あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

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陸を見つめていた魚

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 学校は、教育制度における中核的な機関であり、生まれてきたすべての子どもに豊かな学びと成長を保障する場である──。


『そうなのか?』

「ちがうな。全然ちがう」

『そうなんだ?』

「ああ。学校なんて魔窟まくつだ」

『ほほう、まくつか。それはそれは、たのしそうではないか!』

「どこがだよ。……って、おい、ネコ。まさか、ついてくる気じゃないだろうな」

『だめか?』「だめだ」『なぜだ』「なんでもだ」『むむっ、けいすけめ。さくやににてきたな』「亭主に? どこがだよ」『けちなところ!』「放っておけ」『けちーっ!』「はいはい、そこ、どいてくれ。教科書がとれない」

 ネコが陣取る押入れをあさる螢介は、かばんに教科書を詰めていく。時間割表は、頭のなかにはいっていた。きょうは金曜日である。一時間目は数学、二時間目は体育、三時間目は政治経済という、確実に頭がおかしくなる科目がならぶ。……体育の授業は、四時間目が理想的だよな。思いっきり運動したあとの弁当は、めちゃくちゃうまく感じるンだよな。五時間目の記憶は、なんの科目だろうと眠くなるけど。


「それじゃ、行ってくるけど、ネコは留守番だからな。ついてくるなよ」

『むむむ、むむーっ!』

「天蔵くん、わたしの傘を持っておゆき」


 玄関で靴を履く螢介は、亭主がさしだす黒い傘に目をとめ、顔をしかめた。

「その傘って、なんか好きじゃない」

「それでも、持っておゆき」

「なんで?」

「外は雨だから」

「……そうだけど」

「さあ、行ってらっしゃい。遅刻しないで」

 無理やり黒傘を押しつけられた螢介は、しかたなくうけとり、「行ってきます」といって、玄関の外へでた。軒下で傘をひろげ、雑木林を抜けてゆく。林縁に生える多年草がある。四枚の葉と白い花穂が、ピシャピシャとビー玉のように水滴をはじく。

「センリョウ科のヒトリシズカだのう。有毒じゃが、根の煎汁は生薬となり、皮膚病などに用いることもある」

 一人静ヒトリシズカは、横に這う短い地下茎から、数本または多数の茎が地表にのびて直立する。花の少ない冬に、赤く美しい果実をつけるセンリョウにも、精油が含まれている。

 石づきなめこの主人は、螢介がとおりかかるのを待っていたかのように、番傘をさして雨にぬれる植物をながめていた。雑貨商のふりをしているが、この男も十翼である。風估という。

「これから学校かい?」

 学ラン姿の螢介に、風估がたずねる。「おはようございます」とあいさつをして、軽く頭をさげておく。風估にもらった呪具(文鎮)を置いてきたことに気づき、さくや亭へひき返そうとすると、「きょうの授業に習字でもあるのかね」と質問された。

「……ない、ですけど」

「ならば必要なかろう」

 護身用に持ち歩くつもりが、ネコとの会話ですっかり忘れてしまった螢介は、なんとなく不安になった。学校へ行くだけなのに、身の危険を感じる。教育の場でそれはおかしな話だが、螢介は、そう思う生徒のひとりだった。……このからだになって、よけいにだな。

「天蔵よ、ろくでなしということばを知っておるかのう」

「ろくでなし? ……ふつう以下とか、役たたずとか」

「字は、ろくでなしと書く。陸地りくちは平らであるからな。だれしも、のんびりとした人生を歩けたら詰まらんじゃろう。陸でなしどもがおるから、世は愉快になるのだ」

「なんの話ですか」

「水中に棲んでいる魚でも、陸上にあがって歩けるものがいる。エラ呼吸だけではなく、肺呼吸ができるのじゃ。魚が陸上にあがったとき、そこはろくでなしであったじゃろうか」

「……さあ、よくわかりません。あの、おれ、行ってもいいですか? バスに乗らないとなんで」

 押入れのダンボール箱に、回数券がはいっていた。雨の日にかぎり市営バスを利用していた螢介は、時刻表も記憶している。勉強とは異なる分野で能力を発揮する頭脳なのである。

「気をつけるがよい」

 石づきなめこの主人に見送られ、雑木林の外にでた螢介は、プァーンッという、大型トラックのクラクションを聞いた。音がしたほうをふり向くと、車道に人らしきものが倒れていた。


「ひき逃げ!?」


 螢介は、あわてて駆け寄った。


〘つづく〙
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