アリアドネ・コード─少女兵たちよ人類を奪還せよ─

チャハーン

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アリアドネの繭・前編

第11話 一万

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「リリスさん!おかえりなさい」

 エレンは既にここでの生活に適応したようで、エプロンを着ながらリリスを出迎えた。一方リリスは先の訓練により気力がない。キッチンからは温かいシチューの香りが漂ってくる。
 リリスは駆け寄ってくるエレンを見て、ほっとした。ようやく現実に戻り、ただいまと小さく言う。

「訓練行ってたんですか?」
「まぁ一応ね。ちょっとはしゃぎすぎた」
「今度時間がある時、見に行ってもいいですか?」

 リリスは固まった。訓練、特に仮想世界に入り込むものはとても見せられるようなものではない。体が跳ね上がり、攻撃を受けた時の悲鳴、血の代わりに流れる汗。十八歳のエレンには刺激が強すぎる。
 ふとリリスは思いつく。刺激が弱く、かつ臨場感溢れる訓練、これに当てはまるものが一つだけあったのだ。

「模擬戦闘なんだけど、対人形式で弾丸はペイント弾を使うの。それでフラッグを取ったりとか占領をしたりとかで、かなり見応えのあるものだと思う」
「それすっごく楽しそうですね!誰とやるんですか?」
「あー……」

 対人形式なので一人では出来ない。ベティとやってもいいが、一対一だと迫力に欠ける。第四分隊はサラとベティ以外にいないので、分隊で人を集めることも出来ない。
 リリスの脳裏に浮かんだのは、つい最近一悶着起こしたパエトーンだった。しかし彼女らに頭を下げて、訓練を手伝ってほしいと頼むのは、例え口が裂けても出来ない。

「て、適当に人を集めてみるよ……ベティにも頼んでみるし」

 エレンの期待の眼差しを向けられ、つい「見応えのある訓練」を約束してしまったリリスは気まずそうにシチューを口に入れた。チーズが口の中で蕩け、胡椒の風味がよく合う。

「美味しい……また料理の腕をあげたね」
「子供の頃からずっと作ってたんです。特にシチューとか煮るものは得意で!」

 エレンの言葉に、リリスは思わず顔を綻ばせる。

「あら、美味しそうなシチューじゃない。エレン、私も一杯貰えるかしら」
「サラさん、喜んで!お肉多めに入れておきますね」
「私は?」

 サラはリリスの泣き言を自然に受け流すと、椅子に座りエレンが差し出したボウルを受け取った。
 リリスは口を尖らせ、自分でシチューをよそいに行く。エレンが後ろから、底の方にたくさんあると言う。

「……それで、模擬戦をやるって聞こえたけれど、人はいるの?」
「あ、う……聞いてたんだ。人はいないよ、だから探してるところ」

 リリスがシチューに浮かんだ小さいじゃがいもをつつく。サラは腕を組み、小さく笑ってリリスの顔を覗き込む。

「パエトーンを誘うのはどう?あの子たち、プライドは無駄に高いけど、それに見合う実力はあるわよ」
「嫌だよ……特にカレンとか見てると、無性にビンタしたくなるし」
「確かにパエトーンの人たちはプライドが高くて嫌なところもありますけど……話してみると案外いい人たちですよ」

 エレンの無邪気な一言がリリスの胸に刺さる。じゃがいもが崩れた。リリスは頬杖をつきながらパエトーンと模擬戦をする妄想をした。心の中では「あの女がいい人?どの口が」と毒づいていた。
 取り巻き連中はまだしも、隊長のエリヤとは相容れそうにはない。彼女は選民思想の塊のような人物だ。

「リリスさんなら勝てますよね!」

 リリスはエレンの純粋な笑顔を向けられて、嫌な顔をした。しかしエレンにその表情を見せないように、片手で顔を隠した。

「そんなに嫌な顔しなくてもいいじゃない。みんな可愛い子よ」
「あのねぇ……」

 リリスはこめかみを押さえ、エレンに背を向けた。そしてサラに小声で聞く。

「まじでやるしかない……?そもそも誘いに乗るかな」
「そうね……エレンのような観客の前で、第四分隊を潰せるってなったら、あの子たち本気で来るはずよ」
「性格悪いね、やっぱり」

 サラは口元をレースのハンカチで拭うと立ち上がり、食べ終わったシチューのボウルを台所に置いた。エレンに無責任な太鼓判を押すと、ご馳走様といい自分の部屋へ歩き出した。

「誘いたくねぇ……」

 * * * * *

「はぁ重」

 ベティが吐き捨てるように言う。彼女の愛銃「プロメテウス」は、弾丸を含めると四十キロ近い重さになる。普通は車両や航空機に設置し敵を制圧するもので、決して個人で扱っていい兵器ではない。
 チェーンで繋がれた銃の箱を引っ張り、止まる。少し引っ張り、また止まる。リグがないと、ベティも戦闘慣れした一般人に早変わりだ。

「なんで重機関銃なんか選んじゃったのさ」
「こいつが私を選んでくれたから、かな」
「そういうスピリチュアル的なのは良くて」
「いや本当に、声が聞こえたような気がしたんだって」

 リリスは、はいはいと言いながら銃身を交換する。慣れた手際で外し、新しい物をはめ込むと、カチリと金属音が響く。

「で、どうするの?対抗戦は。エレンに啖呵切ったらしいけど」
「いや……それはサラが適当なこと言ったからで」

 ベティは床に座ると弾丸をベルトに込め始める。

「……やらないよ、あいつらに助けてって言うくらいなら、それの弾丸一万発作った方がマシかも」
「じゃあ私が行ってくる」
「え?」
「私が代わりに頼み込んでくるから、弾丸一万発、用意しておいてね」

「あ、ちょっとバカ!」

 ベティは軽い足取りで走り出す。リリスはレンチを投げようとしたが、すんでのところで留まる。行き場のない怒りと共に作業場の机に叩きつける。硬い金属音が虚しく響いた。
 走り去るベティの背中は、邪気のない子供のようなエネルギーに満ちていた。この調子だと本当にパエトーンの宿舎まで行くかもしれない。ベティのことだ、とんでもない挑発をして帰ってくるに違いない。そう考えるとリリスは頭が痛くなった。

「待って、ベティ!正気?!」
「正気?そんなの私の辞書にはないよ!それに、この前の訓練の時正気はないって言ったのは誰かな?」

 ベティは立ち止まると振り返り、楽しそうな様子で腰に手を置いた。

「性格悪い……サラに似てきた?」
「失礼な。あんな食えないやつと一緒にしないで欲しいね。私はいつだって、リリスのことを想ってる先輩だから」

 ベティはそう言うと、わざとらしく胸を張った。

「あーもう!わかりました!私が行けばいいんでしょ、私が!」

 リリスは自暴自棄に言い放つと、髪を掻きむしる。エレンの期待、サラの挑発、そしてベティの後押し。既に退路は塞がれていた。
 リリスはというと、死刑台に登る前の囚人のような顔をしていた。恐怖でも、情けない顔でもない、全てを悟ったような表情だ。

「でもあいつらからしたら、ペイント弾を使う模擬戦はお遊びだーって言うんじゃ……」
「大丈夫、あいつら少なからずエレンと絡みがあるみたいだし、エレンが見てるって言ったら多分誘いに乗ってくるよ。エレンが見てる前であんたがボロ雑巾になる姿を、あいつらはきっと見たいはずさ」

 ベティの言葉は、励ましというには些か毒が強かったが、それが軍隊という場所の、そしてパエトーンの性格の本質を突いていたとリリスは痛いほど理解していた。

「もちろんベティはこっちに着くよね?」
「言わずもがな。サラもなんとか戦わせるから、こっちの戦力は気にしなくていいよ」

「最高に最悪な模擬戦になりそう……」
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