とある会社員と妖精王のはつ恋

園生

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妖精王と出会う 1

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 ガサゴソとコンビニのビニール袋を揺らしながら、ふと空を見上げた。
 
 ひんやりとする空気に包まれて小さく白い息を吐き出すと、橙色の提灯の明かりが目に映る。
 三月中旬から四月の初めの、桜の開花時期にだけ合わせて設置されるその提灯は、近くの商店街によるものだ。
 今時珍しい「人情の町」をキャッチフレーズに、人を呼びこもうと頑張っているその商店街は、若者を中心に昔の活気を取り戻しつつあるらしい。

 ビールを片手に何とはなしに流していた日曜の情報バラエティ番組で、自分の住んでいる町が特集として取り上げられていて、思わず前のめりで最後までしっかり見てしまったから、裕太は今、少しだけその商店街について詳しかった。
 市がチャンレンジ応援事業として商店街の空き店舗に出店する人に、改装工事費や賃借料を、最大で百万円ほど補助することにしたのが功を奏したらしい。

 元々知名度もあり、住みやすい町として何度かメディアにも取り上げられたこともあったから、自分で店を構えるということに興味をもった若者が殺到したと、そうナレーターが意気揚々と解説していた。
 取材のインタビューを受けて、頬を紅潮させながら自分の夢を語る若者を眩しい目で眺めながら、グビリとビールを飲んでうらやましいなぁ、などと裕太は思った。

 ……あともう少し若ければ自分も、などと思っただろうか。

 ふと数年前の自分を頭の中でイメージして問いかけてみたけれど、答えはノーだった。

 不景気で雇用情勢が悪化している今、そんな冒険をあえてしてみようなどとは思わない。
 残業時間が多すぎるとか、苦手な上司へのおべっかは疲れるとか、年下の部下たちへの指導は難しいだとか。数え出したらキリがない不満はあるが、会社勤めは自分にあっていると思う。

 朝寝ぼけまなこを擦りつつ、クリーニング屋でまとめて洗ってもらったパリッとノリのきいたワイシャツを着て、無難な色とデザインで揃えたネクタイを手に取って。ローテーションでその日に着て行くスーツを選ぶ。
 何も考えずに選んでも、それなりにきちんとした格好になるから、スーツは好きだ。
 そして大小様々な失敗を重ねながら培ってきた経験で、そつなく一日の業務を終えれば、ご褒美のビールが待っている。

 小さな幸せを見つけるのが得意で、ささいなことで十分満足出来るたちだから、それで裕太の毎日は満ち足りていた。
 二十代後半にしてすでに枯れている自覚は少しあるが、さほど気にならない。
 人には得手不得手というものがあって、波風立たない穏やかな日常をおくることが自分にとっての幸せだと、よくわかっていたから。

 ポケットに入れて置いたスマホが振動して着信を知らせて来た。
 表示されている名前を見てそこに書かれているメッセージを読み、裕太はつい眉を寄せた。
 くっきりと深い縦じわを作っているのを自覚しながら、ふうとため息をつく。

〈帰って来るのがおそい〉

 いきなり文句を書いて寄越してくる相手に、仕方なしに裕太はポチポチと返事を打った。

〈ごめん。ちょっと仕事でトラブルがあった〉

 本来なら謝る必要もないはずだが、心配してくれているのはわかっているから、そう返しておく。

〈ブラック企業とやらなら、辞めたらどうだ〉

 ブラック企業、という言葉を見て(へえ、いつの間にそんな言葉を覚えたんだ)と裕太は一瞬感心しそうになったが、すぐにそれがテレビの影響だと気が付いた。

 一日中家にいて、テレビを見てゴロゴロしているのだから、そのくらいの言葉はもう覚えてしまっていてもおかしくはない。

〈辞めるわけにはいかないよ。働かざるもの食うべからず、って言うし〉

 チクリと皮肉を込めてついそう打つと、〈ちょっと待て。今、調べる〉と返ってきた。
 慌てて、通話ボタンを押すと裕太はスマホを耳にあてた。

「調べなくていいよ、そんなの」
『なんだ。今、調べていたのに。話していたらうまく打てないだろう』

 スマホの扱いにまだ慣れていないので、通話しながらそのまま検索するというわけにはどうやらいかないらしい。

 ほっと安堵して裕太は笑った。

「いいって。調べなくて。ちょっと……その……、嫌味も入ってたし」
『……なるほど?』

 声のトーンが少し上がって面白そうな声音を出した相手に裕太は慌てた。

『働いていない私への嫌味だな。それは』
「……まあ、そうだけど」

 決して嘘を言っているわけではないが、そう改めて確認されてしまうと少々きまりが悪い。なんだかもぞもぞする。

『だから私も働くと、ずっとそう言っているだろう』

 電話の向こう側の顔を思い浮かべて、はあ、と裕太は深いため息を吐き出した。

「――オエングス。それ、本気で言ってる?」
『私はいつも本気だ』
「履歴書になんて書くつもりだよ。年齢も学歴も、職歴も」

 まさか正直に書くわけにはいかないだろう。

 ――オエングス。満二百五十歳。
 ――住所、妖精郷。
 ――学歴、なし。職歴、なし。免許、資格、ともになし。
 
 いや、住所はうちでいいのか。
 それに免許や資格はないけれど、特技ならきっとあの男にはあるだろう。ただそれが、人前で見せられるものかどうかはかなり怪しいけれど。

「遅くなったけれど、もう少しで家に着くから。この間オエングスが美味しいって言ってたビールも買ったし」

 ため息交じりで話を変えて裕太がそう言うと、嬉しそうに弾む声が返ってきた。

『麦芽百パーセントのやつか』
「そうそう。発泡酒とか第三のビールじゃなくて、麦芽百パーセントのちょっといいやつ」

 藤木祐太。二十八歳。
 ごくごく普通のどこにでもいるような会社員で、おそらく少し社畜ぎみ。
 身長は高くもなく、低くもなく。見た目は、社内の女性の同僚たちに言わせると、格好いいというよりどうやら可愛い系に属するらしい。
 けれど、アイドルじゃなくて小動物に向けていうような「かわいい」だそうだから、そう言われてもあまり嬉しくはない。それにいい年した男が「かわいい」なんて言われて喜ぶのは、どうだろう。きっとちょっと、気持ちが悪い。

 一人暮らし歴は長く、高校を卒業してすぐからだから、もはやベテランの域だ。

 単調で平凡で地味な毎日をこよなく愛する裕太の元に、ある日突然イレギュラーな存在が現れた。

 もう三か月前のことなのに、今でも裕太はそれがまるで昨日のことかのように思い出せる。
 きらきらと光る金髪に青い瞳をして、美術館の絵の中から飛び出てきたようなその人は、真面目な顔をして自分を「妖精王」だと名乗った。

 冷たい雪まじりの雨が降る日で体を震わせながら、玄関の前に立っていた時のことは今でも忘れられない。

 まるでその場所だけスポットライトでも頭上から照らしているのではないかと思うほど、その人とその周りだけ明るく輝いて見えた。実際、本当に何か特別な力が働いていたのかもしれない。

「妖精王」というからにはきっとそのくらいのことが出来ても不思議じゃない。

『もう随分と遅い時間だから、くれぐれも気を付けて帰ってくるんだぞ』
「俺のこといくつだと思ってんの」
『私から言わせるとまだ赤ん坊だ』
「あ~。そうなる? まあ、二百五十歳からすりゃそうなるか……はいはい、了解」

 心配性のその人に返事をして、裕太はくるりと足をマンションの方へと向けた。
 知らず知らずのうちに足早になってしまっているのに気付いて、そんな自分に苦笑する。

 ――裕太は今、その「妖精王」とやらと一緒に、都内にあるマンションの一室でなぜか和気あいあいと暮らしている。 
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