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【乃亜の章】
The Way We Choose ② ※ダグラス視点
しおりを挟むいつもは食事だけで散り散りになることが多かったマクブライト邸の夕食だが、今晩だけは、乃亜の存在に心地よさを見出したホセとネイトがいつまでも残っていたせいで、なかなか終わらなかった。
夜九時を回った頃、やっとホセが席を立った。
「さあ、わしはそろそろキャビンに戻るかな……。色々と話が聞けて楽しかったよ、お嬢ちゃん。まだ残るつもりなら、こちらの狼たちには気をつけるんだよ」
帰路といってもホセは乃亜と同じ、ここから徒歩一分のキャビンで暮らしている。
キャビンは三棟あって、ひとつは長年ホセが使い、もうひとつは乃亜に貸した空き部屋、そしてもうひとつは忙しい時期に住み込みで雇う労働者用になっていた。
「こちらこそ、お話しできて楽しかったです。わたしもそろそろ戻ります。後片付けだけしてから」
乃亜は立ち上がると、テーブルの上に残っていた皿やカップを集めてキッチンに向かった。
「ノア、片付けは俺がする」
ダグラスがあとに続いて立ち上がると、乃亜はふるふると首を横に振った。
「駄目です。調理の係が片付けもするのが決まりなんでしょう? ネイトさんとゆっくり休んでいてください」
この娘は。
いったいどうしてやるべきなんだろう?
素直かと思えば妙に頑固だったり、花も手折れない繊細な女かと思えば、コマンド部隊も真っ青な規律で仕事をする。
「……だってさ。ダグラスさんよ、このネイトさんとゆっくり休もうじゃないか」
年老いた悪魔のような姑息な笑みを浮かべながら、ネイトは今晩二本目のビール瓶をあおってそう言った。ダグラスは椅子に座り直した。
「お前はもう帰れ」
「でも誰かがノアをキャビンまで送るべきだろう。俺がやるよ。なかなか好意を寄せてもらえたみたいだし」
さすが調理のプロである彼女は、ダグラスに説明を受けるまでもなく食洗機を器用に使いこなして、どんどん皿洗いを進めていく。
その後ろ姿は……まともに機能する下半身を有する人間の男なら、間違いなくなんらかの居心地の悪さ……もしくは、よさ……を誘われずにはいられない。それは当然ネイトも同じで、妙な角度に首をかしげながら乃亜の尻を凝視していた。
「うわっぷ!」
ダグラスは手元のカップの水をネイトの顔にかけた。
「その目をくり抜かれたくなかったら、さっさと帰れ」
「いい加減にしろ、ダグラス! 今晩の俺は完璧に紳士だったはずだ。見るくらいいいだろうが!」
「『明日から俺の乗馬レッスンに来るかい』? 『プライベートでも教えてあげられる』? 紳士の意味を叩き直してもらいにママのところに帰りな」
ネイト・モンゴメリーはここから車で半時間ほどの両親の牧場に住んでいる。
その敷地内に小さな独身男の家を建てて生活していた。スプリング・ヘイブン牧場に働きにきているのは、ネイトの両親の牧場は食肉用牛の飼育が主で、馬の飼育はほとんど扱っていないからだ。
ちなみにネイトはモンゴメリー家の三男で、ダグラスのふたつ年下の三十三歳で、弟のような存在だった。
「いくらウィリアムの知り合いの娘だって、お互いの同意があれば別にかまわないだろう。修道女ってわけじゃないんだから」
──いや、乃亜は修道女みたいなものなんだよ。昨今、もしかしたら修道女よりも身持ちが堅いのかもしれない。
と、喉から出かかった言葉を飲み込み、首を横に振る。
「帰れ」
「あーはいはい」
「今すぐ」
「ふたりとも、全部聞こえてるし、全部わかってますよ」
ダグラスたちに背を向けたままの乃亜が、クスクスと鈴の音のような声で笑って指摘する。ダグラスは胃が腹の中でひっくり返るような衝撃を受けた。
乃亜にすべてが聞こえていたことに驚いたわけではない。
それを笑っていなしてしまえる彼女のしなやかさに──その人間性に──ダグラスの中のなにかが音を立てて崩れていく。
それについて問題はいくつかあったが、そのひとつは、ネイト・モンゴメリーも同じような感想を抱いたらしいことだった。
「ノア、君のような女性はカウボーイの妻になるべきだよ。俺はどう?」
ネイトは立ち上がりながら言った。
脱いでいたカウボーイハットを手に取り胸元に当てると、その人好きのする端正な顔で乃亜に向かってウインクを寄こしてから玄関に向かう。
「ダグラス、きちんと送っていけよ」
ネイトは念を押した。
──しないとでも思ったのか、阿呆が。
ここから徒歩一分の道程で広瀬乃亜が遭遇するかもしれない様々な危険を想像すると、それだけでキャビンに帰すのが嫌になる。フライパンくらいではすまないかもしれない。
「おやすみなさい」
シンクから流れる水に手を濡らしたまま、乃亜は言った。
ネイトに向かって。
くそ、ビールはどこだ? 酔えばこの気の迷いは消えるのか? この……胸を焼かれるような焦燥は。
ネイトの車が外でエンジンをふかす音を聞いてから、ダグラスは立ち上がって乃亜の隣に向かった。すでに手伝うことはほとんどなくなっていたが、いくつか調味料が天板の上に出たままだったので、それを彼女の隣で片付ける。
「ひとり、足りませんでしたね」
乃亜は小声でささやいた。
「なにが?」
「今夜、少なくともふたりからプロポーズされるって話です。他に誰だと思ったんですか? ホセ? それともあの十七歳のアルバイト君?」
──どうしてそこに俺という選択肢が入っていないんだい、ミス・ヒロセ?
ダグラスは思った。
思っただけではなくて声に出しそうになった。そして、そんなことを考えついてしまった自分に驚き、そしてすぐに自己嫌悪した。
あってはならないことなのに。
必要以上にじっと彼女を見つめてしまったのかもしれない。乃亜は頬を赤らめてキッチンタオルでこそこそと手を拭いた。
いくつかの未来がダグラスの脳裏に描かれる。こんなふうに、この家にもうひとり誰かがいて、料理をしたり会話をしたり、もしかしたら時々喧嘩をしたりして、共に暮らして──生きていく、未来。
親父が『ハルコ』と欲しかったもの。
「……終わったなら、送っていくよ」
ダグラスは乃亜からの質問に答えなかった。答えてしまったら、なにか取り返しのつかないことが起きると、自覚していたから。
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