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くらやみ
しおりを挟む死者であるまえにひとりの人間として、咲夜を守りたい(なにから?)と思った螢介は、炎估により命拾いする。だが、感謝はしない。螢介のタマシイが向こう岸へゆかないようにつかんでいるのは、ほかならぬ亭主である。咲夜がいるかぎり、螢介は強気な姿勢をとれた。たとえ力不足は否めずとも、できることはあるはずだ。
雨賀佐邸を訪ねた螢介と炎估は、階下と二手に分かれて捜索した。まずは、どこかへ行ってしまったフッチと、電話にでた老婦人の痕跡をさがす必要がある。
「フッチ」
名前を呼んでも返事はない。ニャアと鳴く声もきこえない。邸宅はひろく、雨ばかり耳にひびく。炎估が灯した蝋燭の明かりをたよりに各部屋を見てまわる螢介は、老婦人のことばより、バスのなかできこえた歌の内容が気になった。
死者の名において
ことばはまぐわい
忘却の川に流れる
「……死者は、おそらく源って男だよな。忘却の川は、三途の川か?」
わが心は愛に死ぬ
息もつかせぬ君よ
いま ほのおと燃える
なんとしあわせなことか
「燃えることがしあわせって、なんだよ。死んだから燃える? 火葬? 葬式……? それとも火事か……」
パキッと、背後で廊下の床板が軋む。螢介は、あわてずにゆっくりふり向いた。蝋燭の火で前方を照らすと、黒地の留袖姿の老婦人が立っていた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへいらして」
老婦人の案内で座敷にとおされると、あちこち傷む畳のうえに金箔押しに丹頂鶴を描いた屏風をたてた一段高い主座があった。新郎新婦の席だが、花嫁も婿もいない。ふたつならべてある座布団に、一枚の写真が置いてあった。螢介が近づくと、老婦人にとめられた。
「ねえ、ウロコは持ってきてくれたのかしら。わたくしはね、子孫なんていらないの。だって、あのひとが逝ってしまっても、こうして、どちらかが生き延びているかぎり、お家は断絶しないものねぇ」
老婦人は紅をさした口で「キキキッ」と笑う。……こいつ、亡人だな!? ふぅっと、冷たい息が吹きかけられ、蝋燭の火が消える。とたんに辺りは暗くなり、螢介は手さぐりでリュックサックのポケットから文鎮を抜きとると、老婦人の影に向かって突きだした。すると、「ギィッ」と、ダメージを受けたような低い声をあげる。
「おい、あんたは雨賀佐源の奥さんなンだろう? 旦那はどこにいる? 亡くなっているなら、死因はなんだ? おしえてくれ」
「キキキッ、……ギッ、ギギッ?」
「どうした? しゃべれないのか?」
「う、うちのひとは、死んでなんか……、ギ……ギィ……キーーーッ!」
「うわっ!?」
いきなり飛びついてきた老婦人に押し倒された螢介は、カランッと、文鎮を手放してしまった。暗がりに転がってゆき、視界から見うしなう。……ものすごい力だな。……くそっ、女だと思って油断した!
「ウロコをよこせ、よこせ、よこせーーー!!」
老婦人は、無遠慮な手つきでバリバリと螢介のシャツを裂く。上裸にされても裏庭の在処には、たどりつけない。ズボンを脱がされるまえに老婦人の腹部を蹴りつけ、座敷から逃げだした。視界はまっ暗につき、壁づたいに移動すると、箱階段を見つけて駆けのぼる。二階を捜索する炎估と合流したいところだが、老婦人はなかなか俊敏で、螢介の肩をつかんだ。
「にがすものか、にがすものかぁ!」
「悪いけど、亡人に用はないんだよ。炎估! いるんだろ? なんとかしてくれ!」
聞書は必要ない。それをするならば、旦那の源のほうだ。螢介は、そう思った。
〘つづく〙
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