二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

月の輝く夜に②

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 ダグラスはただ小さく一度だけうなずいて、乃亜が彼の名前を呼んだことに満足したみたいに薄い笑みを浮かべた。

「……?」
「いい子だ。ネイトにそうしていたんだから、俺にもできるだろう」
「ネイトさんは自分からそう呼んでくれって仰ったんですよ」
「あいつは誰にでもそうだ。もしなにかを期待しているなら、奴はひとりに真剣になれるタイプじゃないのを知っておいた方がいい」

 期待?
 乃亜が、ネイトに?

 確かにネイトは美形だし、おそらく大多数の日本人女性はダグラスのダークな雰囲気より、ネイトの明るい金髪碧眼の方に惹かれるだろう。乃亜だって、ダグラスに先に出会っていなかったら、それなりに魅力を感じたかもしれない。
 でも……。

 乃亜は声を上げて笑った。
 ダグラスはため息をひとつ吐いてから静かにそれを見つめている。一緒に笑ってくれる感じではなかったが、それでもダグラスはどこか……満足げなままだった。

「肝に銘じておきます。失恋したばかりなのに、またコロラドまで来て同じことを繰り返さないように」
「そのシェフは阿呆だよ。別れてよかったんだ」
「そうでしょうか……。彼は半年待ってくれましたよ。わたしもできたら……受け入れたかったんです。でもどうしても決心できなくて」

 ダグラスはうなずいて、神妙な顔つきになると胸の前で両腕を組んだ。それでなくても長身でたくましい彼がこれをすると、さらにひと回り大きくなったように感じる。

「……それはなにか、宗教的な? カトリックなのか?」
「いえ。うちは確か真言宗です」
 ダグラスの片眉が上がる。
「仏教の一派のことです……。でも、お葬式以外でお世話になったことはないし、宗教的ではないですよ。まったくの無神論者でもないですけど。別に結婚まで待ちたいとかではなくて……ただ、心からこのひとだと確信したかったんです」

 そのときだった。
 夏の夜の風が吹いて、乃亜の髪を揺らすと同時に、キャビンのある方角から例の悲鳴が聞こえてきた。

『キェェェェェ! キャアアアアア!』
 ふたりは顔を見合わせると、一緒になって笑った。
 その笑い声に対抗するように、見えないフクロウも熱のこもった求愛の叫びを上げる。数十メートル先には小さな林があって、フクロウはおそらくそこから鳴いていた。

「このままじゃキャビンでは眠れないな」
 ダグラスが指摘した。
「ホセは大丈夫なんですか?」
「あれは馴れているし、そもそも耳も遠くなってきているから、あまり気にならないんだろう」
「昨夜はしばらくしたら止みましたから……少し我慢して、それから寝ます」

 ダグラスはまだ腕を組んだままで、なにか考えるように林でもキャビンでもない牧草地の先を見つめていた。

 徒歩一分だったはずの道程はすでにかなり引き延ばされている。
 キャビンはすでに目と鼻の先だし、ダグラスも乃亜も一日肉体労働をしたあとだ。せっかく打ち解けてきて、もっと一緒にいたい気持ちはあったけれど、あまり引き留め続けるわけにはいかない。

「じゃあ、おやすみなさい──」
「ノア、もし疲れていなければ、うちの敷地内に小さな湖がある。行ってみるか?」
 口早に言って、ダグラスは最後に付け加えた。
「フクロウが鳴き止むまで」

 もしかしたら、乃亜はフクロウそのものみたいに大きく目を見開いていたのかもしれない。ダグラスは月と同じ色の彼の瞳を細めた。
 フクロウが鳴き止むまで……。
 だったらずっと鳴き止まないで。

「はい」
 乃亜が同意すると、ダグラスは胸の前で組んでいた腕をほどいて、乃亜に差し出してきた。
 その手を取らない選択肢なんてなかった。
 そうすることがまるで当たり前の運命のように、乃亜はダグラスと手を繋いだ。

 * *

 スプリング・ヘイブン牧場の最南端に位置するという湖へは、彼のピックアップトラックで十分ほどかかった。

 自分の敷地内を車や馬で移動しなければならないなんて、すごい世界線だ。そもそも馬が移動手段の候補に入ること自体、またすごいけれど。
 とにかく乃亜とダグラスはひと気のない静かな湖畔に辿り着いていた。

 車のヘッドライトと月明りだけが頼りになるかと思ったのに、湖畔にはいくつかの真新しくて小綺麗なコテージが建っていて、各々明かりが灯されている。
 車から降りると、湖畔には舗装されたサイクリング用の小道と、湖を望むウッドデッキまである。
 外灯もひとつ灯っており、今は黒々とした水面が光を反射していた。

「あれがスプリング・ヘイブン牧場のコテージですか?」
「そう。元々三棟からはじめたのが、今は七棟ある。パゴサ・スプリングスの温泉やトレッキングの客がもっと静かな場所を求めて借りにくることが多い。最初、親父は反対していた……のを、俺が押し切ってはじめたんだ」
「へえ……」

 小道を歩きはじめると、ダグラスは思いのほか饒舌にコテージと周囲の説明をしてくれた。
 宿泊客はネイトの乗馬レッスンを無料で受けられるのが好評を博していること。地盤の緩いこの湖畔にコテージを建てたときの困難。秋になると望める美しい紅葉……。
 ダグラスの言葉にはこの土地への愛情が感じられた。

「実はひとつ、ここに来てから聞きたかったことがあるんです」
「ん?」
「スプリング・ヘイブン牧場の『スプリング』……。これは春という意味ですか? それとも温泉?」

 歩みは止めなかったが、ダグラスは乃亜を見下ろしてペースを緩めた。
 乃亜はスプリングを曾祖母春子の名前から取ったものだと自惚れてしまった。でも敷地内に湖まであるなら泉──これも英語ではスプリングだ──があってもおかしくないし、そもそもすぐ近くに有名な温泉地スプリングがある。

 ダグラスはしばらく無言になった。
 まずいことを聞いてしまったのかと身構えて、乃亜が質問を撤回しようとしたとき、ダグラスはそっと視線を夜空に向けた。

「それは俺も聞いたことがある……親父の答えは『両方』だった。ただ……俺は……あれは親父の言い訳だったと思うね。本当は『春』だ。『春』でしかないんだよ」
「でも……どうしてあなたに対して、言い訳なんてする必要が?」
 ダグラスは星に向かって切なく微笑んだ。
「俺が若くて愚かだったからだ」
「は……?」
「あまり聞いて楽しい話じゃない。今聞いたら、君の寝つきが悪くなるかもしれない種類の」

 ──でも、どうしてだろう。
 ダグラスはそれを乃亜に語りたいと……他の誰でもない、春子の血筋である乃亜に、それを教えたい、もしくは吐き出したいと……思っているような気がした。

 否、もしかしたら「思って」さえいないのかもしれない。
 ただ深層意識の中で、そんな希望を抱えている。
 きっと。

「わたしは……聞きたいです。教えてくれますか?」
 ダグラスは答えずに足元の小石を拾うと、長い腕を優雅に屈伸させて湖の水面にそれを投げた。小石は飛燕のような速さで横にスライドして、水面を四、五回跳ねると、湖の底に沈んでいった。
 沈黙。

 なぜか、乃亜もそれをやってみたい気持ちになって、足元の小石を拾う。
 ダグラスの真似をして湖に小石を投げてみたが、それはスライドすることも水面を跳ねることもなく、いきなりドボンと浅瀬に落ちた。

 ぷっ、とダグラスが笑いを漏らす。
 自分の行動を笑われたのに、乃亜は嫌だとは思えなかった。

「教えてください」
 乃亜が懇願すると、ダグラスは暗い湖の先を見つめたままうなずいた。
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