月冴ゆる離宮

み馬

文字の大きさ
上 下
20 / 66
第一部

原罪の箱庭⒇

しおりを挟む

 晩秋の候、アセビが想像を絶する痛みに耐えて出産した赤子は、見事に男児だった。

「よくやったな、リュンヌ。元気な男の子だぞ!」

「リュンヌさま、おめでとうございます!!」

 分娩についての知識を身につけたクオンの適切な処置と、何十時間も寄り添って励まし続けたシルキに、アセビは心の底から感謝した。様々な思いが交叉して全身の震えが止まらなくなると、すぐさまクオンが助言した。

「リュンヌ、余計なことは考えず、ゆっくり深呼吸しろ。体力も気力も限界を越えているだろうが、まだ油断は禁物きんもつだぞ」

 胎盤から臍帯さいたいを切ったクオンは、手早く赤子のカラダを湯水で洗うと、清潔な布で包んでシルキへ渡した。シルキは、寝台の上で放心するアセビに、そっと赤子を差しだした。

「さあ、リュンヌさま、かわいい赤ちゃんを抱いてあげてください」

「……わ、……わたしの赤ちゃん、よく無事に、生まれてきてくれた……」

 臍帯からの補給ではなくはい循環に切り替わった新生児は、「おぎゃ~っ」と、産声うぶごえをあげている。アセビの腕の中で、大きな声で泣く。涙がこぼれてやまないアセビに、クオンは静かな声で「お疲れさま」と、つぶやいた。お産という奇跡のような瞬間に、肝心かんじん皇帝リヤンが立ち会うことはなかったが、アセビの心は満たされていた。

(ああ、よかった……、本当によかった。人間とは、こうして生まれてくるのだな……。わたしは、この世界に新たな生命いのちを誕生させたのか……。どんな理由があれ、その責任は重い。さらに、しっかりせねば……)

 アセビには、ふたつの使命が課せられた。ひとつは、閉ざされた離宮から姫君コンジュを解放すること。ふたつ目は、皇帝とのあいだに生まれた我が子を守ることである。妊娠、出産という試練を乗り越えた今、アセビ自身もより強く成長しなければ、皇宮では生き抜けないだろう。

「……クオン、頼みがある」

「なんだ」

「そなたが、名前を考えてくれないか。……この子の、名付け親になってほしい」

 皇帝ではなく、医官として全面的に支えとなったクオンこそ、名付け親に相応ふさわしい。そう思ったアセビは、いつになく穏やかな表情をしていたが、クオンは微かに眉をひそめた。実のところ、男児が生まれた場合にと、すでに皇帝から命名されている。その情報は、義兄のクオンだけが知っていた。

「……少し、考えさせてくれ」

 予想外の展開に虚を突かれたクオンは、悩むふりをした。長い沈黙のあと、アセビへ視線を戻して告げる。

「その子の名はグレンハイトだ」


✓つづく

※1月20日頃より第二部スタートです。登場人物が少し増えます。複雑な第一部を最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。


【これまでのまとめ】

■アセビ・バジ……ジュリアンという姫君コンジュを奪還するため離宮へ忍び込み、皇帝に見つかって計画に利用される。〈リュンヌ・ギア〉と改名され、ムスカリ帝国の寵主ハイムとなる。

■リヤンムスカ・ジャウ……ムスカリ帝国の初代皇帝、キレ長の目をした冷酷な男。アセビを無理やり妊娠させ、男児を出産させた。

■クオン・クシュ……リヤンとは異母兄弟で、唯一の義兄あに。無資格だが豊富ほうふな知識と高い技術を備える医官。

■シルキ・ロズダー……青寝殿せいしんでん童子どうじだったが、第1章ではアセビの体調や行動を記録した巻物を皇帝(の側近)に渡たす役割をつとめた。

✕ ✕ ✕ ✕ ✕ ✕ ✕ ✕
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

買った天使に手が出せない

BL / 完結 24h.ポイント:10,479pt お気に入り:4,526

【R18】お飾り妻は諦める~旦那様、貴方を想うのはもうやめます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:775pt お気に入り:460

異世界転生したけどチートもないし、マイペースに生きていこうと思います。

児童書・童話 / 連載中 24h.ポイント:19,681pt お気に入り:1,048

そのノート、小説につき

ホラー / 完結 24h.ポイント:839pt お気に入り:0

結婚したのに最後迄シない理由を教えて下さい!【完結】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:405

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

BL / 連載中 24h.ポイント:32,611pt お気に入り:3,027

処理中です...