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潜入調査、最終戦
しおりを挟む雨賀佐夫婦の足どりを追う螢介は、合流した風估と共に書斎へ行きついた。さきほどより室内は明るい。螢介の目が闇夜に慣れてきたのかもしれない。あるいは、十翼がそばにいる影響なのか、いまいち定かではない。
活版刷りの書物には独特なにおいがあり、雨の湿気に融けこんでいる。
「そういえば、なめこさんって、いつから先生と知りあいなンですか?」
なんの前置きもなくたずねたが、風估は書物の背表紙に目をこらしていた顔を螢介のほうへ向けた。
「そんな昔のことは覚えとらんな。天蔵は、亭主の過去が気になるのか?」
「はい。本名をおしえてもらいましたが、いまとは少し漢字がちがいますよね。どんな意味があるのか、さっぱりですが……」
螢介がため息を吐くと、風估は意外そうに首をかしげた。
「名前なんぞ、生者を葬るために付けるものじゃわい。ちがう名前を持つということは、すでに死者を意味するが、まあ、くらやみの場合は異例かもしれんのう」
「どういう意味ですか」
螢介は問い返しながら一冊の書物を手にとり、ペラッとなかをひらいた。傘の構造について記されている。雨の日の必需品だが、ぬれるのを完璧に防げるわけではない。それでも人は傘をさす。足が汚れても顔を隠すために。……あの日、橋のうえから黒傘をさしだしたのは、先生だよな。……顔まではしっかり見えなかったけど、声は、先生のものだったし、別人だったなんてことは……、まさか……な。
どぶ川での一件を思い返す螢介は、無意識に眉をひそめた。女性が結婚すると、苗字が変わることのほうが多い。だが、亭主は男である。ただし、入婿として婚姻した場合、男の苗字が変わることもあった。実際、雨賀佐源が他界したあと、家系を存続させるため夫人は婿をとりこんでゆく。常軌を逸した行動にも、家督を継がせる男が必要という理由があったのだ。病的なまでに男の肉塊を求めた夫人は、精神に破綻を来して亡人となる。
「……先生は、だれのために生きているんだろうな」
螢介がつぶやいたことばに、かたわらの風估が反応する。
「それを知りたいか」
「はい」
「知ってどうするのじゃ」
「どうもしない。ただの好奇心かもしれません。先生を見ていると、なんて云うか、いまにも消えそうな、どこかへ行ったきり、もどって来ないような気がして、ときどき、不安になる……」
当たらずも遠からずといった意見につき、風估は「ふむ」と顎に手を添えてうなずいた。それから、例をあげて説明する。
「おぬしは太陽で、くらやみは月だと考えてみたらどうじゃ。はるか昔から、太陽は恒星、地球は惑星、月は衛星として成りたっておる。日蝕といって、太陽と地球のあいだに月が一直線にならぶ現象があるじゃろう? 三つのものが互いに影響をおよぼして存在する。月蝕も然りだのう」
……おれが太陽? どっちかと云えば、先生のほうが太陽だろ。たとえるなら、おれは月のほうがいい。太陽の光を反射して地球にとどける。その仕組みは、だれにも気づかれなくていい。太陽さえあれば、月は、いくらでもかがやけるンだからな。
「天蔵よ、亭主を支える光となれ。さすれば、永久を成立させることができよう」
「おれだって、あのひとを助けたいと思ってるさ(なにから?)。だから、こうして、いろいろ調べてるンだ(なめさんにも敬語を使うのが面倒くさくなった……)」
「というより、なにか因果なものを感じるが、それはそれでよいな。では、さっさと調べるがええ。のんびりしていると、雨がやんでしまう。天が晴れるまえに、惜しまず働くのだ」
風估に話を区切られた螢介は、書物を机に置くと、炎估とフッチを探しに階下へ移動した。蝋燭の火が、廊下にゆらめいている。そこに、斑猫の姿を発見した螢介は、フッチを抱きあげた。
「おまえ、どこを歩きまわってたンだよ。心配させやがって……!」
頭を撫でると、猫はニャアと鳴く。廊下に炎估の姿はない。螢介は蝋燭を手にして座敷へもどり、リュックサックのなかにフッチをしまって背負った。座敷は金気くさい。炎估に灼かれた老婦人は、骨も残さずに消滅している。しかし、天井がミシッと音をたて、第三の異形が姿をあらわした。ドォーンッと、雷が落ちたような音をひびかせて登場したそれは、巨大なトカゲだった。
「なんだ、こいつは!?」
〘つづく〙
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