどきまぎと顔を赤らめる様子に、さしものスイも苦笑する。
――しょうがないな、とため息混じりに呟き、小首を傾げた。
「長の部屋は知ってる。他にも色々。……三十年ちょっと前から、大して変わってないんでしょう?」
「!」
咄嗟に答えられず、受付嬢は足を止めた。『アメシスト』と名乗る客人はその隙に、聳え立つ塔の最上階へと続く螺旋階段に一歩、足をかける。
そのままコツ、コツ――と。
靡く黒髪と白い外套は、すぐさま視界から遠ざかった。
「…………んん、もうっ!!」
職務を全うしたとはお世辞にも言い切れず、受付嬢はモヤモヤとした面持ちのまま持ち場へと戻る。
あえて椅子には腰を下ろさず、立ったまま身を屈めると、手早く水晶の魔法具を再起動した。
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