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第一部
原罪の箱庭⒇
しおりを挟む晩秋の候、アセビが想像を絶する痛みに耐えて出産した赤子は、見事に男児だった。
「よくやったな、リュンヌ。元気な男の子だぞ!」
「リュンヌさま、おめでとうございます!!」
分娩についての知識を身につけたクオンの適切な処置と、何十時間も寄り添って励まし続けたシルキに、アセビは心の底から感謝した。様々な思いが交叉して全身の震えが止まらなくなると、すぐさまクオンが助言した。
「リュンヌ、余計なことは考えず、ゆっくり深呼吸しろ。体力も気力も限界を越えているだろうが、まだ油断は禁物だぞ」
胎盤から臍帯を切ったクオンは、手早く赤子のカラダを湯水で洗うと、清潔な布で包んでシルキへ渡した。シルキは、寝台の上で放心するアセビに、そっと赤子を差しだした。
「さあ、リュンヌさま、かわいい赤ちゃんを抱いてあげてください」
「……わ、……わたしの赤ちゃん、よく無事に、生まれてきてくれた……」
臍帯からの補給ではなく肺循環に切り替わった新生児は、「おぎゃ~っ」と、産声をあげている。アセビの腕の中で、大きな声で泣く。涙がこぼれてやまないアセビに、クオンは静かな声で「お疲れさま」と、つぶやいた。お産という奇跡のような瞬間に、肝心の皇帝が立ち会うことはなかったが、アセビの心は満たされていた。
(ああ、よかった……、本当によかった。人間とは、こうして生まれてくるのだな……。わたしは、この世界に新たな生命を誕生させたのか……。どんな理由があれ、その責任は重い。さらに、しっかりせねば……)
アセビには、ふたつの使命が課せられた。ひとつは、閉ざされた離宮から姫君を解放すること。ふたつ目は、皇帝とのあいだに生まれた我が子を守ることである。妊娠、出産という試練を乗り越えた今、アセビ自身もより強く成長しなければ、皇宮では生き抜けないだろう。
「……クオン、頼みがある」
「なんだ」
「そなたが、名前を考えてくれないか。……この子の、名付け親になってほしい」
皇帝ではなく、医官として全面的に支えとなったクオンこそ、名付け親に相応しい。そう思ったアセビは、いつになく穏やかな表情をしていたが、クオンは微かに眉をひそめた。実のところ、男児が生まれた場合にと、すでに皇帝から命名されている。その情報は、義兄のクオンだけが知っていた。
「……少し、考えさせてくれ」
予想外の展開に虚を突かれたクオンは、悩むふりをした。長い沈黙のあと、アセビへ視線を戻して告げる。
「その子の名はグレンハイトだ」
✓つづく
※1月20日頃より第二部スタートです。登場人物が少し増えます。複雑な第一部を最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。
【これまでのまとめ】
■アセビ・バジ……ジュリアンという姫君を奪還するため離宮へ忍び込み、皇帝に見つかって計画に利用される。〈リュンヌ・ギア〉と改名され、ムスカリ帝国の寵主となる。
■リヤンムスカ・ジャウ……ムスカリ帝国の初代皇帝、キレ長の目をした冷酷な男。アセビを無理やり妊娠させ、男児を出産させた。
■クオン・クシュ……リヤンとは異母兄弟で、唯一の義兄。無資格だが豊富な知識と高い技術を備える医官。
■シルキ・ロズダー……青寝殿の童子だったが、第1章ではアセビの体調や行動を記録した巻物を皇帝(の側近)に渡たす役割を務めた。
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