あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

文字の大きさ
24 / 70

ときはなつもの

しおりを挟む

 しくしくと、だれかが泣いている。そしてそれは、激しい雨音にまぎれ、聞こえなくなった。


「ケイちゃん、ごめんね。……ごめんなさいねぇ、ケイちゃん」


 ほかに方法はない。夫人の葛藤を察することができた螢介は、ことばを呑みこんだ。なにも云ってはいけない。これ以上、夫人と話してはいけない。犯した罪の重さで、あんなに腕が伸びてしまった苦しみは、だれにも代弁できないだろう。ただひとり、タマシイを、あるべきところへ還せる亭主をのぞいては。


 なあ、いるんだろ?
 そろそろ、出てきてほしいンだけど……


 螢介には確信があった。夫人は、だれかを待っている。うちのひとと、約束したのだ。だれかがきたら、待たせておくようにと。それから、界面を五十年くだり、螢介がやってきた。ようやく、三島家に必要なものがそろったのだ。


 ……おれのウロコがあれば、写真の婆さんと話ができるとか? あの夫人の病気を治せるとか? 悪いけど、おれのウロコは、あと二枚しかないんだ。そう簡単には渡せないからな。


 夫人は、仏壇の部屋に佇む螢介には目もくれず、廊下を徘徊している。ずるずると床を這いまわる長い腕は、蛇のようにも見えた。


「なにかあれば、みどり色の公衆電話を探すんだ。お金をいれなくても、ここへは通じるから、わたしに連絡してください」という亭主のことばを思いだした螢介は、民家からの脱出を考えた。公衆電話がある場所といえば、駅舎や公園、百貨店や学校の近くだろうか。


「行くしかない。あのひとに、おれのタマシイをもどしてもらわねぇと……」


 もうひとりの存在は、おそらく老婆であると察しがつく。成仏できずにとどまる理由は、夫人を気の毒に思うからだろうか。すべては、三島家で起きた過去の事件につき、謎を解いた螢介が、どうにかできるものではない。ただし、近親相姦によって血すじは滅びた。惨劇の舞台となった座敷に、夫人のタマシイはとらわれている。螢介が近づくことは、不可能だった。……なんでこんなときに、彼女の姿が目に浮かぶんだ。……くそ。

 ウロコを手にいれたネコは、もう子どもではない。さくや亭の飼い猫とはいえ、おとなの女性と多感な男子高校生が同居するのは、それこそ、悩ましい状況が発生するだろう。


「全部わかったよ。三島家の出来事を教訓にしろって云いたいンだろ? おれは、ネコに手をだしたりしない。ぜったいに、するもんか。あんなアバズレ、こっちがお断りだぜ!」


 夫人が遠ざかった瞬間、仏間を飛びだした螢介は、玄関ではなくいちばん近い窓の鍵をあけ、雨のなかをくつ下がびしょぬれになるのもかまわず走り、十字路の角までくると、薬局の軒下に公衆電話を見つけ、すぐに受話器を手にとった。

「謎は解けた。タクシーを呼んでくれ」

 螢介のことばに亭主はうなずき、その場で待つよう指示をだした。数分とかからず到着したタクシーに乗りこみ、汚れたくつ下は丸めて脱いだ。雨が烟る舗道に、赤い傘をさして歩く人影があった。車窓ごしに目をこらすと、夫人とよく似た女性が、黒い傘をどこかへとどけようとしている。


「……あの傘は」


 ネイビーの房飾りがついている。どぶ川に落ちたとき、螢介が見た黒傘と同じものかどうか、はっきりとは確認できない。雨のせいで視界がぼやけ、目をこらすうちにタクシーは左折して、赤い傘の女性と離れてゆく。

「タクシーを停めてください」

 いまなら、タマシイを救えるかもしれない。そう思った螢介は、からだが動いた。「さくやさんも、いっしょにきてください」運転手は「しかたないな」と応じて、ドアをあけた。

「見えますか? あそこにいる女性は、三島家に嫁いだ夫人で、傘を、とどけようとしています」

「そうだね」

「あの黒傘って、さくやさんのものですよね? だったらはやく、女性のタマシイを救ってあげたほうがいい。雨がふるたび、何十年も、あなたの傘を、旦那のもとへとどけようとしている。ちがいますか?」


〘つづく〙
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...