二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

文字の大きさ
35 / 41
【乃亜の章】

あなたと歩む道①

しおりを挟む

 もしかしたら自分は誰も愛せないのかもしれないと思った日々は、なんだったんだろう? そんなに昔のことじゃないのに。
 広瀬乃亜、スプリング・ヘイブン牧場七日目──。
 滞在一週間を数えるに至って、乃亜はひとつの結論に到達した。

(わたしって……実は結構チョロかったんだ……)

 一週間前まで存在も名前も知らなかったひとを相手に、すっかりのぼせ上っている。
 しかも、その相手はどうしても乃亜の面倒を見なければいけない立場にいるだけで、乃亜のことはただの客だと思っているのに。

 たまたま乃亜の技能が彼の役に立ったから、友達のような……仕事仲間のような……不思議な絆を築くことができたけれど、女として見られている気はまったく……しない。
 なぜなら一度抱き上げられた以外、ダグラスはまったく乃亜に触れようとしないからだ。

(もしくは、逆にそのせいで惹かれる……のかな?)
 彼なら安心できるから。
 おそらく愛してはくれないけれど、その分、愛やセックスを求めてきたり、急かしたりはしないとわかっているから……。

「うーん……どう思う、チャンピオン?」
 すっかり手に馴染むようになった例の熊手っぽい鍬を握ったまま、厩舎で干し草を食んでいるチャンピオンに日本語で声をかける。

 最近確信を持ったのだが、チャンピオンは間違いなく人間の言葉を理解する。ただし英語だけ。
 なぜなら日本語で話しかけると反応が薄いからだ。
 今も無視されている。

「どうしてわたしは彼を好きになったんだと思う? もう、これならわかってくれる?」

 乃亜が英語に切り替えると、チャンピオンはむしゃむしゃと嚙み潰していた干し草をぶほっと吹いた。幸い顔にはかからなかったけれど、女性用カウボーイブーツの足元に馬のつばに濡れた干し草が汚く散らばる。
 乃亜は笑った。
 笑えるくらいには、すでに免疫ができている。

 自分よりずっと大きいこの生き物の力強さに惹かれると同時に、その賢さにリスペクトを感じるし、各々の癖ある個性を愛しいと思った。

「聞くまでもないってことかしら。そうでしょう、チャンピオン?」
 ──ヒヒヒ……ヒィン!

 なんだか肯定されている気がするし、チャンピオンはきちんと首を縦に振っている。
 それはそうだろう。
 相手は長身美形のカウボーイで、この馬の持ち主だ。まだ見ぬ乃亜の曽祖父が我が子にと望んだ男性で、この美しい土地に人生を捧げている。惚れるなと言う方がおかしい。

 ただ、この恋にあまり希望は見えないし、見えないままで……いいのかもしれないと思っている。
 自分は誰も愛さない、愛してはいけないと言ったのはダグラス本人だ。
 理由はわからない。
 でも、ネイトでさえダグラスのその決心を保証(?)したくらいだし、それでなくても立場の悪い乃亜では、そもそも勝負の土俵にさえ入れてもらえないはずだ。

 別に勝ち負けではないけれど。
 でも、負けというのは確実にあるのだ。

 乃亜はすでにその敗北を喫したばかりで、もう一度同じ目に合うのは耐えられそうになかった。
 だから憧れのままでいい……。
 好きな俳優やお気に入りのキャラクターに熱を上げるのと同じ。言ってみれば推し。そうだ、ダグラスは乃亜の推しなんだ。それでいい。
 それがいい。

「……誰が、誰を好きだって?」
「ひゃあ!」

 いきなり背後から声が掛かって、乃亜は慌てて振り返った。
 想像以上の至近距離に推し……こと、ダグラスが立っていて、思わず鍬を足元に落としそうになる。そこに彼の腕が伸びてきて、鍬の柄と乃亜の足を救った。

「す、すみません。いつのまにこんなに近くにいたんですか?」
「さあ……君が日本語でチャンピオンに話しかけていたとき、かな」
「聞いてたんですか!?」
「俺に日本語はわからないよ」
 と、答えてから、ダグラスは少し考えるように黙った。「……親父は流暢だったけどな。俺にも教えようとしてくれたのに、俺はやらなかった。今では後悔してるよ」
「ウィリアムさんが……」

 いろんな意味で胸が熱くなった。
 ウィリアムが片言の日本語を喋れたというのは曾祖母から聞いている。でも流暢というほどではなかったはずだ。つまり、曾祖母と別れてからも、ウィリアムは日本語の勉強を続けてくれたということだ。

 そして……ダグラスは『後悔してる』んだ? 日本語を学ばなかったことを?
 わたしの推しが?

「今からでも遅くはないですよ……?」
「そうであることを願うよ」
 ダグラスは腕時計に目を落として、時間を確認していた。
「……さっき病院に連絡したところ、とりあえず小康状態が続いているので、近いうちに面会できるようにすると言っていた。会えるのは家族だけだから、君の名前もリストに入れてもらえるようにしておく」
「ありがとうございます」

 乃亜の感謝の言葉は、固い棒読みになってしまった。
 ああ、自分はなんて親不孝……ならぬ曽祖父不幸なひ孫なんだろう。ウィリアムに面会して、手紙を渡してしまえば、乃亜はもう帰らなければいけない。

 それは嫌だった。
 それは辛かった。確かにダグラスはいつでも来ていいと言ってくれたけれど、それだってウィリアムに会うためであって、ウィリアムはもうすぐ百歳である。成田からデンバーまでの航空券代だって安くない。
 つまり、一度日本に帰ってしまったら、もう会える機会はほとんどない。

「親父は……君に会えるのを喜ぶと思うよ」
「わたしも嬉しいです。ここに来る前はその……面倒な役目を押しつけられたと思っていたんですけど、今は来てよかったと思っています」
 ダグラスは乃亜の言葉をひとつひとつ吟味するようにうなずいた。
「それはよかった」
「この辺りで行ってみたい場所もまだいくつかあるし……。ネイトさんが教えてくれたんですけど、素敵なトレッキングコースが沢山あるって」
「確かに登山用の小道トレイルは多い」
 と、ダグラスはうなずいた。それからしばらく考えるように黙って、ジーンズのポケットに手を入れると乃亜を上から下までじっくり観察していた。

 乃亜はすでにお馴染みとなった女版カウボーイルックで全身を固めている。
 さすがのダグラスも、乃亜の服装についてはもうダメ出しをする個所がないらしく、なにも口出ししなかった。よし。

「ネイトが教えたんだ?」
「え? ええ……。というか、ネットで調べたら面白そうな場所がいくつかあったので、おすすめのコースを聞いてみたんです」
「それで?」

 ──それで?
 今日のダグラスはなにか、お喋りな気分になる妙なキノコでも食べてしまったのだろうか?

 それでもダグラスと会話を共有できるのは嬉しかったので、最初に行ってみたいと思ったコースの名前をいくつか挙げた。

「……それで、最終的に、ピエドラ川のコースにしようってことになったんです。だって無料で入れる天然の温泉があるんでしょう?」
 乃亜は意気揚々と鍬の柄を持って答えた。
 ダグラスの動きがぴたりと止まった。
「『しようってことになった』?」
「へ?」
「ネイトと行くのか?」
「は、はい……。その、この辺りって言っても、歩いては行けないですから……」

 この辺りどころか敷地内だって車で移動しなければならない土地だ。
 なにをするにも車両は必要で、ネイトは時々時間のあるときに乃亜を乗せてくれた。なぜこういうことになったかといえば、ネイトはスマホの番号をあっさり教えてくれたからだ。

 乃亜はいまだにダグラスの番号を知らない。

 そんなわけで、実際に顔を合わせる時間はダグラスとの方が圧倒的に長くても、ネイトとのやり取りも結構あるのだ。
 いくらコロラドの荒野にいても、ときは二十一世紀である。

「いつ行くんだ?」
 本当に。
 なかなか怖いキノコだ……。
「明日の午前中です。レッスンの予定がないからって」

 乃亜が答えるとダグラスは彼の足元に視線を落とした。地面はすでに乃亜が掃いて綺麗になっている。
 ダグラスの表情が陰っていく気がしたので、乃亜は慌てて付け加えた。

「もちろん朝のケータリングは終わらせてからにしますよ! なにか新しいキノコがあるなら、それもメニューに加えて……」
「キノコ?」
「なんでもないです……。とにかくご迷惑はかけないようにしますから。そうそう、今晩の夕飯もまたわたしに作らせてください」

 ダグラスは顔を上げたが、さっきのように乃亜を見つめたりはしなかった。
 厩舎の壁がなにかとても面白いものであるかのように、じっと木製のパネルに鋭い視線を向けたままだった。

「わかったよ」
 ……とだけつぶやいて、スプリング・ヘイブン牧場の牧場主は厩舎の奥に消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。

同期に恋して

美希みなみ
恋愛
近藤 千夏 27歳 STI株式会社 国内営業部事務  高遠 涼真 27歳 STI株式会社 国内営業部 同期入社の2人。 千夏はもう何年も同期の涼真に片思いをしている。しかし今の仲の良い同期の関係を壊せずにいて。 平凡な千夏と、いつも女の子に囲まれている涼真。 千夏は同期の関係を壊せるの? 「甘い罠に溺れたら」の登場人物が少しだけでてきます。全くストーリには影響がないのでこちらのお話だけでも読んで頂けるとうれしいです。

Pleasure,Treasure

雛瀬智美
恋愛
同級生&身長差カップルの片思いから結婚までのラブストーリー。 片思い時代、恋人同士編、新婚編ですが、 どのお話からでもお楽しみいただけます。 創作順は、Pleasureから、Blue glassが派生、その後Treasureが生まれました。 作者の趣味により、極上dr~、極上の罠~シリーズともリンクしています。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

【完結】京都若旦那の恋愛事情〜四年ですっかり拗らせてしまったようです〜

藍生蕗
恋愛
大学二年生、二十歳の千田 史織は内気な性格を直したくて京都へと一人旅を決行。そこで見舞われたアクシデントで出会った男性に感銘を受け、改めて変わりたいと奮起する。 それから四年後、従姉のお見合い相手に探りを入れて欲しいと頼まれて再び京都へ。 訳あり跡取り息子と、少し惚けた箱入り娘のすれ違い恋物語

悪魔な義理弟《ボディーガード》~ヤンキー校最凶犬男子の独占欲が強過ぎる~

Kore
恋愛
「余計なこと考えさせないくらい愛せば、男として見てくれる?」そう囁く義弟の愛は重くて、危険で、究極に甘い。 ———勉強が大の苦手であり、巷で有名なヤンキー高校しか入れなかった宇佐美莉子。そんな義理姉のボディーガードになるため、後追いで入学してきた偏差値70以上の義理弟、宇佐美櫂理。しかし、ボディーガードどころか、櫂理があまりにも最強過ぎて、誰も莉子に近寄ることが出来ず。まるで極妻的存在で扱われる中、今日も義理弟の重い愛が炸裂する。———

処理中です...