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リツェルと騎士
第31話《ジョセフの杞憂》
しおりを挟む数日のち、私事で遠方へと出かけるグレリオを見送ったジョセフは、リツェルが寝起きしていた部屋の掃除を始めた。邸宅には全部で三つの客室あり、定期的に空気のいれかえや埃とりをしておき、常に誰かを泊めることができる状態を維持しておくきまりがあった。
「リツェルさまは、いまごろどうしているでしょうか」
窓を全開にして風を取りこむジョセフは、洗濯したシーツを手にベッドを見つめた。くすみのない白い肌は、記憶にあたらしい。辺境伯の領地へ迷いこんだリツェル・アルベリクの世話をたのまれた付人ジョセフは、何度も木桶風呂で青年の肌を磨き、髪を洗い流した。母親似の顔だちや細い躰つきは、タドゥザ伯爵がなぐさみものとして見做すには、うってつけの容姿だったにちがいない。ジョセフの手つきにおびえるリツェルのようすを見るかぎり、暴力的に扱われたことは明白だった。
「どうか、健やかに。きみの将来は辺境伯が見まもっています。このぼくも、リツェルさまの不幸は望みません」
誰よりも青年と密接にかかわった幾日のあいだに、ジョセフはリツェルのグレリオに対する気持ちの変化に気づいた。はたして恋と呼べる感情なのかどうかは不明だが、少なくとも思慕していることは確実であり、無防備な寝相や囈言により、騎士団長のアロンツォも承知の事実となっている。
「グレリオさまに再縁の話が持ちあがっていると知ったら、リツェルさまは悲しむのでしょうか……」
世襲制という立場上、後添えを迎えるべきだと周りが縁談をけしかけるため、グレリオも将来について真剣に考える必要があった。正妻と離縁して長らく月日は経過しており、頃合としても悪くない。
沈んだ表情をするリツェルを思い浮かべたジョセフは、黒縁の眼鏡を外すと、額に垂れた前髪を指で横へはらった。貴族の生まれにしては不躾なふるまいが目立つ青年だが、憎めない素直さと、生来の明るい性格を取りもどしてゆくさまは、思春期の成長過程を見届ける気分である。
リツェルが引きあげた部屋の掃除を終えて廊下を歩くジョセフは、鶏舎のにわとりに午后の餌をあたえに向かった。邸宅での仕事は多岐に渡るが、ジョセフは黙々と作業をこなし、夕刻になると、帰宅したグレリオのために食事と湯の準備をととのえた。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいまもどった」
「お荷物をおあずかりします。お疲れのごようすですね。先に入浴されますか?」
「そうしよう」
「かしこまりました。辺境伯は浴室へどうぞ。すぐにお着がえを用意してまいります」
「ああ、いつもすまないね」
玄関さきで会話を交わしたグレリオは、帽子と外套をジョセフにあずけた。帰宅した足で浴室へ向かうと、衣服を脱いで湯船に浸かる。グレリオはひとりで静かに入浴する。ジョセフを呼びつけることはない。浴槽の縁へもたれ、湯気でくもる天井を見つめる。貴族令息でありながら恥をしのんでタドゥザ伯爵との経緯をうちあけたリツェルは、救護した直後、頭が正常に働かず思考が短絡的な部分もあった。
何事も根気よく交渉を重ねて成し遂げる性分のグレリオは、青年がどんな目に遭って苦しんでいるのか、たしかめる必要があった。無理に聞きだすのではなく、リツェルが現実を受けいれて真相を語りだすまで見まもることにしたのは、的確な判断だといえる。グレリオも自我とは無縁で暮らした政略結婚の経験があるため、過分な求めに応じなければならない状況は、悩ましく感じた。
「きみは、どんな思いで私のところへたどりついたのだろうか」
タドゥザ伯爵のなぐさみものとしてあつかわれた躰は、なにが起こっているのか理解できず、身体反応を示すことはなかった。たんに、相性が悪かった(リツェルが性的に興奮できなかった)可能性もあるが、思うような反応を得られないタドゥザは、しだいに乱暴な手つきに変わっていく。地下牢へとじこめられたリツェルは、不感症のうたがいもあったが、一時的な防衛機制であり心の持ちようで解決した。グレリオを慕うあまり、夢で抱かれて悦がる姿が証拠である。
邸宅を去った青年に思いをめぐらせるグレリオと、食堂で待機するジョセフは、予想外の展開に翻弄されるほど、たよりない男たちではない。常に注意深く他者と向き合う彼らは、むしろ策士であった。
《つづく》
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