氷と花

泉野ジュール

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恋の終わり "You shall not be here"

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 マージュはいつだって、いつか自分がウェンストン夫人になるのだと信じて疑っていなかった。
 よく晴れた秋の正午、ダルトンの街にそびえる唯一の教会の前で、新婚夫婦となる祝福を受けているお似合いの男女を涙にあふれた瞳でながめていても、その確信に揺らぎはなかった。
 ──だって、わたしがウェンストン夫人ミセス・ウィンストンになるのには違いないもの。

 祝福に投げ入れられる穀物の粒が、雪のように新婚夫婦の上に降り注いでいた。
 軽やかな笑い声があちこちにあふれ、教会の鐘が盛大に鳴り響いて石畳の広場を揺らしている。参列者はそれほど多くはなかったが、誰もがよい身なりをしていて、花婿と花嫁の身分の高さをうかがわせた。
 それに比べると、マージュの服装はいささか地味だった。
 マージュの容姿は多少、おとなしい服装の方が映えると言ってくれたのは、ほかでもないフレドリック・ウェンストンそのひとだった……いままさに祝福を受けている新郎、本人だ。
 それなのに、なにをいまさら、フレドリックが気に入っていてくれていたドレスを着てここに立っているのだろう?

 フレドリックの隣では、国中の幸福を一身にあびたような輝かしい笑みを絶やさない花嫁がいて、もしこんな祝宴の場でなければたしなめられてしまいそうなほど、ぴったりと彼に寄りかかっている。
 マージュに足りなかったのは、なんだろう。
 もしかしたらあの花嫁のような大胆さかもしれないと思い、痛む心をおさえながら、唇をかんだ。

 泣いてはだめよ。いまだけは、泣いてはだめ!
 明日になれば、いくらでも泣く時間はある。でもいまだけは、泣いてはだめ。

 マージュはできるかぎり目立たない場所に身をひそめていたが、あまり参列者の群れから離れてしまうのは礼儀に反していたから、人垣の後ろで隠れるように背を縮めていた。それでも、フレドリックの陽気な声から逃げることはできなかった。
 フレドリックは花嫁のほおに口づけを与え、彼女がどれだけ美しく魅力的であるかを参列者に惜しげなく語り回っている。
 フレドリック、フレドリック、フレドリック。
 彼はいつだって太陽のようなひとだった。
 明るくて、大胆で、少年のような正直さをいつまでも失わない、マージュの太陽。しかし今日からはもう、彼の暖かさと光はマージュのものではなくなった。ダルトン教会の前で、白い婚礼のドレスに身を包みながら笑っている、あの女性のものへとなったのだ。

 どれだけ我慢しても涙がこぼれるのを止められなくなったマージュは、教会の裏に逃げようと決心して、後ろを振り返った。
 しかし、途端になにかがマージュの行く手をさえぎり、マージュは立ち往生した。
 大きくて黒くて硬い、壁のようななにかに体をぶつけて、驚いて顔を上げる。そしてその壁の正体に気がつき、するどくヒュッと息を吸って固まった。
「ミスター・ウェンストン」
 挨拶コーテジーなのか、驚きから漏れてしまっただけの声なのか、マージュにもよく分からなかった。
 しっかり後ろになでつけられた短い黒髪、マージュの二倍はありそうな広くてがっしりとした肩幅、見上げるような長身……そして氷のような冷たい灰色の瞳が、陰気にマージュを見下ろしている。
 彼の造形はすぎるほどに男性的で、美しくはあるのだろうが、フレドリックのように親しみのわく少年的な魅力とはかけ離れていた。
 マージュは彼が嫌いだった。
 否、苦手だった。
 なにもしなくてもマージュを震え上げさせるのに十分なもの恐ろしさを放っていたし、いつも疎遠で、それでいて顔を合わせるたびに怖いほど鋭い視線をマージュにじっと降り注ぐ。いまのように。
 そう、マージュは彼が苦手だった。恐れていた。
「マージョリー・バイル」
 彼はマージュの氏名をゆっくりと発音した。
 低い、低い、バリトンと呼ぶのに最もふさわしい柔らかさとは無縁の声。彼に関する苦手なものは数多かったが、この声音こそが、マージュを一番おびえさせた。もし冥界に王がいたら、きっとこんな声をしていると、マージュは確信さえしていた。
 彼は決して他の者のようにマージュを愛称では呼ばない。
 マージュは立ちすくみ、地獄から下される審判を待つ罪人の心境で、肩を震わせながら彼の次の言葉を待った。
「君はここにいるべきではないようだ」
 マージュはうつむき、なんとかうなずくことに成功した。
 悲しいかな、彼はまったくもって正しかった。マージュはここに来るべきではなかったのだ。華やかで喜ばしい新郎新婦の門出を悲しみの涙で汚す、陰鬱な……元婚約者。
 それがマージュなのだから。

「来なさい、マージョリー。馬車を用意させている。取引の所用でいますぐ帰らなければならなくなった。荷物はすでに運ばせている」

 取引、取引、取引。
 彼はなにか、ビジネス以外に心を動かされることはないのだろうか?
 実の弟の結婚式にも、涙を浮かべて震えるマージュにも……彼には思いやりの心を浮かべることはないらしい。ほかに選択肢がなかったから、マージュはおとなしくうなずいて顔を上げた。
 冷たい灰色の瞳が、じっとマージュを見すえている。目をそらそうにも、体がいうことをきいてくれなかった。
「来なさい」
 彼は、男らしく角ばった曲線を描くあごをしゃくり、再びマージュをうながした。意外にも、彼はマージュを置いて先に行くことはなく、左腕の肘ひじを軽く曲げてその場に立っていた。
 腕を取れ、ということだ。
 それはそうかもしれない……他の人達に見られているかもしれないし、ここでマージュが泣きながら一人で歩いていたら、いかにも体裁が悪い。冷徹な灰色の瞳が、これは計算された礼儀であり、愛情からくる行為ではないと、なによりも雄弁に語っていた。
「はい……ミスター・ウェンストン」
 マージュは彼の腕をとった。
 ミスター・ネイサン・ウェンストンの腕を。
 フレドリックの十一歳年上の兄で、マージュの新しい婚約者であるネイサンの腕は、想像していたのよりずっと力強かった。

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