二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

「俺は誰も乗せない」③

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 その日の夕方。
 マクブライト邸のキッチンに立って、天然石の天板に並べた食材を眺めながら、乃亜は昼間の出来事を繰り返し思い出していた。

(誰も愛さない……か)
 ダグラス自身が彼の意思で、誰も愛したくないと考えているなら、それはわかる。残念なことだとは思うけれど、理解はできる。
 でも『愛してはいけない』は……どうしてだろう?


 あのあと、ダグラスは仕事があるからもう帰ろうと言い出して、もちろん乃亜がそれに逆らえるはずもなく、スプリング・ヘイブン牧場に戻ってきた。

 ダグラスは乃亜をキャビンの玄関まで送ると、夕飯の調理は君に頼むからそれまでは休んでいていいと告げて、いなくなってしまった。
 そして今に至る。
 野菜の山と、冷凍された牛肉の塊を前に、乃亜の心はあちこちに揺れた。

(わたしには関係ないのに……。なんでこんなに気になるんだろう……)

 調理のために早めにキッチンに立ちたいという乃亜に、ダグラスは鍵を預けてくれた。
 つまり、いくらか信頼してもらえるようになったのだと思う。

 乃亜がここスプリング・ヘイブン牧場に辿り着いてから、たった一日……二十四時間がやっと過ぎたばかりだ。
 それなのにすでに乃亜の心はこの場所に根を下ろしてしまったみたいだった。
 コロラドの自然。牧場の馬たち。この邸宅やキャビン。
 そしてダグラス……。
 これからことがすんなりと終わって日本に帰れたとしても、乃亜の中ではきっとなにかが変わってしまっていて、もう過去と同じには戻れない。
 そんな気がする……。


 一時間もしないうちに、コトコトと煮込まれる野菜と牛肉の香りがキッチン……ひいては家全体に広がりはじめていた。
 乃亜は自分の仕事の出来栄えに満足して、味見のために大きな鍋からお玉でソースをすくって口に入れようとしていた……そのとき。

 玄関から、背の高い男性が入ってきた。
 乃亜はお玉を口に運ぼうとしていたところだったので、振り返れずに玄関に背を向けたままでいた。ただ、横目でカウボーイハットを手に持っているのが確認できたので、当然ダグラスだろうと思って安心していたが──

「今晩はまたすごい旨そうな匂いがするな、ホセ! またいつもの豆料理じゃなくて、なにかまともに食えるものを作ったのか?」
 まったく別の男性の声で、乃亜は驚いてお玉を持ったまま振り返った。
「きゃあっ」
「ぅわ!」
 お玉に乗っていた赤ワインソースが、ぱしゃっと飛んで乃亜の胸元にかかる。驚いたのは乃亜だけではなくて、相手も同じだった。
 おそらく年代はダグラスと変わらない……そして恰好もほぼ同じ……でも圧倒的に雰囲気の違う金髪と青い瞳の男性が、そこにはいた。

「す、すみません、驚いてしまって……つい大声を」
「どうして謝るんだ。まさか君みたいな子がここにいるとは知らなかったよ。今晩はホセが調理係だと思っていたんだ。コテージの方の従業員かい?」
「いいえ……。その、ウィリアムさんと……ダグラスさんの知り合いで……少しお手伝いを」
「はあ?」

 この牧場に着いてからこのかた、ホセ以外では無口で硬派なダグラスとしか交流がなかったから、なんだか新鮮な気分だ。
 外見もダグラスとはまた種類の違う、明るいタイプの美形カウボーイさんだった。
 身長もダグラスよりは少し低いが、十分長身の部類に入る。

 コロラドには一体どんな秘密があるんだろう? なにか地元の水に特殊なミネラルでも入っているのだろうか? こんな長身美形ばかり生み出すとは……。

 とりあえず乃亜は胸元にかかったソースをキッチンタオルで拭こうとした。赤ワインをふんだんに使ってしまったので、おそらく落ちないけれど。

「熱かっただろう? 氷を持ってくるよ、冷やした方がいい」
「いえ……そこまでは」
「最初は気づかなかったりするんだ、火傷ってやつは。いいから冷やして」

 この家を知り尽くした者の動きで、金髪カウボーイは冷凍庫からアイスパックを取り出して乃亜の前に戻ってきた。
 ぴたり、と。
 乃亜のワンピースの上から、ソースで汚れた部分にアイスパックを当てる。
 アイス……。アイスパックだ。冷やしているだけ……なのに。
 こんな。
 ダグラスといい、このひとといい、多分彼らは他人との距離感が少々バグっている。
 知らない男性と向き合って胸元に冷たいものを押しつけられているのだから、当然緊張しない方がおかしい。

 でも、どうしてだろう……ダグラスに手を取られたときのような興奮は感じなかった。
 ただなぜか、これがダグラスだったらよかったのにと、ぼんやり感じてしまうだけ……。

「君はダグラスの彼女?」
 唐突にそう尋ねられて、乃亜は目を丸くした。
「……な、わけないか。でもおかしいな。俺とこんなふうに至近距離にいて、なにも反応しない初対面の女は滅多にいないんだけど」
 茶目っ気たっぷりにウインクしてくるので冗談だとわかり、乃亜は笑った。
「それはまた……すごい自己肯定感ですね。ちょっと羨ましいです」
「ただの経験からくる結論だよ。まあ君は可愛いから、こういうのには馴れてるのかな?」

 お世辞はありがたかったが、いくつか聞き捨てならない言葉があった。
 この男性の話しやすい雰囲気のせいもあって、乃亜は素直に疑問を口にした。

「どうしてダグラスさんの彼女のわけがないと思うんですか?」
 思わず詰め寄ってしまい、男性との距離がさらに縮む。
 でも答えが知りたかった。

「もしダグラスの彼女になりたいと思っているなら、やめておいた方がいいよ」
「なぜ……ですか?」
「あいつは生涯独身を誓っているから、かな。恋人さえ作ろうとしない。若い頃は少々遊んでいたこともあったけど、遥か遠い昔の話だ。多分その誓いを破る気はないと思うよ。頑固だから」

 乃亜はなぜかダグラスのために反論したい気持ちになって口を開きかけたが、結局言うべきことが見つからずに唇を引き結んだ。
 ──誰も愛さないと言っていたのはダグラス本人だ。愛してはいけない、と。

 落胆が顔に表れていたのかもしれない。
 まだ名前も知らない金髪碧眼のカウボーイは、身長差を埋めるように前屈みになった。

「そんなに落ち込まないで……。別に世界の終わりってわけじゃないだろう」
「落ち込んでなんていません。ただ、どうしてなのかな……と思って」
「さあね。でも面倒くさいダグラスなんて放っておいて、俺にしておけばいいんじゃない? 俺の名前はね──」
 と、息が掛かりそうな距離に彼の顔がきたとき、玄関が再び開いた。

「ネイト、彼女から離れろ」

 乃亜は玄関に顔を向けた。
 そして息を飲んだ。
 視線だけでひとを殺せそうな目つきのダグラスが、そこに立っていた。
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