二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

フクロウの鳴く夜②

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『キイィィィ! アァァァァッ!!』

 背筋の凍るような悲鳴はさらに続いて、夜の空気を震わせている。
 乃亜が最初に考えたのは隠れることだった。もしこのキャビンの外で無慈悲な殺人が行われているのだとしたら、乃亜のような丸腰の日本人にできることは少ない。

 せめて……。
 せめて、ふたり目の犠牲者にならないように……。

『キェェェェェ!!! キャア! キャア!!』

 ──でも駄目だ。物事には限界というものがある。おそらく女性のものだと思える悲鳴はいつまでも終わらず、毛布を頭まで被ってベッドの上で震える乃亜の骨の髄にまで被害者の恐怖が届いた。

「だ、だれか……」
 最初に頭に浮かんだのはもちろんダグラスだった。
 なんといっても彼はこの土地の所有者だし、軍隊経験者でもあるらしいし、土地柄的におそらく猟銃の一本や二本は所持しているだろう。
 乃亜は暗闇の中で震える手を伸ばして、スマホをたぐり寄せようとした。

『キィィィィエエエエーー!!』

 もうだめだ! これは悠長に助けを待っているべきではない!
 乃亜は決して無鉄砲なタイプではなかったけれど、壁ひとつ隔てた向こうに悲痛な悲鳴をあげている女性がいるのに、己の安全のために放っておけることができる性格ではない。

 結論からいって、乃亜はスマホを諦め、キッチンに向かうとガス台に乗っていたフライパンをひとつ手に取った。本当は鍋がよかったけれど、贅沢を言っている場合ではない。
 ドクンドクンと逸る鼓動を持て余しながら、乃亜はフライパンを防御代わりにして玄関を出た。

『キャアアア!』
「ひええっ!」

 頭上からまっすぐ降ってくるような悲鳴に、乃亜はおののいた。──ず、頭上?
 乃亜はキャビンの入り口にあるウッドデッキから上を仰ぎ見た。
 こうして外に出て聞いてみると、悲鳴の主はキャビンの屋根……もしくはさらにその上方にいるようだった。
「どういうことなの……?」
 フライパンを構えて頭を防御しながら、おずおずとウッドデッキから下りて屋根を確認する。ひとがいる気配はなく、ましてや殺人現場のような形跡は見当たらない。

 乃亜がキャビンを周回するように歩きはじめると、悲鳴はぴたりとやんだ。
 ……それはそれで怖い。

「だ……だれかいるの? きゃっ!」
 頭上を見上げながら後じさりするように歩いていたせいで、足元にあった切り株に気づかなかった。乃亜は派手に仰向けに転び、手にしていたフライパンは宙を飛んでおでこに落ちてきた。ゴン!
 なんてこと!

 真っ暗な真夜中の牧場で仰向けに倒れ、フライパンの落下によりできた傷を手で押さえる。ジンジンとした痛みに涙が出そうだった。
 血……。血は出てるだろうか。

 どうしよう、意識は確かにある……けれど立ち上がれない。身体が痺れるような気がするのは、頭を打ったせいだろうか。それとも恐怖のせいだろうか。
 もしこれが脳震盪だとしたら、どうすればいいの……。
 米国の医療費は恐ろしく高いという。乃亜の旅行者保険は、コロラドの荒野で自らが落としたフライパンに頭をぶつけた怪我をカバーしてくれるのだろうか……。

「ふ……っ、ふぇ…………う……ぅっ」
 悔しさと悲しみに涙が浮かんでくる。痛みも手伝って乃亜の涙腺は簡単に崩壊した。

 もしかしたら殺人者とその被害者が近くにいるかもしれないのに、切り株に足を取られて転倒、自らが構えていたフライパンに頭をぶつけて脳震盪……。
 曾祖母の言いつけで手紙を届けにきただけなのに、まるで金目当ての泥棒猫のような扱いを受けて、いつまで異国にいるべきかもわからない……。
 もう嫌だ!

「ノア?」
 そんなときだった。乃亜が絶望の淵にいたそのとき、落ち着いた男らしい声が彼女の名前を呼んだ。
「え……」
 とささやきを漏らして、乃亜は声がした方に顔を向けた。
 もしかしたら殺人者そのひとかもしれないのに、名前を呼ぶ声がなんだかとても優しく聞こえて、恐怖は感じなかった。

 仰向けに倒れたままの乃亜を覗き込む、ダグラスの姿がそこにあった。
「なにをしているのか聞いても……?」
 真夜中。
 彼の背後に昇る月だけが光源で、背の高い大きい影が乃亜の視界を陰らせる。でも、そんな闇の中でも、この男性はひどく男らしかった。できるなら頼りたくなるなにかが、このダグラスにはあった。

 乃亜は……なにを……して……?

「だ、誰かが殺されているかも……しれないんです」
「…………」
「すごく悲痛な悲鳴が聞こえてきたんです……。きっと斧で肢体をバラバラにされてるところだと思います。そのくらい辛そうな悲鳴でした」

 ダグラスは大きなため息をついて夜空を仰いだ。
 あ、信じていない。
 そのときまた例の悲鳴が闇の中に響き渡った。キェェェェェーーェェ!

「ノア」
 ダグラスは両手を腰に当てた。仁王立ちのようなその姿勢は、大きな彼をさらに大きく見せた。
「あれはフクロウの鳴き声だ。発情期になるとああいう鳴き方をする。そんなに珍しいことじゃない」

 乃亜は目を見開いて大きく口を開けた。
 そ、ん、な。

 安堵よりも自分の無知さへの絶望がまさって、乃亜はよろよろと力なく立ち上がろうとした。頭を打ったせいかぐらりと均衡が崩れて、また倒れそうになる。
 そこをダグラスの手が救った。
 二の腕をしっかりと握られ、自分の足で立ち上がる手助けをされる。それは──もしこんな状況でなければ──ときめいてしまいそうなくらい、力強くて頼りになる腕だった。

「しばらくこの牧場にいるつもりなら、君は……覚悟をしたほうがいい」

 それが、その夜ダグラス・ジョンソン・マクブライトが広瀬乃亜に与えた、忠告のようなものだった。

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