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第4話 魔王城への道——または、幻獣保護法の罠
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魔王城への旅は、三日目で早くも暗礁に乗り上げた。
「先生、あの村、様子がおかしいです」
イリアが、前方の集落を指差した。
村の入り口に、バリケードが築かれている。木の杭を並べ、その間に荷車を横倒しにして、即席の防壁を作っていた。
村の名は「サイタ」。
また、埼玉を思わせる名前だ。偶然にしては、出来すぎている。
村に近づくにつれ、聖司の既視感は強くなった。
用水路がある。村の外縁を囲むように、整然と掘られた水路。その壁面は、石とは違う灰色の素材で固められていた。
聖司は足を止め、用水路の継ぎ目を観察した。
一定間隔で入れられた目地。角度。深さ。
……この施工法、埼玉県土木工事共通仕様書に近いな。
背筋に、冷たいものが走った。
偶然ではない。これは、明らかに「彼女」——伝説の転生者ミサトの仕事だ。
「先生? どうしたんですか」
「……いや、何でもない」
聖司は歩き出した。考えるのは、後だ。
「何があった」
村の入り口に近づくと、バリケードの向こうから、槍を構えた男が顔を出した。目の下に濃い隈がある。何日も眠れていないのだろう。
「旅の者か。悪いが、今は村に入れねえ。『グレート・ベア』が出てるんだ」
「グレート・ベア?」
「巨大な熊の魔獣だ。体長は五メートルを超える。三日前から村の周囲をうろついていて、昨日は畑を荒らされた。このままじゃ、収穫が全滅する」
聖司は眉をひそめた。
「駆除すればいいだろう」
「できねえんだよ!」
男が叫んだ。
「グレート・ベアは『幻獣保護法』で守られてる。希少種だから、殺したら重罪だ。ギルドに駆除許可を申請したが、却下された」
「理由は」
「『個体数が回復途上にある』だとさ。王都の保護団体が圧力をかけてるらしい。『かわいい魔獣を殺すな』ってな。……冗談じゃねえ。あいつらは、俺たちの畑が荒らされるのを見てねえんだ」
聖司は黙って村の周囲を見回した。
畑には、巨大な足跡が残っている。作物は踏み荒らされ、柵は破壊されている。被害は甚大だ。
「バルザック」
「なんだ」
「お前、軍にいた頃、幻獣保護法の運用を見たことはあるか」
バルザックは腕を組んだ。
「ある。厄介な法律だ。希少種に指定された魔獣は、原則として駆除できない。駆除するには、ギルドの『特別許可』が必要だが、許可が下りることはほとんどない」
「なぜだ」
「王都の貴族連中が、保護団体に金を出してるからだ。『自然を守る高貴な活動』ってやつだな。現場の被害なんか、あいつらには関係ねえ」
聖司は、小さくため息をついた。
どの世界でも、同じだ。
遠く離れた都会の人間が、現場を見ずに「保護」を叫ぶ。その結果、地元の住民が被害を受ける。日本の「アーバン・ベア問題」と、構図がまったく同じだった。
「……村長に会わせてくれ」
「あんた、何者だ」
「行政書士だ。書類で、この状況をどうにかできるかもしれない」
村長は、疲れ切った老人だった。
村の集会所で、聖司は彼から詳しい話を聞いた。
「グレート・ベアが最初に目撃されたのは、一週間前です。最初は山の中にいたんですが、三日前から村の近くに降りてくるようになった」
「被害は」
「畑が三つ、全滅しました。家畜も二頭、殺されています。このままでは、冬を越せません」
「ギルドへの申請は」
「三回出しました。三回とも却下です。『希少種の駆除は認められない』の一点張りで」
聖司は、手元の羊皮紙にメモを取った。
「却下の理由書は」
「ここにあります」
村長が差し出した書類を、聖司は【契約視認】で確認した。
【駆除許可申請 却下通知】
申請者:サイタ村
対象:グレート・ベア(推定個体)
却下理由:幻獣保護法第12条に基づき、希少種に指定された幻獣の駆除は、原則として認められない。
【備考】
王都幻獣保護協会より、本件に関する意見書が提出されている。
聖司の目が、「備考」の欄に留まった。
「この『意見書』、見せてもらえるか」
「いえ、それは……ギルドから開示されていません」
「なるほど」
聖司は立ち上がった。
「現場を見る」
「え?」
「被害の現場を見ないと、書類は書けない。案内してくれ」
畑の被害は、想像以上だった。
巨大な足跡が、作物を踏み潰している。柵は木っ端微塵に砕かれ、用水路は土砂で埋まっていた。
聖司は、鞄から羊皮紙とインクを取り出した。
「先生、何をしてるんですか?」
イリアが不思議そうに尋ねた。
「実況見分だ。被害の状況を、詳細に記録する」
かつて、三郷市の現場で測量ポールを立てていた頃の感覚が蘇る。建設業許可の申請に添付する現場写真を撮るため、何百回と現場に立った。
あの頃と同じだ。数字を拾い、記録し、証拠を積み上げる。
聖司は足跡の大きさを測り、破壊された柵の本数を数え、作物の被害面積を目測で算出した。
この世界の面積単位は「アール」に近い。だが、聖司の頭の中では、同時に「坪」への換算が走っていた。
被害面積、約1.2アール。日本式に言えば、約36坪。建売住宅一軒分の土地だ。
「足跡の深さから推定される体重、約800キロ。柵の破壊状況から推定される筋力、標準的な成獣の1.5倍。これは老齢個体ではなく、壮年期の個体だな」
さらに、足跡の間隔から歩幅を計算する。歩幅と体重から、移動速度を推定。
「……時速約40キロで移動可能。人間が走って逃げられる速度じゃない」
「……何のために、そんなことを」
「証拠がなければ、行政は動かせない」
聖司はメモを取り続けた。
「エビデンスだ。客観的な証拠を積み上げて、相手の論理を崩す。それが、行政書士の戦い方だ」
バルザックが、呆れたように肩をすくめた。
「お前、本当に変わった奴だな。普通は、剣を抜いて戦うもんだ」
「剣で戦えば、お前が『幻獣殺害』で逮捕される。それじゃ意味がない」
聖司は立ち上がり、山の方を見た。
「熊の巣穴の位置は分かるか」
「ああ、村人が見張っている。山の中腹に、洞窟がある」
「案内しろ。……ただし、近づきすぎるな。俺は戦闘能力ゼロだ」
日が暮れた。
山中での調査を終え、聖司たちは村の外れで野営をすることにした。
焚き火を囲んで、食事の準備をする。
村長からもらった食材は、猪に似た魔獣の肉だった。だが、臭いが強い。血抜きが不十分なのだ。
「これ、このまま焼いたら食えたもんじゃないな」
聖司は肉を観察した。
繊維の状態、脂身の量、血の残り具合。四十八年の人生経験と、一人暮らし時代に身につけた料理の知識が、頭の中で回転する。
「イリア、この村で酒は手に入るか」
「え? あ、はい、安い麦酒なら……」
「買ってこい。それと、ハーブがあれば何でもいい。香りの強いやつだ」
イリアが走っていった。
バルザックが眉をひそめた。
「何をする気だ」
「下処理だ。血抜きが甘い肉は、酒に漬けて臭みを抜く。さらにハーブで香りをつければ、食えるようになる」
「……料理人だったのか?」
「違う。ただの一人暮らしだ」
イリアが戻ってきた。
聖司は肉を薄く切り、麦酒に漬け込んだ。三十分ほど置いてから、水気を拭き取り、摘んできたハーブを擦り込む。
それを串に刺し、焚き火でじっくりと焼いた。
脂が滴り、炎が揺れる。香ばしい匂いが立ち上った。
「……なんですか、この匂い」
イリアが、唾を飲み込んだ。
「理論に基づいた調理法だ。素材の欠点を、化学的に補正する。本当は醤油と味醂で角煮にしたいところだが、この世界にはないからな」
焼き上がった肉を、皿に盛る。
まだ「本物」には程遠い。だが、そのままよりは遥かにマシだ。
「食え」
四人で、肉を分け合った。
イリアが目を丸くした。バルザックが唸った。リーゼロッテでさえ、驚いた顔をしていた。
「……美味しい。この肉がこんな味になるなんて」
「まだまだだ。出汁があれば、もっと良くなる。この世界の調味料は、研究の余地がある」
食事を終え、焚き火の前で休んでいると、リーゼロッテが聖司の隣に座った。
バルザックとイリアは、少し離れた場所で見張りをしている。
二人きりだった。
炎が揺れている。薪が爆ぜる音だけが、夜の静寂を破っていた。
「……先生」
「なんだ」
「なぜ、これほどまでに法を信じるのですか」
聖司は、焚き火を見つめたまま答えた。
「信じてなんかいない」
「え?」
「法は、信じるものじゃない。使うものだ」
炎が揺れた。
「法律ってのは、道具だ。ナイフと同じだ。持っているだけじゃ意味がない。使い方を知っている者だけが、その力を引き出せる」
聖司は空を見上げた。二つの月が、静かに輝いている。
「俺は四十八年生きてきた。その間に、法律に救われたこともあれば、法律に裏切られたこともある。人にも、組織にも、何度も裏切られた」
声は淡々としていた。だが、その奥には、長い年月を生きてきた者だけが持つ重みがあった。
「だが、唯一裏切らなかったものがある」
「何ですか」
「自分の書いた、完璧な書類だ」
聖司は、小さく笑った。
「書類は嘘をつかない。一字一句、正確に書かれた書類は、どんな権力者の前でも効力を持つ。どんな脅しにも屈しない。俺が48年かけて学んだのは、そういうことだ」
リーゼロッテは、長い間黙っていた。
炎の光が、彼女の横顔を照らしている。
やがて、小さく呟いた。
「……父も、同じことを言っていました」
「魔王が?」
「はい。『力は正義ではない。力は道具だ』と。……先生は、父に似ています」
「俺が魔王に似てるのか。光栄だな」
「皮肉ですか」
「半分は本気だ」
聖司は立ち上がった。
「明日、ギルドに乗り込む。書類は今夜中に仕上げる」
「駆除許可を申請するのですか」
「違う」
聖司は、暗い笑みを浮かべた。
「駆除許可なんか申請しない。もっと厄介なものを突きつける」
翌朝。
聖司は、サイタ村を管轄するギルドの出張所を訪れた。
窓口の担当者は、若い人間の男だった。見るからに官僚的な顔つきをしている。
「駆除許可の申請ですか? 申し訳ありませんが、グレート・ベアは希少種に指定されていますので——」
「違う」
聖司は、羊皮紙の束を窓口に置いた。
「これは『幻獣占有権移転申告書』および『行政管理責任追及申立書』だ」
担当者の顔が、困惑に歪んだ。
「……は?」
「幻獣保護法第3条。『希少種に指定された幻獣は、国家の管理下に置かれる』。つまり、グレート・ベアの『所有者』は、法的には国家——具体的にはギルド庁舎だ」
聖司は書類を指差した。
「そして、民法第718条。『動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う』。グレート・ベアがサイタ村に与えた被害は、畑三枚、家畜二頭、柵および用水路の破壊。被害総額は、概算で150ギルだ」
担当者の顔が、みるみる青ざめていった。
「この書類は、グレート・ベアの『占有者』であるギルド庁舎に対し、被害の賠償を求めるものだ。さらに、『管理責任の追及』として、なぜ希少種が人里に降りてきたのか、ギルドの管理体制の瑕疵を問うている」
「そ、そんな……」
「選択肢は二つだ」
聖司は、静かに言った。
「一つ、駆除許可を出して、グレート・ベアを村から排除する。二つ、駆除許可を出さずに、150ギルの賠償金と、今後の被害に対する無限責任を負う」
担当者の額に、汗が浮かんでいた。
「ど、どちらも選べません……上に確認しないと……」
「確認しろ。ただし、回答期限は三日だ。世界法施行規則第156条。『申立てに対する回答は、受理後三日以内に行わなければならない』」
聖司は踵を返した。
「三日後に、また来る」
背後で、担当者が書類を手に取り、青い顔で上司を呼ぶ声が聞こえた。
ギルドを出ると、バルザックが待っていた。
「……どうだった」
「三日待てば、結果が出る」
「本当に、駆除許可が下りるのか?」
聖司は、小さく笑った。
「許可を出さなければ、ギルドは賠償責任を負う。賠償金を払うより、許可を出す方が安上がりだ。官僚は、そういう計算をする」
「……お前、本当に恐ろしい男だな」
「褒め言葉として受け取っておく」
聖司は、魔王城のある方角を見た。
「三日後、許可が下りたら出発だ。魔王城まで、あとどのくらいかかる」
「馬車で四日。途中の山道を抜ければ、三日で着く」
「なら、一週間後には魔王に会える」
聖司は万年筆を懐にしまった。
「書類の準備は、道中で仕上げる。……行くぞ」
旅は、まだ始まったばかりだった。
第4話 完
次回予告
第5話「魔王城の門——または、入城許可申請について」
「魔王城への入城には、事前の許可申請が必要だ」
「申請書類は何種類ある」
「……十七種類です」
「書ける。全部書ける」
——行政書士に、不可能な書類はない。
「先生、あの村、様子がおかしいです」
イリアが、前方の集落を指差した。
村の入り口に、バリケードが築かれている。木の杭を並べ、その間に荷車を横倒しにして、即席の防壁を作っていた。
村の名は「サイタ」。
また、埼玉を思わせる名前だ。偶然にしては、出来すぎている。
村に近づくにつれ、聖司の既視感は強くなった。
用水路がある。村の外縁を囲むように、整然と掘られた水路。その壁面は、石とは違う灰色の素材で固められていた。
聖司は足を止め、用水路の継ぎ目を観察した。
一定間隔で入れられた目地。角度。深さ。
……この施工法、埼玉県土木工事共通仕様書に近いな。
背筋に、冷たいものが走った。
偶然ではない。これは、明らかに「彼女」——伝説の転生者ミサトの仕事だ。
「先生? どうしたんですか」
「……いや、何でもない」
聖司は歩き出した。考えるのは、後だ。
「何があった」
村の入り口に近づくと、バリケードの向こうから、槍を構えた男が顔を出した。目の下に濃い隈がある。何日も眠れていないのだろう。
「旅の者か。悪いが、今は村に入れねえ。『グレート・ベア』が出てるんだ」
「グレート・ベア?」
「巨大な熊の魔獣だ。体長は五メートルを超える。三日前から村の周囲をうろついていて、昨日は畑を荒らされた。このままじゃ、収穫が全滅する」
聖司は眉をひそめた。
「駆除すればいいだろう」
「できねえんだよ!」
男が叫んだ。
「グレート・ベアは『幻獣保護法』で守られてる。希少種だから、殺したら重罪だ。ギルドに駆除許可を申請したが、却下された」
「理由は」
「『個体数が回復途上にある』だとさ。王都の保護団体が圧力をかけてるらしい。『かわいい魔獣を殺すな』ってな。……冗談じゃねえ。あいつらは、俺たちの畑が荒らされるのを見てねえんだ」
聖司は黙って村の周囲を見回した。
畑には、巨大な足跡が残っている。作物は踏み荒らされ、柵は破壊されている。被害は甚大だ。
「バルザック」
「なんだ」
「お前、軍にいた頃、幻獣保護法の運用を見たことはあるか」
バルザックは腕を組んだ。
「ある。厄介な法律だ。希少種に指定された魔獣は、原則として駆除できない。駆除するには、ギルドの『特別許可』が必要だが、許可が下りることはほとんどない」
「なぜだ」
「王都の貴族連中が、保護団体に金を出してるからだ。『自然を守る高貴な活動』ってやつだな。現場の被害なんか、あいつらには関係ねえ」
聖司は、小さくため息をついた。
どの世界でも、同じだ。
遠く離れた都会の人間が、現場を見ずに「保護」を叫ぶ。その結果、地元の住民が被害を受ける。日本の「アーバン・ベア問題」と、構図がまったく同じだった。
「……村長に会わせてくれ」
「あんた、何者だ」
「行政書士だ。書類で、この状況をどうにかできるかもしれない」
村長は、疲れ切った老人だった。
村の集会所で、聖司は彼から詳しい話を聞いた。
「グレート・ベアが最初に目撃されたのは、一週間前です。最初は山の中にいたんですが、三日前から村の近くに降りてくるようになった」
「被害は」
「畑が三つ、全滅しました。家畜も二頭、殺されています。このままでは、冬を越せません」
「ギルドへの申請は」
「三回出しました。三回とも却下です。『希少種の駆除は認められない』の一点張りで」
聖司は、手元の羊皮紙にメモを取った。
「却下の理由書は」
「ここにあります」
村長が差し出した書類を、聖司は【契約視認】で確認した。
【駆除許可申請 却下通知】
申請者:サイタ村
対象:グレート・ベア(推定個体)
却下理由:幻獣保護法第12条に基づき、希少種に指定された幻獣の駆除は、原則として認められない。
【備考】
王都幻獣保護協会より、本件に関する意見書が提出されている。
聖司の目が、「備考」の欄に留まった。
「この『意見書』、見せてもらえるか」
「いえ、それは……ギルドから開示されていません」
「なるほど」
聖司は立ち上がった。
「現場を見る」
「え?」
「被害の現場を見ないと、書類は書けない。案内してくれ」
畑の被害は、想像以上だった。
巨大な足跡が、作物を踏み潰している。柵は木っ端微塵に砕かれ、用水路は土砂で埋まっていた。
聖司は、鞄から羊皮紙とインクを取り出した。
「先生、何をしてるんですか?」
イリアが不思議そうに尋ねた。
「実況見分だ。被害の状況を、詳細に記録する」
かつて、三郷市の現場で測量ポールを立てていた頃の感覚が蘇る。建設業許可の申請に添付する現場写真を撮るため、何百回と現場に立った。
あの頃と同じだ。数字を拾い、記録し、証拠を積み上げる。
聖司は足跡の大きさを測り、破壊された柵の本数を数え、作物の被害面積を目測で算出した。
この世界の面積単位は「アール」に近い。だが、聖司の頭の中では、同時に「坪」への換算が走っていた。
被害面積、約1.2アール。日本式に言えば、約36坪。建売住宅一軒分の土地だ。
「足跡の深さから推定される体重、約800キロ。柵の破壊状況から推定される筋力、標準的な成獣の1.5倍。これは老齢個体ではなく、壮年期の個体だな」
さらに、足跡の間隔から歩幅を計算する。歩幅と体重から、移動速度を推定。
「……時速約40キロで移動可能。人間が走って逃げられる速度じゃない」
「……何のために、そんなことを」
「証拠がなければ、行政は動かせない」
聖司はメモを取り続けた。
「エビデンスだ。客観的な証拠を積み上げて、相手の論理を崩す。それが、行政書士の戦い方だ」
バルザックが、呆れたように肩をすくめた。
「お前、本当に変わった奴だな。普通は、剣を抜いて戦うもんだ」
「剣で戦えば、お前が『幻獣殺害』で逮捕される。それじゃ意味がない」
聖司は立ち上がり、山の方を見た。
「熊の巣穴の位置は分かるか」
「ああ、村人が見張っている。山の中腹に、洞窟がある」
「案内しろ。……ただし、近づきすぎるな。俺は戦闘能力ゼロだ」
日が暮れた。
山中での調査を終え、聖司たちは村の外れで野営をすることにした。
焚き火を囲んで、食事の準備をする。
村長からもらった食材は、猪に似た魔獣の肉だった。だが、臭いが強い。血抜きが不十分なのだ。
「これ、このまま焼いたら食えたもんじゃないな」
聖司は肉を観察した。
繊維の状態、脂身の量、血の残り具合。四十八年の人生経験と、一人暮らし時代に身につけた料理の知識が、頭の中で回転する。
「イリア、この村で酒は手に入るか」
「え? あ、はい、安い麦酒なら……」
「買ってこい。それと、ハーブがあれば何でもいい。香りの強いやつだ」
イリアが走っていった。
バルザックが眉をひそめた。
「何をする気だ」
「下処理だ。血抜きが甘い肉は、酒に漬けて臭みを抜く。さらにハーブで香りをつければ、食えるようになる」
「……料理人だったのか?」
「違う。ただの一人暮らしだ」
イリアが戻ってきた。
聖司は肉を薄く切り、麦酒に漬け込んだ。三十分ほど置いてから、水気を拭き取り、摘んできたハーブを擦り込む。
それを串に刺し、焚き火でじっくりと焼いた。
脂が滴り、炎が揺れる。香ばしい匂いが立ち上った。
「……なんですか、この匂い」
イリアが、唾を飲み込んだ。
「理論に基づいた調理法だ。素材の欠点を、化学的に補正する。本当は醤油と味醂で角煮にしたいところだが、この世界にはないからな」
焼き上がった肉を、皿に盛る。
まだ「本物」には程遠い。だが、そのままよりは遥かにマシだ。
「食え」
四人で、肉を分け合った。
イリアが目を丸くした。バルザックが唸った。リーゼロッテでさえ、驚いた顔をしていた。
「……美味しい。この肉がこんな味になるなんて」
「まだまだだ。出汁があれば、もっと良くなる。この世界の調味料は、研究の余地がある」
食事を終え、焚き火の前で休んでいると、リーゼロッテが聖司の隣に座った。
バルザックとイリアは、少し離れた場所で見張りをしている。
二人きりだった。
炎が揺れている。薪が爆ぜる音だけが、夜の静寂を破っていた。
「……先生」
「なんだ」
「なぜ、これほどまでに法を信じるのですか」
聖司は、焚き火を見つめたまま答えた。
「信じてなんかいない」
「え?」
「法は、信じるものじゃない。使うものだ」
炎が揺れた。
「法律ってのは、道具だ。ナイフと同じだ。持っているだけじゃ意味がない。使い方を知っている者だけが、その力を引き出せる」
聖司は空を見上げた。二つの月が、静かに輝いている。
「俺は四十八年生きてきた。その間に、法律に救われたこともあれば、法律に裏切られたこともある。人にも、組織にも、何度も裏切られた」
声は淡々としていた。だが、その奥には、長い年月を生きてきた者だけが持つ重みがあった。
「だが、唯一裏切らなかったものがある」
「何ですか」
「自分の書いた、完璧な書類だ」
聖司は、小さく笑った。
「書類は嘘をつかない。一字一句、正確に書かれた書類は、どんな権力者の前でも効力を持つ。どんな脅しにも屈しない。俺が48年かけて学んだのは、そういうことだ」
リーゼロッテは、長い間黙っていた。
炎の光が、彼女の横顔を照らしている。
やがて、小さく呟いた。
「……父も、同じことを言っていました」
「魔王が?」
「はい。『力は正義ではない。力は道具だ』と。……先生は、父に似ています」
「俺が魔王に似てるのか。光栄だな」
「皮肉ですか」
「半分は本気だ」
聖司は立ち上がった。
「明日、ギルドに乗り込む。書類は今夜中に仕上げる」
「駆除許可を申請するのですか」
「違う」
聖司は、暗い笑みを浮かべた。
「駆除許可なんか申請しない。もっと厄介なものを突きつける」
翌朝。
聖司は、サイタ村を管轄するギルドの出張所を訪れた。
窓口の担当者は、若い人間の男だった。見るからに官僚的な顔つきをしている。
「駆除許可の申請ですか? 申し訳ありませんが、グレート・ベアは希少種に指定されていますので——」
「違う」
聖司は、羊皮紙の束を窓口に置いた。
「これは『幻獣占有権移転申告書』および『行政管理責任追及申立書』だ」
担当者の顔が、困惑に歪んだ。
「……は?」
「幻獣保護法第3条。『希少種に指定された幻獣は、国家の管理下に置かれる』。つまり、グレート・ベアの『所有者』は、法的には国家——具体的にはギルド庁舎だ」
聖司は書類を指差した。
「そして、民法第718条。『動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う』。グレート・ベアがサイタ村に与えた被害は、畑三枚、家畜二頭、柵および用水路の破壊。被害総額は、概算で150ギルだ」
担当者の顔が、みるみる青ざめていった。
「この書類は、グレート・ベアの『占有者』であるギルド庁舎に対し、被害の賠償を求めるものだ。さらに、『管理責任の追及』として、なぜ希少種が人里に降りてきたのか、ギルドの管理体制の瑕疵を問うている」
「そ、そんな……」
「選択肢は二つだ」
聖司は、静かに言った。
「一つ、駆除許可を出して、グレート・ベアを村から排除する。二つ、駆除許可を出さずに、150ギルの賠償金と、今後の被害に対する無限責任を負う」
担当者の額に、汗が浮かんでいた。
「ど、どちらも選べません……上に確認しないと……」
「確認しろ。ただし、回答期限は三日だ。世界法施行規則第156条。『申立てに対する回答は、受理後三日以内に行わなければならない』」
聖司は踵を返した。
「三日後に、また来る」
背後で、担当者が書類を手に取り、青い顔で上司を呼ぶ声が聞こえた。
ギルドを出ると、バルザックが待っていた。
「……どうだった」
「三日待てば、結果が出る」
「本当に、駆除許可が下りるのか?」
聖司は、小さく笑った。
「許可を出さなければ、ギルドは賠償責任を負う。賠償金を払うより、許可を出す方が安上がりだ。官僚は、そういう計算をする」
「……お前、本当に恐ろしい男だな」
「褒め言葉として受け取っておく」
聖司は、魔王城のある方角を見た。
「三日後、許可が下りたら出発だ。魔王城まで、あとどのくらいかかる」
「馬車で四日。途中の山道を抜ければ、三日で着く」
「なら、一週間後には魔王に会える」
聖司は万年筆を懐にしまった。
「書類の準備は、道中で仕上げる。……行くぞ」
旅は、まだ始まったばかりだった。
第4話 完
次回予告
第5話「魔王城の門——または、入城許可申請について」
「魔王城への入城には、事前の許可申請が必要だ」
「申請書類は何種類ある」
「……十七種類です」
「書ける。全部書ける」
——行政書士に、不可能な書類はない。
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前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい
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異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。
強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。
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転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
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ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
異世界に転生したので幸せに暮らします、多分
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物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。
前世の分も幸せに暮らします!
平成30年3月26日完結しました。
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5月9日、番外編追加しました。
小説家になろう様でも公開してます。
エブリスタ様でも公開してます。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
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俺は異世界転生者カドマツ。
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同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
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※小説家になろう様にも掲載しています。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
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ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
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