翠の子

汐の音

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6章 掌中に収まらぬ宝

82 魔術師の願い

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 陽を遮っていた霧にも似た砂塵は、幾重にもかさねられたカーテンを払うように軽やかに分けられた。

「あぁっ…………!」

 アナエルの何かしらの術も、はね除けられたらしい。高齢のヨーヴァと眠る黒真珠を守るように立ち塞がっていた細い身体がよろめいた。

 ヨーヴァは彼女に手を貸さない。《始まりの紫水晶アメシスト》の精霊粉が詰まった小瓶を隠すように懐で抱え込み、呆然と頭上を眺めている。

 温度のない視線でそれを一瞥したスイは、独特の韻と抑揚を持つ古語ルーンで滑らかに。紫の光をたたえる黒瞳で、輝く存在へと語りかけた。

“久しぶり。わかりやすく姿をまとってくれてありがとう風の司エアリィ。ね、地上の人間達にも貴方の姿は見せてくれたの?”

「!」

 エアリィ、の単語のみ聞き取れた人の子らは、限界まで目をみひらいた。
 既に把握していたのだろうエメルダやアナエルに、そういう意味での衝撃はない。が、エメルダは実に脱力した様子で、正直な所感をこぼした。


「…………えぇと、風の司エアリィ。古来、最も古きものの一つにして、囚われぬ自由の象徴よね? どうしてそんなに無駄にきらびやかなの……?? しかも」

(若い)
 外見年齢はキリクよりも幼いだろう。
 全員、壊れた塔の最上階に知らん顔で降り立った少年に釘付けとなった。
 とにかく麗々れいれいしい。
 流れ落ちる金の髪は顎の下辺りから空気をはらみ、ふわりと浮いて肩や背の輪郭を曖昧にしている。
 たっぷりと布地をかさねた白の衣も自身を起点とする螺旋の風にゆらめき、優雅なドレープを波打たせている。
 足元は古風なサンダル。肌の色は雪花石膏アラバスタ。質感は明け時の、うすい薔薇色の雲を思わせた。

 まるでスイとお揃いのような紫の瞳。彫像めいた幼い美貌をくしゃりと歪ませ、風の司は惜しげもなく破顔した。

“どういたしまして、スイ。可愛いきみのためだもの。もちろん可能な限り威圧したし、姿も見せつけた。だって、ここの空気はひどく淀んでたし――
 『我が物顔』って、あぁいうのを言うんだよね? どうせやるなら、とことん派手にしようと思ったんだ。だめだった?”

“いや。いいけど。怪我人は出てない?”

 少年の形をまとった存在の天衣無縫さに、スイは無頓着だった。淡々と必要な確認をとる。
 エアリィはひどく人間くさい表情で、ひょい、と肩をすくめた。

“あぁ、ちょっとは血が流れたけど大したことない。全部かすり傷だよ。つまんない。早い段階でおれに気づいた奴が一人いてさ。そいつが、やたらてきぱき指示を飛ばして他の人の子やつらを誘導してんの。お陰で誰も死ななかった。つまんな――”

“次に『つまらない』と言ったら、その綺麗な頬を張り倒すわ”

“すみません”

 余人を立ち入らせぬ軽妙なテンポで、ルーンによる歌の応酬はえんえん続く。
 ふと、紫の瞳があやうい光を浮かべてきらめいた。

“で。そいつだよね、きみを人間にした元凶。どうする? せっかくだし、殺しとく?”

“こらこら”

 苦笑したスイは、目許を一瞬曇らせた。
 自分のことはいい。しかし。

(……今まで奪われた、いくつもの命があった。均衡を乱された。果ては、アナエルのような存在まで)

 わななく、血の気のない唇。整ってはいるが印象には残らない無機質な顔。
 琥珀色の女性は、まだ状況に追い付けていない様子だった。禍々しい黒縄の気配はない。出せないのだろう。
 いま、この場は風の元素霊エレメンタルで満たされている。創世の息吹に等しい神々しさで、塔を媒介にかたどられた結界は霧散していた。


 人の子としては畏怖を。
 精霊だった身体は本能で恭順を。
 それを、に誓ったのだろうヨーヴァへの帰属心だけで押し退け、奮い立たせている。

 哀れだった。
 ヨーヴァも、ひたすら哀れだった。
 かれの父だったミゲルの遺言。やっと築いた安寧の地――学術都市の片隅で、かれはひっそりと息を引きとった。その間際を鮮明に思い出す。思い出して、今も同じ悼む心で目を瞑る。息が止まる。涙が滲む。


 ――――……だめ。ころせない。

 逡巡に似た一時ひととき。スイは唇を噛みしめた。
 ためた涙を払うように、忙しなく瞬いて顔を上げるまで。


“お願いを……聞いてくれる? エアリィ。どうか”

 歌いつつ歩み寄る、つややかな黒髪の魔術師。
 彼女に甘い気まぐれな力の司は、膝をついて目線を合わせてきたスイの、揺れも嘆きも何もかもを飲み込み、ゆったりと微笑んだ。

 そのときだけは超然と、慈父のまなざしで。


 ――――うん。いいよ、と。


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