13 / 68
【乃亜の章】
フクロウの鳴く夜②
『キイィィィ! アァァァァッ!!』
背筋の凍るような悲鳴はさらに続いて、夜の空気を震わせている。
乃亜が最初に考えたのは隠れることだった。もしこのキャビンの外で無慈悲な殺人が行われているのだとしたら、乃亜のような丸腰の日本人にできることは少ない。
せめて……。
せめて、ふたり目の犠牲者にならないように……。
『キェェェェェ!!! キャア! キャア!!』
──でも駄目だ。物事には限界というものがある。おそらく女性のものだと思える悲鳴はいつまでも終わらず、毛布を頭まで被ってベッドの上で震える乃亜の骨の髄にまで被害者の恐怖が届いた。
「だ、だれか……」
最初に頭に浮かんだのはもちろんダグラスだった。
なんといっても彼はこの土地の所有者だし、軍隊経験者でもあるらしいし、土地柄的におそらく猟銃の一本や二本は所持しているだろう。
乃亜は暗闇の中で震える手を伸ばして、スマホをたぐり寄せようとした。
『キィィィィエエエエーー!!』
もうだめだ! これは悠長に助けを待っているべきではない!
乃亜は決して無鉄砲なタイプではなかったけれど、壁ひとつ隔てた向こうに悲痛な悲鳴をあげている女性がいるのに、己の安全のために放っておけることができる性格ではない。
結論からいって、乃亜はスマホを諦め、キッチンに向かうとガス台に乗っていたフライパンをひとつ手に取った。本当は鍋がよかったけれど、贅沢を言っている場合ではない。
ドクンドクンと逸る鼓動を持て余しながら、乃亜はフライパンを防御代わりにして玄関を出た。
『キャアアア!』
「ひええっ!」
頭上からまっすぐ降ってくるような悲鳴に、乃亜はおののいた。──ず、頭上?
乃亜はキャビンの入り口にあるウッドデッキから上を仰ぎ見た。
こうして外に出て聞いてみると、悲鳴の主はキャビンの屋根……もしくはさらにその上方にいるようだった。
「どういうことなの……?」
フライパンを構えて頭を防御しながら、おずおずとウッドデッキから下りて屋根を確認する。ひとがいる気配はなく、ましてや殺人現場のような形跡は見当たらない。
乃亜がキャビンを周回するように歩きはじめると、悲鳴はぴたりとやんだ。
……それはそれで怖い。
「だ……だれかいるの? きゃっ!」
頭上を見上げながら後じさりするように歩いていたせいで、足元にあった切り株に気づかなかった。乃亜は派手に仰向けに転び、手にしていたフライパンは宙を飛んでおでこに落ちてきた。ゴン!
なんてこと!
真っ暗な真夜中の牧場で仰向けに倒れ、フライパンの落下によりできた傷を手で押さえる。ジンジンとした痛みに涙が出そうだった。
血……。血は出てるだろうか。
どうしよう、意識は確かにある……けれど立ち上がれない。身体が痺れるような気がするのは、頭を打ったせいだろうか。それとも恐怖のせいだろうか。
もしこれが脳震盪だとしたら、どうすればいいの……。
米国の医療費は恐ろしく高いという。乃亜の旅行者保険は、コロラドの荒野で自らが落としたフライパンに頭をぶつけた怪我をカバーしてくれるのだろうか……。
「ふ……っ、ふぇ…………う……ぅっ」
悔しさと悲しみに涙が浮かんでくる。痛みも手伝って乃亜の涙腺は簡単に崩壊した。
もしかしたら殺人者とその被害者が近くにいるかもしれないのに、切り株に足を取られて転倒、自らが構えていたフライパンに頭をぶつけて脳震盪……。
曾祖母の言いつけで手紙を届けにきただけなのに、まるで金目当ての泥棒猫のような扱いを受けて、いつまで異国にいるべきかもわからない……。
もう嫌だ!
「ノア?」
そんなときだった。乃亜が絶望の淵にいたそのとき、落ち着いた男らしい声が彼女の名前を呼んだ。
「え……」
とささやきを漏らして、乃亜は声がした方に顔を向けた。
もしかしたら殺人者そのひとかもしれないのに、名前を呼ぶ声がなんだかとても優しく聞こえて、恐怖は感じなかった。
仰向けに倒れたままの乃亜を覗き込む、ダグラスの姿がそこにあった。
「なにをしているのか聞いても……?」
真夜中。
彼の背後に昇る月だけが光源で、背の高い大きい影が乃亜の視界を陰らせる。でも、そんな闇の中でも、この男性はひどく男らしかった。できるなら頼りたくなるなにかが、このダグラスにはあった。
乃亜は……なにを……して……?
「だ、誰かが殺されているかも……しれないんです」
「…………」
「すごく悲痛な悲鳴が聞こえてきたんです……。きっと斧で肢体をバラバラにされてるところだと思います。そのくらい辛そうな悲鳴でした」
ダグラスは大きなため息をついて夜空を仰いだ。
あ、信じていない。
そのときまた例の悲鳴が闇の中に響き渡った。キェェェェェーーェェ!
「ノア」
ダグラスは両手を腰に当てた。仁王立ちのようなその姿勢は、大きな彼をさらに大きく見せた。
「あれはフクロウの鳴き声だ。発情期になるとああいう鳴き方をする。そんなに珍しいことじゃない」
乃亜は目を見開いて大きく口を開けた。
そ、ん、な。
安堵よりも自分の無知さへの絶望がまさって、乃亜はよろよろと力なく立ち上がろうとした。頭を打ったせいかぐらりと均衡が崩れて、また倒れそうになる。
そこをダグラスの手が救った。
二の腕をしっかりと握られ、自分の足で立ち上がる手助けをされる。それは──もしこんな状況でなければ──ときめいてしまいそうなくらい、力強くて頼りになる腕だった。
「しばらくこの牧場にいるつもりなら、君は……覚悟をしたほうがいい」
それが、その夜ダグラス・ジョンソン・マクブライトが広瀬乃亜に与えた、忠告のようなものだった。
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜
まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。
出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。
互いに意識しながらも、
数年間、距離を保ち続けた。
ただ見つめるだけの関係。
けれど――
ある夏の夜。
納涼会の帰り道。
僕が彼女の手を握った瞬間、
すべてが変わった。
これは恋でも、友情でもない。
けれど理性では止められない、
名前のない関係。
13年続いた秘密。
誓約書。
そして、5年の沈黙。
これは――
実際にあった「夜」の記録。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!