あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

文字の大きさ
42 / 70

螢介、独白

しおりを挟む

 これは夢だと、寝ていてもわかるときがある──。というのも、夢のなかには、主役がほかにいるからだ。おれは、なぜか主役の近くにいて、ただ傍観している。もっとわかりやすく云えば、テレビの撮影現場に参加しているような臨場感があるにもかかわらず、周囲の人間には、おれの姿が見えていない。たとえなにが起きても、おれの存在には、だれも気づかないのだ。


 行ってきます……。あら、ちょっと待って、ユッくん。きょうは雨がふるわよ。傘を持っていきなさい。え、でも、こんなに晴れてるのに……。そうよ、晴れているときでも、雨はふるのよ。知らない? 天気雨っていうの。青空で日が照っているのにパラパラ雨がふるのはね、狐が嫁入り行列を人間に見られないようにしているからなの。だから、忘れずに傘を持っていくのよ。化かされてはだめ。家に帰れなくなるわ。家に? 困るでしょう。う、うん、わかった……。行ってらっしゃい、気をつけてね。


 どこかの家庭での、母と子の玄関さきでのやりとりだ。おれが気になったのは、ユッくんと呼ばれた少年のほうだ。まちがいない。いま、石づきなめこで眠っている少年である。彼の素性というか、その身になにが起きたのかを調べることが、今回の目的である。仕事の依頼人は、彼の母親だが、それはあまり気にならなかった。

 こんなに空は晴れてるのに、雨がふってくるのか。……母親のことばにつられて、ちらッと、空を見あげた。『けいすけ』かたわらのネコは、変装だといって、だて眼鏡をかけている。はっきり云って似合わないが、本人がそうは思わない以上、放っておく。むぎゅっ、と、大きな胸がおれの頭に載ってくるが、なるべく気にしないようにする(だんだんネコとの距離感になれてきた)。物陰に片膝をつくおれは、背中にくっついているネコに、尾行せず、学校へさきまわりしようと提案した。

『むむ、なぜだ?』

「情報収集だよ」

 探偵の基本は、本人に直撃するまえの下調べに時間をかけるものだ。さぐる相手の名前は、雪里ゆきさとという。「ユッくんか……」おれには、聞き覚えがある名前だった。


 びしょぬれで帰宅した息子おれに、螢介の母が叱言こごとをならべる。……まったく、ケイちゃんったら、この雨のなかを、どうして学校に傘を置き忘れたりするの? さっき、ユッくんが持ってきてくれたのよ。高校生にもなって、じぶんの持ちものくらい、失くさないでちょうだいね。

 ……ユッくんって、だれだ? 知らない名前である。螢介に兄弟や姉妹はおらず、近所に同学年の生徒もいない。正体の知れない人物が、母の密子みつこに亭主の黒傘をとどけたようだ。しかも母は、それを息子のものとしてうたがわない。……あのさ、おれの傘は淡青みずいろなんだけど。そんなことも、忘れちまったのか。


『けいすけ? どうしたのだ?』

「ん? ああ、少し考えごとしてた。まえに、おれの家に、ユッくんと呼ばれたやつが、傘をとどけに来たことがあったんだよな」

『ゆきさとがか?』

「それは、わからない。おれは、ユッくんの顔を見ていないから」

『むむっ、つまり、かのうせいを、うたがっているのだな』

 そのとおりだ。おれはいま、あの日の人物と雪里が、同じ少年なのか、思考をめぐらせる。さいわい、亭主の黒傘を自宅にとどけた意味は、本人にたずねることができる。……まあ、同一人物だったとしても、あいつは、おれより先輩だな。まさか、過去から来たのか? わざわざトラックに轢かれそうになって、まさか、おれを呼んでいる?

 雪里の通う学校は、市内にある。彼は徒歩で通学しているが、おれとネコは市電に乗り、さきまわりした。学章を見たかぎり、ごく一般的な公立高校である。

「適当に声をかけても、怪しまれるだろうな。ここから、どうするか……」

 校門をとおり抜けてゆく生徒は、書生ふうの恰好や、シャツにズボンなど、服装の文化が定まらない。彼らのタマシイは、日付を越えて集まっているのだ。……もしかしたら、おれも、こんなふうに日常をくり返すだけのタマシイになっていたのかもな。もう考えなくてもわかる。あのひとが、さくやさんが、おれを生かしている。
 

〘つづく〙
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...