二度目の永遠 ~ある夏にコロラドで見つけた牧場主との運命の恋~

泉野ジュール

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【乃亜の章】

あなたと歩む道④ ※ダグラス視点

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「とりあえずなにか着てください……。風邪ひいちゃいますから」

 ダグラスが半裸であることについて、この女性が心配しなければいけないことはいくつかあったが、風邪は間違いなくそのうちに入っていない。

「誤魔化さないでくれ」
「なにも誤魔化してなんていません。あなたの方からキスして欲しいって言ったの。い……今さら文句言っても遅いんですから」
「文句を言う? 俺が? 言ったか?」
「まだ言ってませんけど、言いたそうな顔してます」
「なんだって?」

 たとえ縄に縛られて尋問されても、今のキスに文句など出てこないだろう。
 ──あえていえば唇ではなかったことだろうか?
 でもそれは次のために取っておけばいい……。

「ほら! 怒ってる! でも、あ、あ……謝りませんからねっ」
 乃亜は逃げようと身をひるがえした。
 実際、乃亜はソファから離れて、リビングの暖炉辺りまで逃げるのに成功した。しかしダグラスは彼女のあとを追ってすぐにその華奢な身体を捕まえた。

「きゃっ」
 自分の上半身が裸で、髪は濡れたままだったことも忘れて、乃亜を壁際まで追いつめる。右腕を乃亜の頭上の壁に押しつけて彼女を囲い、逃げられないようにした。

「今のはなんだったんだ?」
「た……ただの頬へのキスです……。あなたが欲しいって言ったから」
「君は半年付き合った男とのキスさえ拒んだんだろう。俺が風呂上がりに寝言を言ったからといって、その通りにする必要なんかないんだ」
「寝言は寝ているときに言うんです、たとえコロラドでも。お風呂上りじゃなくて」
「問題はそこじゃない」
「むっ」
 乃亜が眉を吊り上げて怒った顔をした。

 彼女はだいたいにおいて穏やかな表情を崩さなかったし、これまで何度か見た怒った表情も、「可愛い」の範疇を出なかった。もちろん今回もそれは変わらない……しかし、これまで以上に本気で腹を立てていることは理解できた。

「そんなふうに……すごんでも……もう、しちゃったものは、しちゃったんだから……」

 その通りだ、ミス・ヒロセ。
 続きは寝室がいいかい? そこのソファでもいいよ。もしくはこのままこの壁を背にすべてを奪ってもいい──君の唇も、君のはじめても、永遠のはじまりも。

 そう本音を言えたらどんなによかっただろう。
 現実のダグラスには禁じられた告白だった。乃亜のことを思うならなおさら、彼女に不誠実であるべきではない。
 わかっている。
 わかっているのに、ダグラスの手はまたしても勝手に乃亜の頬に伸びて、その繊細で柔らかい素肌に触れていた。

「どうしてそうやって俺を惑わせたりするんだ」
「わたしはなにも……」
「ノア、言ったはずだ。俺は誰も乗せない馬と一緒だと。君のキスはそんな男にやっていいほど安っぽいものじゃない」

 言葉とは裏腹に、ダグラスの身体は乃亜をさらに壁際へ追いつめていた。背を屈めると、もっと彼女の唇に近づく。
 乃亜の吐息からは温めたバターのような、どう頑張っても抵抗できない甘くてかぐわしい香りがして、離れられなくなった。

「……笑ったくせに」
 乃亜の声は震えていた。
「なにを」
「わたしが処女で、キスもしたことがないって教えたときに。あなたはお腹を抱えて笑ったでしょう?」
「ノア──」
「そのくせ、ほっぺにキスしただけで怒るんですか? しかも、あなたが欲しいって言ったの。わたしだってやろうと思えばできるんです!」

 ここで、ダグラスにはいくつか選択肢があった。
 一、このまま広瀬乃亜の唇を食い尽して、未開の原始人さながらに彼女をさらい、自分の部屋に閉じ込めて明日の陽が昇るまで抱き尽すこと。
 二、全速力でここから走り去り、冷水を浴びてこの怒りと下半身の猛りを鎮めること──多分、湖の水を全部使えば、なんとかなるだろう。
 三、…………。

 ダグラスは乃亜をぎゅっと抱きしめると、三番目の最も難しい選択をした。

「ノア、聞いてくれ……誰も君が清いことを笑ったりはしていない。素晴らしいことだ。君がなにかを証明する必要はないんだよ」
「で、でも──」

 よせばいいのに、乃亜はそっとダグラスを抱き返してくる。ダグラスはそれに応えたくてさらに腕に力を入れた。
 ──離れろ。今すぐ。離れろ! この汚い腕で乃亜に触れるな!
 しかし乃亜はすでに屍となっているダグラスの理性が納まっている棺に、最後の釘を打ち込んできた。

「したいと思ったんです、あなたにキスを。そうしたら急に欲しいって本当に言うから……浮かれて……させてもらったの。こんなふうに嫌がられるとは思ってなかったから……」
 ──やめろ。謝るな、乃亜。あやまらないでくれ!
「ごめんなさい……」
 乃亜の声が震える。

 たとえ目で見なくても、彼女の瞳に涙が浮かんでいるのはわかった。
 ああ……もういっそ……ダグラスも一緒になって泣きたかった。

 呪われた過去を忘れて。自らが選んだ運命に背を向けて。今、このときまで待った、一生に一度の恋に身を捧げたい。
 しかしそれは許されなくて、許すこともできなくて、なによりも乃亜をこの闇に引きずり込むわけにはいかなかった。

「謝るな。それから、泣かないでくれ」
「うっ、うぅ……」
「だから。ノア、泣かないでくれ。嬉しかったよ。たとえ頬へのキスでも君のはじめてを俺にくれたなら、俺にとっては素晴らしい……最高の……思い出だ」
 と言ってから、あることに気がついて、ほんの少し距離を取って乃亜の顔を両手に包む。
「はじめて……でいいのか? 頬くらいは、他の男にも許したことがあるとか?」

 乃亜はふるふると首を横に振った。
 ダグラスは心からの安堵を感じて、そんな自分がさらに信じられなくなった──頬へのキスだぞ、ダグラス・ジョンソン・マクブライト。本気か?

 乃亜はダグラスの腕の中にいる。
 涙を浮かべてダグラスを見つめながら、なにかを求めるようにうっすらと唇を開いている。ダグラスはこの唇に自分のそれを重ねたかった。優しくついばむように触れることも考えたし、息を奪うほど激しく奪うことも考えた。
 ──やめろ。

「あ……」
 ダグラスは目蓋を伏せて、乃亜の頬に唇を寄せると、そこに彼女から受けた一瞬の短いキスよりも少しだけ長いキスで柔らかい肌を吸った。

 これくらいは……許されるだろう。
 許されないとしても、せめてこれくらいは魂に刻みたかった。

「ダグラス……?」
「ここまでだ……ノア」
「どうして?」

 どうして……。ああ、どうしてだろうな。
 答えはダグラスも知りたかった。
 もうとっくの昔にすべてを諦めたはずだったのに、乃亜、どうして君が今になってこの牧場に現れなければならなかったんだ……と。
 この春の安息の地に。
 叶わなかった愛の彼方に。

「俺では君を幸せにできないから……君には『ハルコ』になってほしくない。だったら、俺たちはなにもはじめるべきじゃない」

 それでも──ダグラスがウィリアム同様になる未来は、もう決まっているのかもしれない。
 この同じ土地で。
 同じ女性と血の繋がった女を想って、悠久に思えるような時間を、独りただ雄大な空虚を見つめて生きるだけの未来が。
 
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