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対決、地估登場
しおりを挟む螢介を探して走りまわるネコは、土間にさしかかったとき、反射的に身を跳ねた。梅花のにおいが濃い。雪里の母親が、まな板でなにかを切っていた。トントントンッ。だれのために作っているのか、それはすぐに判明した。女は、おなかを空かせた夫のために、じぶんのタマシイを切り刻んでいる。……やめて、お母さん、やめて! 必死にとめる雪里の声はとどかない。
『むむっ、これは、まぼろしか? あたしにじゅぐはつうようしないからな!!』
ネコは、なんの迷いもなく家族の幻影をすり抜けて、座敷牢を目ざす。螢介のにおいが近い。こう云っては本人に悪い気もするが、衣服を奪われたぶん、人間的なにおいがネコの鼻をつく。汗や体臭といった不快なものではなく、螢介そのもののにおいである。
『もうすぐだ、もうすぐだ。ちかいぞ! けいすけは、すぐそこにいる!』
突然、バリッと、床板が裂けるような音がした。とっさに黒猫の姿に変わったネコは、紙袋をくわえて飛び跳ねた。『にゃにゃ、ちちおやか!?』事故で空蟬となった少年の父親は、家内のタマシイだけでは喰い足りず、だれともなく襲いかかってきた。
『あたしのたましいは、やすくないぞ! とれるものなら、とってみるのだ!』
かりそめでも生身のからだを表現できるネコは、ふたたび人型となり、両腕をふりあげて攻撃をくりだす父親に、体当たりで突進すると、後頭部を石づきなめこ秘蔵の文鎮でカンッと叩いた。すると、ネコの目のまえに、人影がゆらめいた。
「やれやれ、見ていられない。この時代に呼びだされるのはきらいじゃないが、ちょっと、きみ、ネコくんとやら。さっきから黙って見ていれば、破廉恥きわまりない恰好をさらしてくれるね」
『むむっ、なんだ、おまえは!』
「油断しないで。はやく浴衣を着ておくれ」
炎估と似たような黒紋つきの着物に黒い帽子をかぶる優男は、くすッと笑い、ネコの急所に光るウロコへ視線を落とし、眉をひそめた。「なるほど。ネコくんの裏庭には力が宿っているね」
『おまえは、だれなのだ!? けいすけのてきか!?』
「ぼくは十翼の地估だよ。ネコくんとは、校庭の砂場で遭っているじゃないか。信じるかどうかはべつとして、あの下着だけの高校生は、まだ座敷牢にいるよ。彼の浴衣も、はやく持っていくといい。きみたちは若くて、破廉恥がすぎる。ここは、ひきうけよう」
『じ、じゅうよく? おまえ、あのとき、あたしを……、にゃにゃっ、そんなことより、けいすけがさきだ。おまえをしんじてやる! そこのうつせみはたおしてよいが、ははおやとゆきさとは、だめなのだ!』
「いざ、由しとて、われ、うけたまわる」
浴衣の衿をあわせて帯を結ぶネコは、紙袋に文鎮をつっこむと、螢介のもとへ急いだ。小柄に見える地估だが、筋骨の強度は炎估や風估を上まわる。襲いくる父親を片腕で制すると、
「鎮まれ、永久にな」
といって、空蟬を石化させた。サラサラと砂のように消滅するさまを見た母親は、「ひぃぃぃーっ!」と奇声をあげ、ネコのあとを追いかける。その手には包丁を持っていた。……お願い、母さんをとめて! 夏服の雪里少年はうずくまり、ただ、なりゆきにふるえている。
地估は足もとに散った砂をひとつかみすると、「きみは、ひと足さきにもどるがいい。この界面は、じきに閉ざされるからね」そういって、少年に砂をふりかける。……さようなら、父さん、母さん。
攻撃的な空蟬となった父親と、母親との関係に悩める少年を対処した地估は、帽子をかぶりなおして座敷牢のほうへ歩いてゆく。
「さてと、いよいよ大詰めだ。天蔵螢介くん、ぼくは、きみに期待しているよ。きみならば、暗闇に太刀打ちできそうだ」
〘つづく〙
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