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あたらしい生活
第18話
しおりを挟む働かざる者食うべからず。朝起きて、ジョセフに身仕度をまかせて食堂へ向かうリツェルは、執務室につながる廊下を、ちらッと見た。あいさつは必要ないらしく、ジョセフはリツェルを食卓の席まで案内した。
「あのさ……」
「なんでしょう」
「おれのこと、丁寧にもてなさなくていいんだけど……(この調子がずっとつづくと、肩が凝りそう……)」
「リツェルさまは貴族令息です。付人側としては、よりいっそう従事すべきところですが、ぼくでは役不足ですか」
「そうじゃなくて、アルベリク家は貧乏だから、おれには付人なんていなかったんだよ。べつにジョセフが悪いわけじゃない。おれが慣れてないだけだ」
「では、辺境伯に報告しておきましょう」
「な、なんでグレリオに?」
「ボクのかわりとなる者を紹介していただきます」
「付人って、どうしてもいなきゃだめなのか?(おれは、ひとりのほうが気楽なんだけど……。風呂とか着付とか、誰かの手をかりなくてもできるし……)」
「身の安全のためにも、かならずそばに置くべきでしょう」
カップへ紅茶をつぐジョセフは、もとより辺境伯の付人である。リツェルの意見のおかげで、本来の日常にもどることができる。グレリオは必要最低限の使用人を雇っているため、邸宅を出入りするものは少なかった。
「ごちそうさまでした」
ひとりで朝食をすませて部屋にもどる途中、階段をおりてくるグレリオと顔を合わせた。洗練された身だしなみにすきはなく、においたつ渋い香調は、リツェルの心をゆさぶる。
「やあ、おはよう」
「お……はよう……ございます?」
思わず見とれて声が裏がえった気もするが、リツェルは「どこか行くのか」と質問した。玄関わきに馬車を操縦する御者が立っている。
「定期の視察があるのだよ。帰りは遅くなるだろうから、なにか困ったときはジョセフくんにたのむといい」
「わかった。い、いってらっしゃい」
ぎこちなく手をふるリツェルに、グレリオは笑みを浮かべてすれちがう。残り香が鼻をかすめると、妙な感覚にとらわれた。昨夜、グレリオに抱擁された胸が熱くなる。遠ざかる背中を見つめ、呼びとめたい衝動に駆られた。
タドゥザ伯爵の件について、対応策を保留にしてもらったリツェルだが、グレリオにまかせておけばなにも問題ないはずだ。地方長官が統治するリュディカ州で暮らすのも悪くない。防衛を担う国境地帯につき、脅威の対象も異なってくる。大きな権限を認められている辺境伯がいるかぎり、リツェルがかかえる不安材料も減ってゆくだろう。
「おれ、本当にベルナルド領にいていいのかな……。どうして、こんなに迷うんだ? 出ていくなら、早いほうがいいのに……」
地下室の牢屋から脱出したさい、逃げきった先がどこであろうと、衣食住に困らないていどの生活ができれば充分だと考えていた。実際は、通常の伯爵より上位の階級と称号をもつグレリオの領地で力尽きてしまった。ジョセフいわく、既婚者であることも身を置く決心を鈍らせる。相手は公爵令嬢につき、辺境伯よりさらに階級が上の女性である。
「公爵の令嬢と別れるなんて、グレリオのやつ、どんな理由があったんだ?(もったいねぇな……)」
多少の不都合などかまわず夫婦関係を継続してゆけば、かなりの権力を行使できたはずだ。欲がない男なのか、アミシアという正妻にさわりが生じたのか、グレリオの私生活は謎につつまれている。
いつのまにか、自分のことよりも辺境伯の事情に思考をめぐらせていたリツェルは、ハッとして顔をあげた。皿洗いを終えたジョセフと行き合うと、ふしぎそうに首をかしげた。
「どうなさいましたか」
「どうって、なにが……」
「このような場所で棒立ちしているので、なにか困っているのかと」
「とくに困ってない。今さっきグレリオと逢って、立ち話をしただけだ」
「そうでしたか。グレリオさまは、周辺の町へ視察にお出かけになられました。帰りは朝方になると思います」
「わかった。……なあ、おれにもなにかさせてくれないか? 無料でごはんを食べさせてもらうなんて、やっぱり気が引ける」
「きみは、怪我人であることを忘れていませんか。まずは回復に専念してください」
心的外傷は個人の生涯を悩ませるもので、そう簡単に癒えるものではない。リツェルは唇を結んで踵をかえした。ジョセフはついてこない。
「……わかってるさ。過去は封印する。おれは別人になって、あたらしい生活を始めるんだ。グレリオがそばにいれば、きっとだいじょうぶ。……きっと」
《つづく》
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