52 / 70
風估と地估
しおりを挟む時間軸は少しもどり、店舗で会話をする風估と地估の声を聞きつけた雪里は、淡青の傘を手にして顔をだした。
「なめこさん、お願いがあるのですが」
「おお、どうした少年。云ってみるがええ」
雪里は、商品棚のあいだに佇む地估にペコッと頭をさげると、帳場に坐る風估へ、さくや亭に行ってもよいかとたずねた。
「天蔵のところへかね?」
「はい。この傘を持ち主の螢介さんに返したくて……」
「ふむ、よかろう。外は雨がふっておる。そこの番傘をさして行くといい。気をつけてな」
「はい、ありがとうございます」
二本の傘を手にして外出する雪里を見送り、地估は、あることに気づいた。螢介は、ずいぶん前に、少年の白い影を目撃している。川に落ちた日の夜、雪里は天蔵家に足を運び、螢介をさぐっていた。同級生になりすまして黒傘をとどけた少年は、雪里だった。
「笑止、人の世は愚かしい。血と泪の土地に、われ、ゆうぐれる」
「地估よ、あいかわらずだのう」
詩情的な科白を口ずさむ地估は、しゃべり疲れたようすで首をり、奥へ姿を消してからだを息めた。邪悪なタマシイを消滅させてきた十翼は、冷静に「人間」と「自然」の境界線を見極める。丸腰の螢介など眼中にない。ゆえに、地估の感心はめずらしいものだった。雑木林にて商売をはじめた風估の狙いは、さくや亭の幽闇である。炎估とはべつの意味で、注意をはらっていた。螢介のように実体を持っているうちは、タマシイにはにおいが存在する。だが、風估ともあろうものが、亭主のタマシイを嗅ぎ分けられずにいた。
「う~む、どう考えてもおかしいのう。臨終のタマシイが灼けるにおいを嗅ぎつけた炎估でさえ、慎重になりすぎておる。あの亭主は只者ではないのう」
算盤をはじく風估は、天井をささえている太い柱を見つめた。始まりは大樹であった、はるか昔の物語に思いをはせる。泥にまみれた混沌の時代、終わりのない日々に太陽の光があらわれたとき、民衆は抱きあって、心がはりさけるまえにことばを交わす。すべての考えを黙らせるものは、とりわけて、大きな風を吹かせる。
「きみよ、つぶやきたまえ。われらは、眼をさましはしないだろう。いろどり豊かな季節より、暗やみが、われらの心をとらえる。そこにいてくれたまえ、いつの日も、ずっと向こう側で微笑えむものよ。そこにいて、動かないでくれたまえ……」
地估の口真似をして笑い声になる風估は、「やれやれ」と溜め息を吐いた。なにが容せないのか、なにをもって赦すのか、千百を生きる風估にとっても悩ましい涯底だった。
ひとり静かに周囲からとり残されるタマシイは、現実ではなく幻覚に生きる。それを哀れだと思う連中は、まっとうな人生を歩んでいるのだろうか。
雨がふっている。雑木林の空気は常に湿っていたが、樹木の根が腐ることはない。思いだしたかのように、ときおり、枝葉のすきまから太陽の光が射す。
「……日照、どこにおる。われらに、そなたの声をきかせておくれ」
十翼が焦がれる存在は、器となる人間のタマシイが朽ちるまで、姿をとることはできない。亭主の闇が深くなるとき、ひとつの屍に、ふたつのタマシイが宿る。十翼であれば、だれしも日照の再誕を歓迎するが、炎估の考えは少し変わっていた。
「うっかり迷いでるか、くらやみの亭主よ。せいぜい、同族に気をつけるがええ」
奥の間で横になる地估は、定めなき人と異形との境界に思いをはせた。
〘つづく〙
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる