ジョセフによる散文『グレリオ辺境伯と追放令息』

み馬下諒

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きびしい始まり

第3話

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 リツェルを乗せた帆馬車は、ガタゴトと荷台をゆらしながら、アルベリク家から遠ざかっていく。貴族の息子として生まれたものの、住み慣れた土地を離れ、財力のあるタドゥザ伯爵のもとへ引き取られることになった彼は、なまぬるい風に吹かれ、ほんの少し目を細めた。

 母親似の顔立ちは、いわゆる美形の部類だが、必要最低限の教養しか身にそなわっていないため、めぐまれた環境で成長したとは云いがたい。

「タドゥザ・ハミルトか……。なんでおれが、年老いた伯爵なんかに引き取られなきゃならねぇんだ。……暴力をふるわれたら、すぐ逃げだしてやる」

 たとえリツェルが行方不明になったとしても、アルベリク家は責任を問われない。タドゥザ伯爵の手のものが捜索範囲をひろげたとしても、ハミルト家の領地である境界線を越えてさえしまえば、追跡はまぬがれる。リツェルの状況は実の父に見捨てられたも同然だが、身の上を悲観するほど、気弱な性格ではなかった。彼の口が悪いのは、生まれつきである。


「おれなら、ひとりでもやっていける。今までより、もっと好きなように生きてやるんだ」


 まったく不安がないわけではないが、あらたな生活に期待することで、やっかいばらいされたと思わないようにした。


 数時間後、乗り心地の悪い帆馬車にゆられてたどりついた場処は、ブラウバッハ渓谷の中流に位置する宮殿だった。川沿いに貴族の居住群が建造されたイルシュタット州は、多数のぶどう畑がひろがる景観で、遠くに見える岩山いわやまを越えて商人がやってくる交通の中間地点でもある。

 タドゥザ伯爵の宮殿は北部にあり、昼間でも空気はひんやりと感じた。帆馬車をおりたリツェルは、門番らしき男に声をかけ、うす暗い廊下を歩いて進み、応接室へ案内された。豪勢な飾り窓を背にしてたたずむ人物は、タドゥザ伯爵である。面識はなかったが、リツェルはひと目でわかった。ふくれあがった腹を五本の指でさすりながら、「おお、来たか。アルベリク家の令息よ」といって、にっこり笑った。

「は、初めまして……」

「あいさつは結構。なるほど、きみがリツェルだな。待ちくたびれたぞ。さあ、もっとこっちへ寄りたまえ。母親似というその顔を、よく見せてくれ」

 手まねきされて近づくと、ぎょろっとした目玉で顔面をのぞきこまれた。タドゥザは白髪まじりの小太りで、首すじや太い指には細かい皺があり、かわいた口から吐く息は、まるで腐った魚のような臭いがした。リツェルは思わず眉を寄せたが、伯爵の機嫌を損ねては不都合がしょうじるため、呼吸をとめてがまんした。

「ほう、これは想像以上だ。きみは、きれいな顔と躰つきをしておる。なかなかわたし好みだ。……ぐふふ、これでまた、夜の愉しみが増えたというもの。まずは、道中の疲れを癒すがよい。部屋を用意してある」

 壁ぎわに控えている使用人たちは、口もとしか見えない仮面をかぶっていた。伯爵の指示を受けたひとりが、「こちらへどうぞ」といって、リツェルを部屋まで案内する。かたちだけの養子縁組とはいえ、タドゥザがリツェルに用意した部屋は、豪勢な調度品が配置されたひろい空間だった。レース編みの枕やシーツで飾られたベッドは、まるでお姫様が横たわっているような雰囲気だ。


「すごい部屋だな」

「こちらは、リツェルさまのために伯爵が準備した特別な部屋でございます。これから、一日のほとんどを室内で過ごすことになりますので、宮殿のなかを移動するさいは、かならず、われら使用人をともなってください」

「……風呂もか?」

「はい。お手洗いや浴室は、廊下の先にございますが、おひとりで向かうことはゆるされません。これは、伯爵によることづてにつき、使用人への質問はご遠慮ください」

「なんだよ、それ」

「申しわけございません」

 律儀に頭をさげる使用人だが、仮面の下でほくそ笑んでいる。わずかに声がふるえていた。あるいは、あわれみの表情を浮かべているのかもしれない。タドゥザ伯爵がリツェルを引き取った目的は、若い男を愛でる性癖があるからだ。まだなにも知らないリツェルは、床にかばんを置くと、靴を脱いでベッドに寝そべった。


《つづく》
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