あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

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くらやみ

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「雨」の成りたちは、天から水滴が落ちる象形文字通りであり、あめかんむりとなって、雲、雪、雷、霧、つゆひょうなど、さまざまな天候を表す字をつくる──。

 さくや亭にて、螢介が雨賀佐あまがさという苗字に目をとめた理由は、「雨」だけでなく「傘」を連想したからである。雨傘あまがさとは隠語で、幽闇家くらやみけとかかわりのある血筋ではないかと考えた。また、螢介の苗字は天蔵あまくらで、「藏」とは、物をしまっておくところ、おさめる、かくす、かくれるといった意味をもつ。「天」という漢字を調べると、空、神、天界、運命、造物主など、信仰の対象としての意味をもっていた──。


 古い電話帳に載っていた雨賀佐邸には、現在はだれも住んでおらず、亡人もうけとなった老婦人が徘徊はいかいしていた。彼女はげんとのあいだに子ができず、夫の死後、じぶん、、、祝言しゅうげんを挙げる婿をひきこんでは、家名を継がせていた。すでに故人となっている彼女は、婿選びもいいかげんで極端に倒錯している。


「あなたは、ひさしぶりの上物じょうものですわ。よもや、虹色のウロコをもつ男があらわれるなんて……。あぁ、はやく、わたくしたち、いっしょになりましょう! キキキッ!」

「待てよ、話がちがうぞ。あんた、フッチが婿にほしかったはずだろうが!」


 破かれたシャツのまえがはだけ、老婦人は胸もとに手をわせて「キッキッキッ」と笑う。……く、くせぇ、なんて息だよ。ゾッとして身を固くする螢介は、暗がりに視線を泳がせた。……炎估、なにしてやがる。はやく、おれを見つけろよ!

 雨足は、どんどん強くなる。炎估いわく、ふりやまないうちに帰らなければ、この界面から抜けだせなくなるらしい。螢介は、つと目を閉じたあと、老婦人の留袖をつかんでひき倒した。女の皮をかぶった亡人は、螢介の胴体にしがみつき、「にがすものかぁ!」と、眉根まゆねを寄せた。


「くそっ、離せ!」

「キキキッ、うちのひとは、もういない。いないのよぅ。家のなかをさがしても無駄よ。さあ、坊や。わたくしといっしょになりましょう。オスなら、なんだってかまいやしないの。猫でも犬でもねぇ」

「正気かよ……」


 螢介は、おおげさに顔をしかめて固まっていたが、抵抗せずにいると、階下の座敷に案内された。……待てよ。ここはひとつ、この女の云うとおり祝言を挙げて、おれが夫になれば、力関係はこっちが上か? 家長となって老婦人をしたがえる方法もある……のか?

「くそ、炎估のやつ、呼んでも無視しやがって……。さては、この状況を楽しんでるな……」

 こうなったら、やってやる。相手は亡者につき、だれの許可なく結婚しても問題ないはずだ。螢介は行灯あんどんの明かりに照らされた金屏風のまえに坐り、老婦人と顔を見あわせると、盃を交わした。紅い酒器のしたくをととのえたのは、いったいだれなのか。最初に見たとき、座布団に置いてあった写真も消えていた。未成年だが、酒をのんで意識を失くすヘマはしない。唇に盃を添えて、のむふり、、をした。

 これが現実であるはずがない。いつ反撃するか、ようすをうかがいながら老婦人の期待に応えてからだを動かしていると、いきなりふすまがひらいた。ボワッと行灯が燃えあがり、驚いて一段下の座敷に転がると、逃げおくれた亡人に火の粉が飛び散り、あっという間に灼きつくされた。

「炎估、おまえ、容赦ねぇな……」

 周囲には異臭が漂い、螢介は鼻筋をつまんで立ちあがり、「フッチは?」ときく。縁廊下にでる炎估のあとをついていくと、二階の角部屋に到着した。扉はしまっている。室内から、ニャアと、猫の鳴き声がきこえた。

「フッチか? 無事でよかった」

 うっかり油断して、なんの警戒もなしに扉をあけると、木蔦が足首にからまりつき、身動きできなくなった。開け放してある窓から、雨飛沫しぶきが吹きつけてくる。「だ、だれだ!?」書棚の暗がりに気配があり、その威圧感に身がすくむ。螢介の横にならび立つ炎估は、「あれは化生けしょうだ」といって、呪具を持ち主の手に返した。……おれの文鎮ぶんちん、拾っくれたのか。

「うん? あちィ!!」

 足首の木蔦にメラメラと火が点く。……おい炎估! 火傷やけどするだろうが!


〘つづく〙
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