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2巻

2-2

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「ンンー! ンンンン――ッ!」

 貼り付いた唇を必死になってがそうと、ガルダープは自分の唇を乱暴につかむ。しかし途端に刺すような痛みを感じて、咄嗟とっさに唇から手を離した。
 見れば、一瞬掴んだだけで、指先が凍ってしまっている。少しでも離すのが遅れていれば、指は唇に貼り付いて取れなくなっていただろう。

「さて、さっさと終わらせるとしよう。お前みたいな醜いやつに時間をとられたくないんだ」

 女は冷酷な目でガルダープ……の周りを見下ろしながら、淡々とそう告げた。
 苦しむガルダープも、彼女からしてみればただの汚物でしかないのだろう。そう確信させるほど、なんの配慮や頓着とんちゃくも感じさせない無感情な声だった。

「お前の罪状は……まあ、色々聞いているが、どうでもいいか。醜かったというだけで十分だ」

 女の言葉を聞いて、ガルダープが怒りに震える。
 確かに自分は悪いことをしてきたが、それにしたって、この仕打ちはないだろう。こんなどうでもよさげに、そこらのゴミを片付けるように扱われるなど、耐え難い屈辱である。
 このアスモ・ガルダープ様をめるなと、声を大にして叫びたかった。
 しかし彼の心からの叫びは、凍り付いた唇によって、言葉にすることはできなかった。

「ミリア・イズリス王女からの依頼により、お前を始末する。さあ、この世に別れを告げ、女神に祈りをささげろ」

 ミリア・イズリスという名前が耳に届いた瞬間、ガルダープの怒りは明確な殺意となった。
 ガバッと体を起こすと、荷馬車の御者台近くに置いていた剣を手に取り、勢いよく引き抜く。

「ンンン――!」

 そして全力で振り上げ、女に向かって振り下ろす。
 それは一瞬の出来事。その巨体からは想像もできない機敏な動きで、ガルダープは女を攻撃した。

「……はぁ……死に際から急に動き出すあたりも、まさに虫ケラそっくりだな……」

 しかしその攻撃が、女に届くことはなかった。

「ン……ブフッ……」

 ガルダープの唇の端から、細く血の線がしたたちる。吐き出されなかった血液は、口の中やのどの奥で凍り付き、彼の気道を完全に塞いでしまった。
 そんなガルダープの体には、地面から伸びた何本もの氷柱つららが突き刺さっている。両腕はおろか両足まで綺麗に切り飛ばされ、自分の足で立ててすらいない。前後左右から体を貫く氷柱に、全体重を支えられていた。

「醜いお前にはもったいない最後だな。喜んでいいぞ。私に殺されるんだからな」

 女はニヤリと笑って、血だらけのガルダープにそう告げる。
 流れ出た端から凍っていく鮮血は、幾本もの氷柱を鮮やかなくれないに染めていった。

「ああ……まだ名乗っていなかったか……」

 女は思い出したように軽く手をたたく。そして胸元から水晶のように美しいハンタープレートを取り出すと、綺麗に研磨されたチェーン部分に小さな頭を通し、誇らしげな様子で首に提げた。

「Sランクハンター、アスティー・アルバリウスだ。この名を胸に刻み、感謝しながら死ね」

 アスティーは不敵に笑いながら、堂々と名乗りを上げる。
 しかし残念ながらその言葉は、既に瀕死ひんしのガルダープに届いてはいなかった。
 冷気が傷口から徐々に全身に回り、氷が体を包んでいく。
 呼吸をすることも、喉を鳴らすことさえ許されないガルダープは、ただ黙って苦悶くもんの表情を浮かべることしかできない。
 やがて全身が氷に包まれ、ガルダープは身動き一つ取れなくなった。

「散れ」

 アスティーの言葉とともに、氷が豪快な音を立てて粉々にくだけ散る。
 砕けた氷は地面に落下する前に消えていき、やがてそこには氷どころか、ガルダープの死体の一片すら残っていなかった。


 一仕事終えたアスティーは、荷馬車に腰掛けて、一人空を見上げていた。

「まったく、ミリアめ……あんな雑魚ざこの始末のためにわざわざ私を呼び戻すとは……次はいったい何を企んでいるんだか……」

 体を後ろに倒し、コツン、と音を鳴らして、頭を大量の荷物に寄りかからせる。
 荷物の中身はガルダープが所持し、持ち運んでいた財産である。いくつもの大きな袋に、あふれそうなほど詰め込まれた金貨や宝石。換金用とおぼしき金塊きんかいや、大量の食糧、調味料までせられている。

「ふむ……このまま回収してミリアに渡しても、王族や貴族どもの私腹を肥やすだけだな……ガーディ!」

 アスティーが声を発すると、青く輝く魔法陣が地面に描かれ、その中央から三匹の巨大な狼が現れた。
 毛並みは雪のように白く、りんとした瞳は主人の髪色と同じ水色だ。

「旅の途中に、みすぼらしい村が三つあったろう。三等分して持っていけ。ついでに、もっと村を美しくしろと伝えてこい」

 アスティーの言葉に、三匹の狼は金貨や宝石を袋ごと呑み込むと、そのまま風を裂くような速度で走り去ってしまった。
 アスティーはそれを見届けた後、馬車につながれていた馬の手綱たづなを解いてやる。
 しかし自由になったはずの二頭の馬は、アスティーの側から離れようとしなかった。

「……ん? なんだ? 一緒に来たいのか?」

 馬の目を見つめながら、アスティーが困ったように尋ねる。
 二頭の馬はアスティーをじっと見つめ、やがて甘えるようにその身を寄せてきた。

「……困ったな。私には既に足があるんだが……」

 あごに片手を置いて、うーむとうなっていたアスティーは、馬の首を撫でると小さく溜息をついた。

「仕方ない……おい、フローズ! 私はこいつらと帰るから、お前は先に王都へ戻っていろ! 間違っても、勝手に暴れたりするんじゃないぞ!」

 アスティーが大声を張り上げる。すると遥か上空から、巨大な何かが降ってきた。

「ほら、これを持っていけ。私の使役している魔物だと分かる」

 自らのハンタープレートを首からとり、上空へ放り投げるアスティー。
 それを立派な角に引っ掛けて受け取ったのは、巨大なドラゴンだった。
 全長十五メートルはありそうな、恐ろしく巨大なドラゴン。カンナが魔力で作ったような可愛らしいものではなく、禍々まがまがしい存在感を放つ、間違いなく最強の魔物である。
 フロスト・ドラゴンと呼ばれるその魔物は、アスティーがこの旅の途中で見つけ、飼いならした新しいペットだ。
 ドラゴンはうやうやしく頭を下げると、大きな翼を力強く動かして、王都へ向かって飛んでいった。

「さて……お前たちも行くぞ。こんなところで一泊したくないからな」

 アスティーは馬車に積んであったくらを取り付け、馬にまたがる。
 手綱を握ると、馬は彼女の言葉を正確に理解したように、足早に王都へ向かって駆け出した。

「私の旅を中断させてまで呼び戻したんだ……どんな話が聞けるか、楽しみにしているぞ……ミリア」

 馬を走らせながら、アスティーはそう呟いた。
 陽はさらに傾き、荒野は綺麗なオレンジ色に染まっている。
 西日が照らすアスティーの顔は、実に楽しそうに笑っていた。



 3 夜の勉強会


 高位ハンター養成学校の卒業試験を翌日に控えた日の夜。
 私、カンナは赤いインクをつけたペンを右手に持ち、ところせましと解答が書き込まれた用紙に目を通していた。
 私の隣では、リッカが緊張した様子でこちらを見つめている。
 私の手元にある用紙――ミリアが用意した模擬テストの結果が出るのを、まるで祈るような顔で待っているのだ。

「そういえばさ……」

 解答用紙に視線を向けたまま、私はリッカに話しかけた。リッカの肩がビクッと跳ねる。

「な、なんスか……?」
「あはは、緊張しすぎだよ……あのさ、アスティー・アルバリウスさんって、どんな人か知ってる?」

 王国内で唯一のSランクハンター、アスティー・アルバリウス。
 私が初めてその名前を聞いたのは、王都に到着した日。リッカとともにこの学校へ向かっている最中だった。
 リッカから教えてもらったその名前を聞いて、私は理由も分からないまま、不吉な予感を覚えたものだ。

「アスティー様っスか? もちろん知ってるっスよ。有名な人っスから」
「有名なんだ……いや、それはそうか。唯一のSランクだもんね」

 うんうんと私が頷いていると、リッカは不思議そうな顔で尋ねてきた。

「それもそうっスけど……それ以外でも、かなり有名な人っスよ。カンナさんは知らないんスか?」
「あ、ああ……うん。ちょっとその、そういうのにうとくて……」

 この世界に来て、一応それなりに知識は詰め込んできたつもりだった。それでも、やはりそれは生活の中で必要になってくる知識が多い。そのためこの世界では知ってて当たり前の、ごく一般的な事柄が、たまにポロッと抜けていたりする。

「そうなんスね……アスティー様はとにかくすごい人っスよ! 自分くらいの歳の頃にはもうとっくにSランクになって、この学校の最高権力者になってたって話っス」

 その言葉に驚いて、私は勢いよく解答用紙からリッカの顔へと視線を動かした。

「ええ!? そんな子どもの頃から、ずっと最強のハンターだったってこと!?」
「そうっスよ。しかも、当時Sランクだった何人かのハンターをボコボコにして、無理やりAランクに降格させた挙句、その日のうちに自分をSランクハンターとして認めさせたらしいっス」
「む、無茶苦茶な人だなぁ……」

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。呆れと驚きで、私は馬鹿みたいに口を開いて固まっていた。
 そんな私に向かって、リッカは楽しそうに言葉を続ける。

「そんな人っスから、当然他の国とかからも誘いがあるらしいんスけど……全部断ってるらしいっスよ。地位や権力に興味がないみたいっス」
「え……じゃあ、なんでわざわざSランクハンターになったりしたの?」
「えっと……Sランクのハンタープレートが綺麗だったから、らしいっスよ。手に入れたらすぐに飽きたみたいっスけど」
「何その理由……」

 話を聞いてるだけでも、その破天荒はてんこうさというか、型破りの性格が透けて見えてくるようだった。
 普通を好み、波風を立てるのが嫌いな私には、どうにも理解できそうにない。

「とにかく、美しさ至上主義というか、綺麗なものに目がないんスよ。ハンターになった理由も、『この世の美しいものを片っ端から蒐集しゅうしゅうしたいから』らしいっス」
「そ、そう……」

 なるほど、随分とアグレッシブな方のようだ。
 アスティー・アルバリウスは、『美しいもの』などという幅広いものを蒐集している変わり者らしい。ならば、その性格はどうだろうか。

「どういう性格の人なの?」
「性格っスか? さあ、直接の面識はないので……」
「ああ、それもそっか……」

 考えてみれば、リッカも話で聞いただけなのだ。
 本人の性格など予想するしかないだろう。

「ただ、ものすごく自己中心的で、自分が欲しいもののためなら手段を一切選ばないらしいっスよ」

 と思ったら、そうでもなかったようだ。
 流石は有名人、ある程度の性格は既に認知されているらしい。
 あくまでも聞いた話であり、鵜呑うのみにするのは危険だが、エピソードを聞く限りは私もなんとなくそんな人のような気がした。

「自己中心的、かぁ……」
「はい。でも、国民からの人気はすごいっスね」
「え? そうなの?」

 リッカの言葉が意外で、私は首をかしげた。
 好き勝手にやっているイメージだったのだが、そうではないのだろうか。

「はい……詳しくは知らないっスけど、色々と特権を認めてもらってる代わりに、王国から依頼を受けて悪者退治をしてるらしいっス。有名な盗賊団とか、時には凶悪な魔物と一人で戦ったりして……いわゆる、『英雄』ってやつっスね。本人は正義の味方のつもりはなくても、助けられた人も多いから、みんな憧れてるんスよ」
「なるほど……」

 好き勝手にやってはいても、それで助けられてる人も大勢いるということか。なら、それほど悪い人というわけではないのだろうか……

「ところで、なんで急にそんなこと聞いてきたんスか?」

 そう尋ねられ、私は思索しさくふけっていた頭を再起動させる。
 リッカは不思議そうな顔でこちらを見つめている。私はなんと話したものかと悩みながらも、ゆっくりと口を開いた。


「んー……明日、そのアスティーさんが試験を見にくるって聞いたからさ……」
「ええ!? あ、あ、アスティー様がっスか!?」

 リッカが一気に興奮し、顔を赤く染める。なんだ、「他の人はそうらしい」みたいに話していたくせに、ちゃっかり自分もファンなんじゃないか。
 はしゃぐリッカがあこがれのヒーローに会えると喜ぶ子どものようで、私は微笑ましさについ笑ってしまった。

うれしそうだね、リッカ?」
「そりゃあ嬉しいっスよ! 初めてアスティー様を生で見れるんスから!」
「初めて? 珍しいの?」
「珍しいというか、アスティー様は何年か前から国外へ旅に出ていたはずなんスよ! 理由は分からないんスけど……旅は終わったんスかね? とにかく、戻ってきてくれて嬉しいっス!」
「あはは、よかったねぇ」

 パタパタとせわしなく尻尾を動かし、早口で喋るリッカをなだめるように、優しく頭を撫でる。しばらく撫で続けていると、興奮していたリッカも次第に落ち着いてきた。

「はああ……明日が楽しみっス……なんか、一気にやる気が出てきたっスよ!」
「そう? じゃあ、その調子で勉強も頑張って。こことここ、間違い。やり直し」
「え……」

 チェックをつけた解答用紙を差し出すと、リッカは笑顔のまま固まってしまう。段々と笑顔がしぼんでいき、やがてねた子どものような顔になった。

「……やる気、ちょっとなくなったっス。一回休憩きゅうけいを……」
「筆記で落ちたら、その後の実技でアスティーさんに会えなくなるかもね?」
「……うわあああああああ!」
「頑張れー」

 頭を抱えて机に突っ伏すリッカに向かって、応援の言葉と新しい用紙を送る。
 勉強はとにかく反復して覚えろというミリアの厳しいお言葉のもと、私も心を鬼にしてリッカの勉強を監督かんとくする。
 再びペンを握り、唸りながら問題用紙を睨みつけ始めたリッカを見ながら、私はミリアのことを思い出す。
 アスティー・アルバリウスが卒業試験を見にくる。それを教えてくれたのはミリアだった。
 単なる世間話だった可能性も十分にある。だが、その時のミリアの顔は、どこか含みがあったというか、作り物めいていた。
 なぜミリアは、アスティーのことを私に教えてくれたのか。
 一応、用心はしておくべきだろう。それが杞憂きゆうで終わるなら、それはそれで構わない。
 まだ会ったこともない王国最強のハンターについてあれこれと想像しながら、私はリッカが問題を解き終わるのを静かに待ち続けた。


  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 すっかり陽の陰は消え、王都に夜のとばりが下りた。
 僅かに残っていた活気も、次第に沈下しつつある。
 王都の中心にそびえる王城も例外ではなく、立派な城門の中は暗闇と静寂に包まれていた。
 そんな王城の中の、とある一室。
 王女ミリアの部屋としてあてがわれた小さな部屋は、いまだ華やかな明るさを保っていた。
 そしてそのミリアの部屋を目指して、薄暗い廊下を一人の女性が颯爽さっそうと歩いていく。薄暗いといっても、もちろん最低限の灯りは確保されているし、今夜は月も綺麗に輝いていた。歩くのに困るほどの暗闇にはならない。
 月光を受けて、女性の優麗な面差しが暗がりの中に照らし出される。
 酷薄こくはくな笑みを浮かべながら、その女性――アスティー・アルバリウスは誰憚だれはばかることなく、堂々とした足取りでミリアの部屋へと向かっていた。
 彼女は誰の許可も取らずに王城に踏み入っているが、衛兵たちは止めようとしない。既にミリアの部下から話は聞いているし、何より止めようとしたところで、自分たちでは一秒の足止めにすらならないと理解しているのだ。
 あらゆる魔法を使いこなし、国の誰よりも剣の腕に優れ、深い叡智えいちを有している。あげつらう欠点のない完璧な彼女を、人々は『英雄』と呼び崇めていた。

「…………ふっ」

 そんな英雄は、やがてミリアの部屋に辿り着く。
 アスティーが予想していた通り、ミリアの部屋からは灯りが漏れている。淡い紅茶の香りまで漂ってきた。
 こんな夜遅くに、万端の備えをして自分を迎えるミリアのことを、アスティーは『らしい』と思う。そしてつい、軽く笑ってしまった。

「入るぞ」

 そう一言告げると、歩いてきた足を止めることなく、ノックの一つすらしないで、王女の部屋の扉を乱暴に開けた。王族に対してあまりにも失礼な態度だが、アスティーは気にすることなく部屋の中へと足を踏み入れる。

「こんばんは。お待ちしておりました、アスティー様」

 部屋の中では、王女らしいきらびやかな衣服に身を包んだミリアが、アスティーに向かって頭を下げていた。アスティーの趣味に合う華やかな衣装だ。
 ミリアの横には小さなテーブルがあり、それを挟んで二つの白いソファーが置かれている。テーブルの上には、ティーポットと二つのティーカップ、そして使用人を呼ぶための小さなベルが置いてあった。
 ティーカップには既に紅茶が注がれている。湯気が上っているところを見ると、まだれられたばかりだろう。先に注がれているなど本来ならあり得ないことだが、せっかちな自分への彼女らしい気遣いだろうとアスティーは思った。

「久しぶりだな、ミリア」
「はい。ご無沙汰しています、アスティー様。お変わりないようですね」
「お前は少し成長したな。私の見立て通り、綺麗に育ったじゃないか」
「お恥ずかしいです、アスティー様。アスティー様の美しさには遠く及びません」

 アスティーは会話をしながらミリアの横を通り過ぎ、自然と上座に腰を下ろす。ミリアもそれを当然のように受け流し、入り口に近い下座に座った。
 どかっと背もたれに体を預け、横柄な態度で足を組む。そんなアスティーを、ミリアは一ミリも動かない笑顔で見つめていた。

「私の騎乗する魔物が先に来たはずだ。どうしている?」

 ミリアに向かって問いかける。ミリアはアスティーが動くまで、紅茶に口をつけようとも、また勧めようともしなかった。

「私の部下がお世話をしています。ドラゴンなど初めて見たと、興奮していましたよ」
「そうか。変に刺激したりするなと伝えておいてくれ。殺されても知らんぞ」
「承知しました。優秀な子ですから、心得ているとは思いますが」
「どうだかな」

 手で口元を抑えてクスクスと笑う。そんなミリアの態度にアスティーは胡散臭うさんくさそうな目を向けた後、温かい紅茶に口をつけた。

「ん……美味いな。東国の茶葉か」
「流石、お詳しいですね。少し縁があって、丁度この前贈っていただいたところでして。そのドラゴンの世話をした部下が淹れてくれたお茶ですよ」
「……そうか」

 基本的に自分の目で見たものしか信じないアスティーだが、その紅茶の味に少しだけミリアの部下への評価が上がる。
 しばらくの間、二人は黙って美味しいお茶を堪能した。

「……旅はどうでしたか?」

 ミリアがそう尋ねながら、音を立てないようにカップをソーサーへと置く。
 アスティーは紅茶を飲み干すと、深い溜息をついて答えた。

「分かってて聞いているだろう? お前に呼び戻されていなければ、私は戻ってきてはいない」
「探し物は見つかっていませんか」
「残念ながらな。道中はなかなか楽しいこともあったが、収穫はゼロだ」

 そう言いながら、アスティーは頭をソファーの背もたれに乗せ、視線を上へと向けた。細かな意匠いしょうの天井が、アスティーの目をなごませる。

「そうですか……ですが、無理もないかもしれませんね。探し物があまりにも希少すぎますから」
「希少、か……確かにそうかもしれないな。諦めるつもりなど毛頭ないが」
「見つからなかったらどうするのですか?」
「さあな。世界中を探し尽くしてから考える」

 アスティーはそう言って、ミリアが入れたおかわりの紅茶を、少しだけ口に含む。香りを楽しんでから、ゆっくりと息を吐き出した。

「だから、時間が惜しいんだ。単刀直入に聞くぞ。わざわざ私を呼び戻した理由はなんだ?」

 カップを置き、体を起こして、ミリアの目を見つめる。
 本題を切り出したアスティーのことを、ミリアは変わらぬ微笑みでもって受け止めた。

「目的、ですか? 手紙でお伝えした通り、セルフィアから逃げ出したアスモ・ガルダープの処分を……」
「くだらない嘘をくな、ミリア」

 語気とともに、アスティーの目に力が入る。
 常人ならば否応なく震え上がるような目で睨まれても、ミリアの表情に変化はない。分厚い仮面は少しの揺らぎも見せなかった。
 そんなミリアに苛つきながら、アスティーは続ける。

「お前の腹の黒さなど知っている。誰がお前に知識を叩き込んでやったと思ってる?」

 アスティーは前屈まえかがみになり、両肘りょうひじを自分の足に乗せた。

「あの程度の雑魚を始末するために、お前が私の手を借りるはずがないだろう。そもそもお前はあの醜い男が逃げ出す前から、私に文を飛ばしていたな? ご丁寧に逃走に使うだろうルートまで添えて。そして機を見計らってわざと脱獄させた。でなければ、遠く国外にいた私があのタイミングでヤツを見つけられるわけがないからな」
「…………」

 アスティーは淡々と語っていく。それはただ事実を述べていっているだけ。証拠がなくても本人は確信しているし、ミリアも否定しない。
 それでも、ミリアの笑みは微動だにしなかった。

「……まあ、あの男の処分に私を使ったのは、まだいい。私が知りたいのはお前の目的だ」

 アスティーは微かに纏っていた怒気を散らすと、またゆっくりと背もたれに寄り掛かった。
 そして、今度は面白そうにニヤニヤと笑う。

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