あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

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風估と地估

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 時間軸は少しもどり、店舗みせで会話をする風估と地估の声を聞きつけた雪里は、淡青みずいろの傘を手にして顔をだした。

「なめこさん、お願いがあるのですが」

「おお、どうした少年。云ってみるがええ」

 雪里は、商品棚のあいだに佇む地估にペコッと頭をさげると、帳場に坐る風估へ、さくや亭に行ってもよいかとたずねた。

「天蔵のところへかね?」

「はい。この傘を持ち主の螢介さんに返したくて……」

「ふむ、よかろう。外は雨がふっておる。そこの番傘をさして行くといい。気をつけてな」

「はい、ありがとうございます」

 二本の傘を手にして外出する雪里を見送り、地估は、あることに気づいた。螢介は、ずいぶん前に、少年の白い影を目撃している。川に落ちた日の夜、雪里は天蔵家に足を運び、螢介をさぐっていた。同級生になりすまして黒傘をとどけた少年は、雪里だった。


「笑止、人の世は愚かしい。血となみだの土地に、われ、ゆうぐれる」

「地估よ、あいかわらずだのう」


 詩情的な科白せりふを口ずさむ地估は、しゃべり疲れたようすで首をり、奥へ姿を消してからだをやすめた。邪悪なタマシイを消滅させてきた十翼かれらは、冷静に「人間」と「自然」の境界線を見極める。丸腰の螢介など眼中にない。ゆえに、地估の感心はめずらしいものだった。雑木林にて商売をはじめた風估の狙いは、さくや亭の幽闇くらやみである。炎估とはべつの意味で、注意をはらっていた。螢介のように実体を持っているうちは、タマシイにはにおい、、、が存在する。だが、風估ともあろうものが、亭主のタマシイを嗅ぎ分けられずにいた。


「う~む、どう考えてもおかしいのう。臨終いまわのタマシイが灼けるにおいを嗅ぎつけた炎估でさえ、慎重になりすぎておる。あの亭主は只者ただものではないのう」


 算盤をはじく風估は、天井をささえている太い柱を見つめた。始まりは大樹であった、はるか昔の物語に思いをはせる。泥にまみれた混沌の時代、終わりのない日々に太陽の光があらわれたとき、民衆は抱きあって、心がはりさけるまえにことばを交わす。すべての考えを黙らせるものは、とりわけて、大きな風を吹かせる。


「きみよ、つぶやきたまえ。われらは、眼をさましはしないだろう。いろどり豊かな季節より、暗やみが、われらの心をとらえる。そこにいてくれたまえ、いつの日も、ずっと向こう側で微笑ほほええむものよ。そこにいて、動かないでくれたまえ……」


 地估の口真似をして笑い声になる風估は、「やれやれ」と溜め息を吐いた。なにがゆるせないのか、なにをもってゆるすのか、千百を生きる風估にとっても悩ましい涯底そこいだった。

 ひとり静かに周囲からとり残されるタマシイは、現実ではなく幻覚に生きる。それを哀れだと思う連中は、まっとうな人生を歩んでいるのだろうか。

 雨がふっている。雑木林の空気は常に湿っていたが、樹木の根が腐ることはない。思いだしたかのように、ときおり、枝葉のすきまから太陽の光が射す。

「……日照、どこにおる。われらに、そなたの声をきかせておくれ」

 十翼ががれる存在は、うつわとなる人間のタマシイが朽ちるまで、姿なりをとることはできない。亭主の闇が深くなるとき、ひとつのかばねに、ふたつのタマシイが宿る。十翼であれば、だれしも日照の再誕を歓迎するが、炎估の考えは少し変わっていた。

「うっかり迷いでるか、くらやみの亭主よ。せいぜい、同族うからに気をつけるがええ」

 奥の間で横になる地估は、定めなき人と異形との境界に思いをはせた。


〘つづく〙
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