あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

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ネコが家出した

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 きょうもネコがいない。目が覚めてニャアと鳴く声は、三日まえから飼うことが許された斑猫ぶちねこのフッチ(名前を考えたのはおれじゃないぞ。亭主だからな)である。洗顔と歯磨きを終えた螢介は、ネコが棲処すみかにしていた押入れを確認してみるが、やはり、さくや亭に帰ってきたようすはない。


「もともと外で自由に生きてきたわけだし、そんなに心配することでもねぇか」


 人型のネコは存在感がある容姿につき、三日間も顔をあわせずにいると、妙な気分になった。いくら野生で暮らす習性が備わっているとはいえ、ネコはメスである。「子どもができたら、わたしがひきとるよ」という亭主のことばがどうにも悩ましい。

 猫の発情期は、一般的に春から夏にかけて訪れやすく、屋内で飼われている場合、外の自然光に左右されず、一年を通して繁殖可能だった。子孫の存続は生命体の課題でもあり、本能にしたがって種族を増やそうとする行動は人間も同様である。動物の発生様式と進化は、現存する生物の祖先に由来する。


 ニャアと、フッチの鳴き声で思考回路を停止した螢介は、さくやとネコの帰りを待つあいだ、亭主の素性を調べることにした。書道教室の看板には、休業中の札をさげてある。よけいなものの来訪に気が散っては、思うような調査ができない。雑木林の雨は、きょうも朝からふりつづけていた。フッチは座布団のうえで丸くなると、大きなあくびをした。

 螢介は電話番のついでに、亭主の名前について考えた。幽闇くらやみなどという珍名は、すぐに見つかると思いきや、積み重ねてある台帳を調べても、「か行」にそんな苗字は載っていない。ただ、最初の「あ行」に記された「雨賀佐あまがさげん」という人物が気になった。名前のひびきが興味深い。試しに電話をかけると、「はい、もしもし、どちらさまですの?」という、老婦人らしき声が応答した。

「さくや亭の天蔵です。いつもお世話になっております。そちらの雪里くんがまだ塾に来ておらず、ご連絡をさせていただきました」

 すらすら適当なことばをならべる螢介は、まちがい電話をよそおうことにした。案の定、受話器ごしの老婦人は第一声より調子を低めて怪しんだ。

「どなたか存じませんが、かけまちがえではなくて? うちには子どもなんてひとりもいませんのよ。……ねえ、あなた、ずいぶんお若いわね。顔なんて見えなくても、わたくしにはわかるのよ。いったい、うちのひと、、、、、の、なにが知りたいのかしら。財産が目当てなら、あきらめなさい。あのひとの預金なんて、ないに等しいわよ」

 
 ……財産だって? となると、
 雨賀佐源は他界しているのか?


 いくつかの個人情報をひきだせた螢介は、手もとの鉛筆をにぎり、メモ帳へ書きとめた。近くで、フッチがニャアと鳴くと、冷ややかだった老婦人の言動が、おだやかに変わる。

「あら、坊や。猫を飼っているの? お名前は?」

雄性オスの斑猫でフッチといいます。たぶん5歳くらいの生態おとなで、至って健康です」

 質問されるよりさきに飼い猫の特徴を告げる螢介に、受話器の向こう側で老婦人が、ふふっと、笑う。

「ちょうど、うちの子に婿をさがしていたの。いいわ、あなたといっしょに連れてきてちょうだい。歓迎します」

 文脈がおかしい。雨賀佐夫婦のあいだに、子どもはいないはずだ。うちの子、、、、とは、人間ではないのだろう。猫のフッチを人質ひとじちにさしだせば、すんなり潜入できそうだ。螢介は(悪いなと思いつつ)うなずき、老婦人から邸宅の番地をおそわった。受話器をおくと、炎估えんこを呼ぶ。十翼の彼は、かならず屋敷のどこかに存在するため、螢介の声に反応して姿をあらわした。


「これから、雨賀佐邸に乗りこむ。おれは、先生のことを調べたい。だから、向こうの条件としてフッチをさしだす。あんたも来てくれないか?」

「猫の見合いの仲人なこうどになれと?」

「あんたは適任だと思うぜ。フッチになにかあれば助けてやってくれ」

 番地をメモした紙と呪具の文鎮を手にして立ちあがる螢介は、眠そうなフッチへ「おいで」と声をかけた。


〘つづく〙
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