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待つことの向こう側
しおりを挟む出生のいわれは幽闇家の当主が語る。十八歳の咲夜は、用意された白装束に着がえると、昼間でも薄暗い蔵へ案内された。そこへ真剣な面差しの父がやってきて、さし向かいで宿命を告げる。
これよりのち、世上でのことは忘れ、日照があらわれるまで心を静めて待て──。
からだを明け渡す準備期間は、何年かかるか、だれにもわからない。まず、日照が目覚める必要があるため、日常生活から切り離された咲夜は、ただ、呼吸をしているだけの器となっていく。この時代に日照があらわれず、咲夜を迎えにこなかった場合、器となる者は、孤独な生涯のまま絶命するしかない。幽闇家の掟は厳しく、ひとり息子の咲夜は、自我を抑圧されてきた。どれほど理不尽なあつかいをうけようと、抗うことは赦されなかった。
……惜しいか。
やがて、咲夜の意識は余切れやすくなり、強い不安や恐怖といった精神的原因により、無気力状態へと陥ってゆく。真夏の夜、激しい雨がふる最中、十翼の炎估が咲夜のタマシイに惹かれて姿をあらわした。
……惜しくはないのか。
まぶたを半分あけて床にからだを横たえていた咲夜は、いつのまにか蔵のなかにいる人影に気づいて、ハッと、上体を起こした。簞笥の陰に、だれかいる。消えかけた行灯にゆらめく人影は、赤い髪をした男で、黒紋つきの着物を身につけていた。
「……あなたは、だれ? ……どうやって、蔵にはいったの? 父さんに見つかったら、ひどく追いだされてしまうよ」
知らない人物につき、咲夜は壁ぎわへのがれたが、その男は、くすッと笑い、接近してきた。
「お願い、近づかないで。ぼくには、大事な役目があるんだ。どうか、それ以上は……」
咲夜の訴えも虚しく、赤髪の男は単衣の裾をめくりあげると、無遠慮な手つきで急所に触れた。わずか数秒の出来事だったが、男の指先は熱く、冷えきっていた咲夜のからだは、一瞬にして体温が上昇した。
「……な、なんで」
恥ずかしいと思ういっぽう、咲夜の鼓動は高鳴り、精気をとりもどす。顔をのぞきこまれ、緋色の眼で見つめられた。
「あなたは、だれなの」
「炎估だ」
「えんこ……?」
火穂の使い手であることを名乗り、いまにも消えそうな行灯に腕をかざすと、蝋燭の火がふたたび燃えあがった。
「す、すごい……」
おどろいて腰がひける咲夜だが、強迫観念に支配されてきたせいか、炎估を日照だと思いこみ、深々と頭をさげた。
「ぼくは幽闇咲也と申します。ずっと、あなたを待っていました。日照さまに、この身を捧げます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
十翼の存在は伝説にすぎない。幽闇家の当主さえ、信憑性をうたがっていた。ゆえに、咲也は、ほんとうになにも知らなかった。炎估は「人ちがいだ」といって咲也の前髪をつかむと、無理やり顔をあげさせた。
「おれは十翼だ。日照ではない」
「じゅうよく……、人間ではないの?」
「そうだ。おまえ、そんなに死にたいのか」
「……死? ちがうよ。ぼくは、日照さまといっしょになって、みんなを支えるんだ」
日照の器となる人間は、タマシイをつかむ力が備わっていたが、蔵に閉じこめられる咲也にとっては、無用の産物だった。身内の肉体を供物として考える幽闇家は、咲也の力を過信していた。
日照の犠牲となる咲也の発言は、炎估的には気に喰わない。からだに未練はなくても、心はどうなのか。この世と縁を切るまえに、少しくらい遊んでもかまわないはずだ。雷鳴が轟くと、蔵は炎で包まれた。
〘つづく〙
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