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雨がもたらすもの
しおりを挟む雨がふっている。螢介は、異形となりはてた雨賀佐源のいわれに耳をかたむけた。炎估いわく、鬼の正体は人間自身につき、会話が可能だと考えた。人が死ぬと点鬼簿(死んだ人の名前や生年月日を書き記す帳面)に名を連ねて「鬼」となる。つまり、雨賀佐源は、空蟬でも亡人でもなく、本人そのもので化生の姿で螢介のまえにあらわれたのだった。
「う……うぅ……、うぅ……」
醜い化生はふらふらと頭をゆらし、「たすけてくれ」と、螢介にしか聞こえない声で悲しみと苦しみを叫んだ。
「わたしは……、しあわせだった……。わたしのような未熟者に、家族などもてるはずもなかった。しかし、それでも、わが妻は、わたしのために生きてくれた……。血筋を絶やさないために、遠縁のものが手をまわした女だったが、彼女と暮らす日々は愉しかった。……結局、子どもができないことで妻には窮屈な思いをさせたが、わたしは、しあわせだった。あの男が、妻に手をだすまでは……、妻が狂ってしまったのは、わたしのせいなのだ……」
「あの男って、だれだ?」
「うぅ……うぅ……! ゴボッ!!」
「おい、しっかりしろ!」
なにか血液のようなものを大量に吐いてうずくまる化生は、自我を保てずに変身する。「くそっ、待ってくれ! もう少し話を……!」
「……が、ががっ、ががっ!」
螢介は文鎮を持つ手がふるえた。雨賀佐源は肥大した両の眼を見ひらいて、太い幹のような腕で襲ってくる。その額には一本の角があり、まさに鬼の形相である。
「これが人間? 人間なのか!?」
どこまでも醜い姿だが、むきだした眼は血走り、ボタボタと大粒の涙を流している。……おれに、だれかに、終わらせてほしいのか?
棺のなかで眠る男は、焼却場でその身を燃やされるよろこびを唄う。安らかに旅だつはずが、だれかのしわざによって今生へひきもどされた。雨賀佐邸を彷徨う老婦人は、醜い姿で還ってきた主人を部屋に閉じこめ、じぶん好みのタマシイをむさぼっていた。
「……なんでこんなことに。……ちくしょう、恨みなんて、晴らしようがねぇぞ! このまま、成仏させるしかないのか?」
石づきなめこ秘蔵の文鎮は、螢介の手のなかで小刀に変わる。……な、なんだ!? 雨にぬれてすべる床に転倒した螢介は、首に巻きつく木蔦に呼吸を阻害されたが、とっさに、襲いかかる化生のからだに小刀を突き刺した。その瞬間、一陣の風が吹きぬける。パララッと、雨の飛礫が顔にふりかかり、思わず目を細めると、窓枠に黒紋つきの袖をゆらめかせて立つ人影を見た。
「善処しておるな、天蔵の小僧よ」
「な、なめこさん……!?」
十翼のひとり、風估である。どうやって雨賀佐邸にたどりついたかは愚問である。おどろく螢介にかまわず、雷鳴が轟く空を背に、化生を沈静化する。
「無法な鬼よ、生きているからだの形を還してやろう。苦しみのない大地に恥を忘れて睡るがよい。人間の色をもつ樹液よ、わが風のもと立ちかえれ」
十翼の放つ風に包まれた化生は、たちまち人間の姿をとりもどしたかと思えば、枯葉が散るようにハラハラと、肉体は萎れて骨と化す。もとより、雨賀佐源は死者であり、大地に埋葬されている。恨みをとどめていたのは、本人の意思ではない。悪意ある第三者に呼び起こされたのだ。
「こんなひどいことを、だれが……」
小刀は文鎮にもどっている。螢介は人骨のなかに落ちているのを拾い、窓枠から飛びおりて着地する風估に礼を述べた。
「わしは、この雨に呼ばれてきたのじゃ。礼にはおよばぬわい」
「雨に呼ばれる?」
「炎估はどうしたのだ」
「いま、フッチと写真を探してもらっています」
「ふむ、では行こう。急がねばな」
「は、はい!」
助っ人の登場とは、ありがたい。螢介は室内をふり返ると、雨がふきこむ窓に駆け寄り、パタンッと閉めた。雨がやんだあと、雲間から月や太陽がでれば、冷えきった空気に光が射して、部屋をあたためるだろう。雨賀佐夫婦は十翼に鎮められたが、家のなかには、もうひとり潜んでいる。
〘つづく〙
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