太陽と月の終わらない恋の歌

泉野ジュール

文字の大きさ
24 / 33
O Holy Night

10

しおりを挟む
 聖なる夜よ──星のきらめくこの夜空に誓って。
 新しい愛が生まれる奇跡に、あなたの前に膝を折り、祈ろう。



【太陽と月の終わらない恋の歌 O Holy Night 10.】



 ダヴィッドが扉を開くと、ベッド上にマノンの姿は見えなかった。

 焦りを感じて大股でベッドに近寄ると、ダヴィッドはようやく、シーツの山が不自然に盛り上がっているのに気が付いた。くわえて、そのシーツの端から細い金髪が一束、二束、のぞいている。
 とりあえず胸を撫で下ろして、ダヴィッドは深く息を吐いた。

 寝室には暖炉があって、今も弱火ではあるがパチパチと燃え続けている。時刻はもう、夕方というよりも夜の方に近くなりはじめていた。
 子供にはそろそろ夕食が必要な時間だ。
 少なくとも、恵まれた家庭の子なら。

「マノン」
 と呟いて、ダヴィッドは片手でシーツの小山をなでた。

 上半身を屈めて顔を近づけると、確かに、鼻をすすりながら泣いている声が、シーツの谷間から漏れてくる。ぐず、ぐずという断続的な音に混じって、小さい悲鳴のような泣き声も聞こえた。
 ダヴィッドは頭を振りながら言った。

「なにも泣くことはないだろう……誰も、お前を傷つけないよ。熱もじきに下がる」
 すると、シーツの山がぴくりと震えた。

 すぐに顔を出すだろうと思ったが、しかし、マノンはしばらくシーツの下で動かなかった。泣き声は落ち着いていったが、鼻をすする音だけは続いている。

 意外と、頑固なのだろうか。
 ダヴィッドはもう一度シーツの上から彼女をなでて、今度はもう少し顔を近づけると、低い声でゆっくりと言った。

「出てくるんだ、マノン」

 効果は上々だったらしい。
 マノンは、静かに、しかしおずおずと身体をよじって、シーツから頭を出した。

 クシャクシャになった髪と、涙に濡れた頬──大人の女なら恥じ入ってしまいそうな姿だったが、マノンはまったく羞恥を感じている風ではなく、蜂蜜色の瞳を小刻みに瞬きながらダヴィッドを見上げている。

「マノ……ン……って」
 まだ小さくしゃくり上げながら、マノンは喋りはじめた。
 しかし続きが上手く言葉にならない。

 とりあえず、「マノン」という名前について何か言いたいらしいのは分かった。それに、今までずっとそう呼んできたが、本人に確認したわけではないのだ。
 ダヴィッドは先を促すように続けた。

「それが君の名前だろう? マノンだ。マノン・オルフェーヴル」
 マノンはシーツから出された頭を縦に振った。

「どうして……?」
「どうして知っているのか、か? 君のドレスからロケットが出てきた。そこに名前が刻まれていたから、それで判断したんだ」

 そう言って、ダヴィッドはサイドテーブルに手を伸ばし、一番上の引出しを開けた。
 中にしまわれていたロケットを取り出し、宙にかざす。鎖がしゃらりと下に垂れて、ロケットの部分がマノンの目と鼻の先にぶら下がった。

「君のものだろう」
 どういう訳か、これが盗品であるという疑いはほとんどなかった。

 楕円形の、上品で小柄なロケットは、子供が目をつけるには繊細すぎたし、不思議なほどしっくりとマノンの雰囲気に合っていて……彼女が、このロケットを手にして生まれてきたのだといわれれば、納得してしまいそうなほどだったから。
 マノンはベッドの上で上半身を起こして、ロケットに手を伸ばした。

 まだ微熱でふらふらしたマノンの身体が、あまりにも細くて、おまけに不安定に揺れるので、ダヴィッドは慌てて彼女の背に片手を回した。
 ロケットを手にしたマノンは、それをきゅっと両手で握り、感慨深そうに胸元へ押し当てる。

 そして、
「ありがとう……おじさん」
 と、ダヴィッドを見上げながら言った。

 安心しきったような笑顔まで見せて、つい先刻まで泣いていたのが嘘のようだ。
 ダヴィッドはどうも、このロケット一つで、少女の信頼を勝ち取ることに成功したらしい。それは悪い気分ではなかった。まったくもって、悪くない気分だった。

「君の名前がマノンだと分かったのなら──」
 ダヴィッドは言った。
「俺の名前も覚えてもらえると助かる。まだおじさんと呼ばれる年じゃないつもりなんでね」

「そうなの?」
「そうだ」
「なんていうの?」
「ダヴィッド」
 ダヴィッドの答えに、マノンは興味深そうに瞳を揺らした。
「ダヴィッド……」
 マノンは繰り返して言った。「きれいな名前」
「よくある名前だよ」
「いくつあっても、きれいなものは、きれいよ……。それに、ダヴィッドのための『ダヴィッド』は、きっと特別な『ダヴィッド』よ」
「ふうん……?」

 少女らしいといえば、少女らしい、意味の通るような通らないような曖昧な台詞に、ダヴィッドは適当にうなづいた。
 しかし、やはり気分は悪くない。

 マノンはいつの間にかダヴィッドに対する警戒をすっかり解いていて、ダヴィッドがマノンを買った男だという誤解は捨て去っているらしかった。

 彼女の屈託のない喋り方は、それなりの家庭できちんと育てられていたのを感じさせる。
 帰るべき場所のある子なのだろう。
 ダヴィッドはなんとなく、マノンの背を支えているのとは逆の方の手で、彼女の額に触れた。やはり熱の名残が感じられて、眉をしかめる。マノンはロケットに夢中になっていて、そんなダヴィッドの心配顔には気付いていないようだった。

「これ……お父さんが作ったの」
 マノンは、慣れた手つきでロケットを開きながら、言った。
「工房で、作ってくれたところも見たの。名前も……ほ、ほってくれたの……よめないけど」

 そう言いながら、ロケットの中に彫られた名前の部分を指でなぞる。
 ダヴィッドの胸に、妙な疼きが走った。

 ──彼女には帰る場所がある。そうだ、もうすぐ、俺の手からすり抜けて何処かへ行く。

 ほんの数分前まで、ダヴィッドの方から彼女を帰す決心を固めていたというのに、その未来予想図は想像以上に耐えがたいものだった。

 ダヴィッドはしばらく、複雑な思いでロケットをいじるマノンを見つめていた。
 ずっと寝込んでいたせいで、まだ汚れが残っているし、汗もかいている。
 今夜は風呂に入れてやるべきだろう。

 しかし、孤児を競売に掛けようとしていた連中が「上玉」と評しただけある……マノンには、どれだけ汚れていても、将来の大きな開花を予想させる美しさの片鱗があった。

「マノン、お父さんはどこにいるんだい?」
 ダヴィッドが聞くと、マノンはぴたりと手を止め、じっとロケット見つめたまま黙っていた。
 しばらくして、わずかに震えた声で答える。

「……わ……分からないの」
「正確に場所を言う必要はないよ。ただ、家にいるとか、街にいるはずだとか教えてくれればいいんだ」
「ううん……分からないの……本当に……」

 マノンは首を横に振った。
 そして、途切れ途切れの弱々しい口調で、続けた。

「ある日、怖いひとたちが家にきて……お父さんを連れていっちゃったの……お父さんの、『腕がいる』んだっていって。それで一人にぼっちになって……ずっと泣いてたら、近所のおばさんが、孤児院っていうところに連れていってくれたの……そこに」

 ここで、マノンは一息置いてロケットから顔を上げた。
 大きな瞳がダヴィッドを見上げる。ダヴィッドは口を挟みたいのを我慢して、辛抱強く続きを待った。

「そこに……しばらくいたの。寂しかったけど、院長さんはやさしいひとだった。ご飯は少なかったけど、でも、たくさん本をよんでくれた。そこで……ある日……お使いにいくことになったの。もう一人の男の子といっしょに。でも、門を出たところで、急に大きな馬にのったおじさんが来て──」

 つたないマノンの説明を要約すると、こうだった。
 その男は、マノンの顔を見ると、ニタリと不気味な微笑を浮かべて、無理に彼女の腕を取った。

 ──こりゃあ金になるぜ!

 そう叫ぶと、男はマノンを乱暴に馬にのせて、そのまま走り出した。
 一緒にいた少年が声を上げて馬のあとを追おうとした……。マノンの悲鳴に気付いた院長が門から飛び出し、さらに悲鳴を上げた……。

「そうしたら、あの、変なひとたちの屋敷に連れていかれたの……。いやなお化粧をさせられて、それから、ドレスを着ろって……ほかにも、たくさん……。怖くて……すごく、怖くて……がんばって、にげたの」

 そこまで語ると、マノンは口を閉ざした。
 そして少女はダヴィッドをじっと見つめたまま、なにか言って欲しいとでも言いた気に、唇をきゅっと結んでいる。
 ダヴィッドもまた彼女を見下ろしながら、雷に打たれたような激しい衝撃を感じていた。なんだろう、この感情は。何千年も探してきた何かを、やっと発見したような気分だ……。

 太陽が月を。
 月が、太陽を見つけた。

 二人が静かになると、暖炉に燃える火の粉が弾ける音が、いやに大きく寝室に響いた。
 薄暗い明かりの中でも、金色の髪が優雅に輝いてみえる。
 ああ。

 気がつくと、ダヴィッドはマノンを腕の中に抱いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

追放された養女令嬢は、聖騎士団長の腕の中で真実の愛を知る。~元婚約者が自滅する横で、私は最高に幸せになります~

有賀冬馬
恋愛
「お前のような無能な女、私の格が下がるのだよ」 最愛の婚約者だったはずの王子に罵られ、雨の夜に放り出されたエルナ。 すべてを失った彼女が救われたのは、国の英雄である聖騎士団長・レオナードの手によってだった。 虚飾の社交界では見えなかった、本当の価値。 泥にまみれて子供たちを笑顔にするエルナの姿に、レオナードは心を奪われていく。 「君の隣に、私以外の居場所は作らせない」 そんな二人の裏側で、エルナを捨てた王子は破滅へのカウントダウンを始めていた。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...