二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

「俺は誰も乗せない」②


 そして約一時間後。
 正直、そこに「街」と呼べるような規模はなかったけれど、いくつもの可愛らしい個人商店が軒を連ねているメインストリ―トは賑やかだった。

 ダグラスは道脇にピックアップトラックを停めると、またもシートベルトに戸惑っている乃亜の助手席の扉を開けてくれた。
「すみません……。ありがとうございます」
 彼の手を借りて、車高の高い座席からすとんと地面に下りる。

 厩舎の掃除でレギンズとシャツは汚れていたので、乃亜は持ってきたワンピースに着替えていた。温泉があるため観光客が多く、地元っ子ではない乃亜もそれほど目立たない。

 ダグラスはいつものカウボーイ装備だった。
 これもまた、特に目立つ恰好ではない。
 結構……普通にいるものなんだ、カウボーイ。

「どこにお店があるのか教えてもらえれば、ついてこなくても大丈夫ですよ。あなたには退屈でしょう?」
 と、言ってはみたが、ダグラスは無言で首を横に振って乃亜についてきた。

 大きなショッピングモールがあるわけではないので、あの店でジーンズ、この靴屋で革のブーツ、そっちの薬局で日用品……と歩道を散策しながら、あちこちの商店に入る。

 どの店のオーナーや店員もダグラスのことを知っていた。
「ダグラス!」
 皆、一様に彼をそう呼んだ。

 ダグラスという名前は、ダグ、と短く愛称呼びするのが一般的なイメージだったのに、このダグラス・マクブライトをそう呼ぶ者はほとんどいない。
 友情のハグこそあまりなかったが、大抵の成人男性はダグラスの顔を見ると握手の手を挨拶に差し出してくる。

 親しみというよりは、尊敬に近いなにかが底辺にあるような気がした。
 ダグラス本人はそれを冷静に受け取っていて、あまり口数は多くなかったが世間話などもしていて、顔は広いようだった。
 そんなダグラスが常に隣にいたから、乃亜も時々話しかけられた。

「そちらのお嬢さんは? 日本人かい? 温泉のお客さんかな?」
 乃亜はにっこり笑って、どの相手にもだいたい同じ説明をした。

「ウィリアムさんの古い知り合いの……娘なんです。観光ついでに牧場に滞在させてもらっています」

 やれひ孫だ、手紙だ、となると話が長く面倒になるので、そんな簡略化されたバージョンの自己紹介を繰り返した。
 ダグラスもその判断を歓迎しているようで、黙ってうなずいていた。

 あまり他人に深掘りされたくないのは、お互い様だし。
 長く滞在することになるなら、ある程度噂話のネタにされるのはおそらく避けられない──ここは良くも悪くも、そういう種類の田舎町だ。
 でも、みずから餌を投下する必要はない……といったところだろう。

 そんなふうに二時間が経過した頃には、目当ての買い物はすんでいた。

「そろそろ、牧場に戻りますか?」
 できるならもっと町を散策してみたかったし、地元民が口をそろえて絶賛する温泉や川縁も見てみたい。
 でも、ダグラスにはつまらないだろうし、おそらく戻れば仕事も山積みのはずだ。

 ダグラスは腕時計に視線を落とした。
 そう、このひとはスマホではなく腕時計で時間を確認する。

「あと一時間くらいならなんとかなるよ」
「ほ、本当に?」
「ああ。どこか見てみたい場所は?」
「そうですね……。もちろん温泉も行ってみたいですけど、一時間だと短すぎるので、サンフアン川を見てみたいかな。皆さん綺麗だって言うし、水辺が好きなんです」

 乃亜はスマホを取り出すと画像を検索して、どの辺りを見てみたいかをダグラスに見せた。ホテルや温泉に囲まれた水脈を、観光客がカヤックに乗ってはしゃいでいる写真がいくつか映っている。
 ダグラスはそれをフンと鼻で笑った。

「そんなっ」
「こんな誰が放尿しているかわからない観光客だらけの場所より、ずっと綺麗で静かな水辺がいくらでもある」
「それは、あなたは地元民ですから、もちろんご存じでしょうけど」
 乃亜は唇を尖らせて、鼻で笑われたことに抗議の意を示した。

 でも、ちょっと羨ましいとも思った。
 この美しい土地の秘密を知っている彼を。

 ダグラスは一歩退くと、拳を顎に当てながら乃亜の全身をしげしげと見つめていた。

「その恰好なら、岩場よりも歩きやすい場所の方がいいだろうな……。おいで、そんなに遠くないから」


 * *


 車を走らせてしばらく。
 ダグラスが乃亜を連れてきてくれたのは、S字にくねる河川が美しい川岸だった。周囲は低い草の生えたなだらかな河川敷がある。

「わぁ……!」
 もちろん観光客の類はいない。
 名を知らない小さな水鳥が水面を大人しく泳いでいるような、夢の中でしか見られないような優麗な場所。もっと遠くに視線を移せば、高らかな山脈が悠然とそびえている。
 道と呼ぶには心許ないが、誰かが頻繁に使っているらしい道筋が細く水辺の芝生に沿って続いている。

「少しあそこを歩いても大丈夫ですか?」
「どうぞ。そのつもりだったよ」

 ふたりは静かにその小道を歩きはじめた。

 いつだっただろう……曾祖母春子が語ってくれたのは。
 ウィリアムとふたりきりで、ひと気のない川べりを歩いた思い出の話。

 まだ幼かった乃亜は、その物語をうっとり羨ましく聞いたものだ。
 ──月が綺麗だと言って愛を告白したウィリアムのこと。その真意に気づけなくて、月に嫉妬した春子のこと。


 当時、曾祖母は今の乃亜より数年若かった。
 ウィリアムも、今のダグラスよりひと回り若かっただろう。でもあの頃は時代が違うし、感覚的には今の乃亜たちと同じような立ち位置だったかもしれない。
 ふたりで小道を進みながら、乃亜はちらりと隣のダグラスに視線を向けた。

(このひとはどこまで知ってるのかな……ウィリアムはどこまで話したんだろう。とりあえず『ハルコ』の名前だけは教えていたみたいだけど)

 曾祖母もあのとき、こんな気持ちだっただろうか。
 ドキドキして、不安と期待がごちゃ混ぜになって、足がもつれそうで……でも、この時間が終わって欲しくない。
 永遠に。

「君が……最後の恋人に、キスをしたことがないせいで振られたというのは……本当なのか?」
「へ?」

 なんの前触れもなく唐突に聞かれて、乃亜は変な声を出してしまった。
 ダグラスはお喋りではないけれど、かといって会話が苦手なタイプというわけではないらしく、時々こうして少し流暢になる。

「……はい、まあ……大筋は」
「他にも、君のあの大演説にはいくつか驚かされたことがある。君は本当に二十四歳なのか? せいぜい二十歳だと思っていたよ」
「再来月には二十五歳になりますよ。もし疑っているならパスポートだって見せてあげます。それに、もし二十歳なら処女でもそれほど笑うことじゃないですか。キスはともかく」

 ああ……夢と現実の落差よ。
 少なくともウィリアムと春子はこんな会話はしなかっただろう。時代とは。世代とは。

「別に笑ったわけじゃない」
「は、は、は。そうですか」
「嘲笑したわけじゃないという意味だよ」
「それは……どうも……ありがとうございます?」

 しばらくの沈黙。
「馬にはいくつか種類がある」
 ダグラスは言った。

 馬。
 まあ……そうなるだろうか。乃亜が元カレとどういう関係であったかについて、馬を例えに出される。乃亜が女として認識されていない証拠かもしれない。
「そうみたいですね」
 ちょっと虚無な気持ちで、乃亜はがくりと肩を落とした。
 ダグラスは歩きながら首を横に振った。

「品種や色の話をしてるんじゃない。性質についてだ。大抵の馬は、多少の好き嫌いはあっても、危害を加えない限りほとんどの人間を乗せる。でも中には絶対に誰も乗せないと拒否する馬もいる。ノーチェのような奴だ」

 多分、あの雄牛のような青毛の黒馬のことだろう。ノーチェとは確かスペイン語で夜を指す。まさに夜そのもののような姿だった。

「わたしはノーチェみたいに誰も乗せない……ってことですか?」
「違う」
 なぜかダグラスは断言した。
「──もうひとつ、生涯でただひとりしか乗せない馬というのがいる。誰かひとりだけ、この人間だと決めたら、死ぬまでその人物しか乗せない。他は誰も愛さない。そういう馬だ。親父がそうだったんだろう」
 乃亜もそうだと……?
「わ……わたしもそうだと思いますか?」
「多分ね」
「じゃあ、あなたは?」

 ずっと前を見ながら歩いていたダグラスが、隣の乃亜を見下ろした。
 こんな質問を返されるとは思っていなかったのか、どこか驚いたような顔で、穴が開きそうなくらいじっと乃亜を見つめる。
 答えを得られるまで、長い時間がかかった。

「俺は誰も乗せない」
 しばらくして、ダグラスは暗い声でぼそりとそうつぶやいた。乃亜から視線を外し、どこか遠く前方に目を向ける。

「誰も愛さない。愛してはいけない……そういう種類の人間だ」
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