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【乃亜の章】
新しい日々①
しおりを挟むそうして本格的にはじまったスプリング・ヘイブン牧場での生活は、まるで今まで知らなかった本来あるべき場所に帰ってきたかのように、すんなりと乃亜の肌に馴染んだ。
三日目の朝。
ダグラスは朝日と共に目を覚ますタイプのひとだということを、乃亜は学んだ。
湖畔で聞いた話が頭から離れず、夜明け前に目が覚めてしまった乃亜は仕方なく、キャビンの小さなフロントポーチでインスタントコーヒーを啜っていた。
そこに、すでに完全装備のカウボーイ姿のダグラス・マクブライトが通りかかったのだ。
遠くの空では地平線が紫と橙に染まりはじめている。
「おはよう」
と、言って、ダグラスはカウボーイハットのつばの先を片手で一瞬だけ下げた。
本物だ!
テキサス生まれコロラド育ちのリアル牧場主が、乃亜に向かってカウボーイ流の敬礼をしてくれた。かっと胸が熱くなって、乃亜はカップを持ったまま立ち上がると敬礼を返した。
「おはようございます。ご苦労さまです」
そのまま行ってしまうかと思ったのに、ダグラスはその長い脚を有意義に使って乃亜の数メートル手前までやってくる。
「寝ていればよかったのに」
「そうしたかったんですけど、目が覚めちゃって……。なにかお手伝いできることがあるならしますよ、喜んで」
美形カウボーイの灰色の瞳が、乃亜の頭のてっぺんから足元までを一瞥《いちべつ》する。乃亜はすでに先日の買い物で手に入れた「装備」を着込んでいた。
かっちり系ジーンズと、革のブーツ。トップスこそただの半袖シャツだけど、ダグラスのようなチェック柄のフランネルシャツも購入してあるので、いざ必要ならば羽織ればいいだけだ。
ダグラスはなにか考えているみたいだった。
「なんでも申しつけてください。厩舎でも養鶏所でも、完璧に綺麗にしてみせます」
多分、乃亜の瞳はきらりと光っていた。
ダグラスが小さく頭を振る。
「実は……コテージの客に朝食を出しているケータリングの婆さんが腰をやられたとかで、急遽今朝は用意できないと連絡してきたんだ」
「えぇ」
「うちはホテルではないから、すべての客に提供しているわけじゃない。あくまで必要な客にその婆さんを紹介しているだけだ。でも、まぁ……客からしたら、うちの滞在の印象を左右するだろう」
「それは……そうですね。ご飯は大事だと思います」
その腰を痛めたというケータリング業のお婆さんは気の毒だが、これからダグラスが乃亜を頼ってくれるのかもしれないと思うと、胸が高鳴った。
ダグラスはといえば、本当に乃亜にケータリング代理を頼むのが正しい選択かどうか、決めかねているようだった。
探るような目でじっとこちらを見ている。
「どうか任せてください。だいたいどんな朝食の予定だったのか、画像を見せてくだされば、完璧に真似したものをお届けしてみせます」
胸に手を当てて乃亜は立派に宣言した。
ダグラスはふっと小さく息を漏らして、ポケットからスマホを取り出す。
──あ、ちゃんと持ってるんだ、スマホ。
よく考えるとまだ番号を教えてもらっていないそれをスワイプするダグラスの指に、乃亜はぼぅっと見惚れた。
彼の身体の他の部分と同じく、大きな手だ。
長い指……。
画面に現れた画像は某SNS上のもので、ホットケーキや卵料理がメインの典型的なアメリカン・ブレックファーストだった。それに少々サラダなどを加えて豪華にしたもので、乃亜に作れないものはなにもない。
「給仕用のお皿の用意と……キッチンさえ使わせてもらえれば、指定の時間ぴったりに間に合わせます」
「皿とバスケットは俺がこれから婆さんのところに取りに行く。予約は二人分一組が七時、四人分一組が八時半のふたつ」
「任せてください」
乃亜は再び胸に手を当ててうなずいた。
ダグラスは薄く微笑み、乃亜に称賛の目を向けている──少なくとも乃亜には称賛と思える、温かい視線を。
「ありがとう。君はスプリング・ヘイブンに下り立った天使だ」
──へ?
「俺はこれからパゴサにいるその婆さんのところで必要なものをもらってくる。君は好きにうちのキッチンを使ってくれ。鍵はここだ」
ダグラスはいくつかの鍵が連なった輪っかを乃亜に投げてよこした。
格好よくキャッチしたかったのに、不意打ちだったせいで鍵の束は乃亜の足元にぺしゃんと落ちる。
ダグラスは低い声で笑いながら踵を返した。
笑い……。
(な……なにが起きたの?)
地平線に浮かびはじめた朝日に照らされたダグラスの後ろ姿を見つめながら、乃亜はダグラスが預けてくれたマクブライト邸の鍵の束を抱きしめた。
(わたしは偶然ここに……彼にとって必要なときに、居合わせたから……)
でも、『ありがとう』。
そして『天使』。
乃亜がきちんと英語のニュアンスを理解していないだけ? なにか「天使」に他の意味があっただろうか?
それとも本当に、ダグラスは乃亜を天使のようだと思ってくれたの?
(とにかく……っ! せっかく信頼してもらえたんだから! 満足度120%の仕事をしないと!)
コーヒーカップを片付けてキャビンの戸締りをすると、乃亜はマクブライト邸に向かった。
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